聖霊の注ぎ②

1世紀では、聖霊の注ぎは目に見えたようです。

120人の弟子たちに始まり、コルネリオとその家族、さらに魔術師シモンは使徒たちが手を置くことで聖霊が注がれるのを見たので、その力をお金で欲しがりました。

聖霊の働きは、注がれた時に見える何かの現象にとどまりませんでした。

『あなた方が集まるとき,ある人には詩があり,ある人には教えがあり,ある人には啓示があり,ある人には異言があり,ある人には解釈があります・・そして,だれかが異言を話すのであれば,多くても二人か三人に限り,順番に話しなさい・・あなた方は皆ひとりずつ預言することができ,こうしてすべての人が学び,またすべての人が励まされるのです』

JW出版物では、1世紀の「集会」もJW集会のごとく巻物や書簡を朗読し、司会者がお行儀よく話や討議で扱っているのかのような絵を載せますが、そういうのはユダヤ人の会堂で行なわれていたことに近く、クリスチャンの集まりの方はどうもそんな感じではなく、だれもが聖霊を受けていたので、異言や預言を直に語る人は普通にいたようです。

ヨエルの予言では、エローヒームは自分の霊を若者やしもべやはしために注ぎ、彼らは預言すると言ってます。数人の小太りのおじいちゃんだけではないようです。

異言・預言する人 ⇒ 翻訳・解釈する人、という役割もあったようです。

もちろん、現代でこれをしようとすればペンテコステ派みたいになります。

『ある人には霊によって知恵のことば,ある人には同じ霊にしたがって知識のことば,ある人には同じ霊によって信仰,ある人にはその一つの霊によっていやしの賜物,さらにある人には強力な業の働き,ある人には預言すること,ある人には霊感のことばを識別する力,ある人には種々の異言,そしてある人には異言を解釈する力が与えられています』

これらの聖霊の働きは終わろうとしていました。何が残るでしょうか。

『いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである』(口語訳)

簡単じゃないでしょうか。残るのはこの三つです。

救いの代理者としてのキリストに信仰を持つ人、キリストにより天と地を包含する神の管理を望む人、汝の敵を愛せと教えたキリストに倣って愛を示す人・・・一般的な信念や希望や愛ではなく、その三つがキリストを中心に育まれるとき、それは聖霊(内に宿る)による、ということではないかと思います。奇跡でも超自然でもなんでもありません。

キリスト教(新約)のHoly Spiritが嫌いなJWは、聖霊を旧約のルーアハの概念に近いものとし、風とか、現代では電気のような、物理的な力に例える方を好みます。

『科学者の説明によると,脳において,情報はコード化された電気的あるいは化学的な信号の形をとり,シナプスと呼ばれる数多くの接続部を越えてニューロンからニューロンへ伝わります。「頭脳」という本は,「ある種の記憶は,コード化された信号が独特な跡を残して通過する際に,神経シナプスで作り出される」と述べています。同じ信号が次に通過する時には,神経細胞はそれを識別し,より敏速に反応します。こうして個々の人のうちに新たな思考パターンが作り出されます』

・・元の引用は記憶のメカニズムについて言及しているようですが、WTによれば「新しい人格」も物理的な学習作業(WT教材のみ)によるもので、同じ情報を反復して取り入れる(シナプスを通過する)と、ニューロンが特定の電気的信号により速く反応するとか、そんな愉快な説明です。

それって洗脳のことでは・・

続きます。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR