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聖霊の注ぎ③

解釈の違いは別にして聖霊がキリスト前よりあった、という点ではキリスト教もJWも同じです。しかしペテロはキリストが父から約束の聖霊を受けて人に注がれるまでになったと証言します。イエスは助け手また教える者としての聖霊は自分が去らなくては来ない、自分の後に父にお願いして遣わしてもらう、と言いました。

「子がだれであるかは、父のほかに知っているものはいない」とイエス自身が語ったように、聖霊についても、それそのものが何であるかを「ことば」で説明し、「ことば」で理解することにこだわる必要はないと思います。

重力の本質が何であるかは分かっていませんし、分かっている部分でさえ一般人の理解の及ばないものですが、非専門家の人間が日常的な範囲で知る・実感することができ、またそうする必要がある働きはごくシンプルです。

ものを放せば下に落ちる、高い所から落ちればケガする、それくらいでしょうか。

聖霊の働きについての聖書の教えもシンプルです。

それはキリストを焦点とする信仰、希望、愛を人に抱かせる助け主(口語訳、新改訳)であって、父は「子」の名によってそれを求める人にお与えになります。

『今までは、あなたがたはわたしの名によって求めたことはなかった。求めなさい、そうすれば、与えられるであろう』(口語訳)

それら「三つ」は支配的な傾向となって人に宿ります。それは伝統や解釈や組織や規則による支配ではなく、御子のバシレイアへと移されたことを確信させるのでしょう。


『このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです』(新世界訳)

自分に聖霊が与えられているかを不安に感じるとか、聖霊が注がれていないグループだと言われて逆にほっとするとか、新世界訳でもこれほどシンプルな言葉を、もうつじつまさえ合わなくなっている解釈で複雑にしているだけのような気がします。

ランクの低い信者ごときでは、その聖書の言葉に従うと、コラのように大逆の罪で死刑になる可能性が高いらしいですよ。

誰に対する反逆なんですかね。
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