創造説話③

最終的にオールマイティーな神を持ち出すなら科学とケンカしても不毛なだけ(だって何でもアリだから)、というのが自分の考えです。一方で、科学と聖書が矛盾するように思える場合に無条件で科学を信じる、ということでもありません。

科学も探求を続けながら変化します。キュリー夫人が放射性物質の存在に言及する頃、既知のエネルギーでは太陽の寿命は2、3千万年という見方が主流だったようです。なので太陽についての「真理」はまだ存在しませんでした(今も存在すると言い切っていいのか分かりませんが)。

ということで「真理は一つしかない」が真理であることはまあ否定しませんが、他に有力な説明がない ⇒ その時点で存在する説明のどれか一つが必ず真実、とはなりません。

前記事に書いた各種の創造説解釈もそんな感じがします。一つの真実を追究するのは科学のアプローチです。一方、すべての可能性を否定しないのが信仰だと思います。「人にとっては不可能でも、神にとってはすべてのことが可能」というのが聖書の前提です。ずるいっちゃずるいですが。

どれか一つを信じるのも自由ですが、自分が造ったものでもない対象について勝手に信じているにすぎないのに、これしか「ありえない」「他は全部偽りだ」という人は、人のちっぽけな思考で神というものをリミットしているように思います。




この100年の科学知識の進歩はそれ以前の数千年に比べてすさまじいものがあります。あまりの異様な進歩に、神話や中世の神は死に、「科学こそが全知・全能」への期待が高まりました。

その科学も、めざましい進歩と、停滞の時期を繰り返します。

でも素人の批判や考察など、何十年も研究している科学者からは相手にされません。科学ならそれでいいと思いますが、JW信者も統治体を「自分たちが足元にも及ばない聖書の専門家」と崇拝することで、個の調査や考察などたかが知れていると見下してしまう所にワナがあります。他方、聖書に出てくるベレアの人々は「その通りかどうかを知ろうと、日々聖書を調べた」とあります。

JW信者はNewtonとかで科学上の「新たな発見や説」を読むのと似た感覚でWTも読むので、そこに書いてある「新しい理解」に、頭が悪い(と思い込まされている)素人の自分が疑いを差し挟もうとは考えません。「その通りかどうか」自体に疑問を持つことを否定します。さらに悪いことに、「エホバが書いてくださった」なんて冒涜的視点で読むから、中学生くらいの国語力でも分かる矛盾にさえ盲目になっています。


話が思い切りそれましたので続きます。
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