聖霊の注ぎ

JW解釈の中でよく分からないものに「油注がれたクリスチャン」解釈があります。

聖霊でアブラ注がれるってどういうこと?どうやったら分かるのか?

聖書の教えはいたってシンプルで、イエスは、父が子の求めに応じるように天の父は求める者に聖霊をお与えになると教えました。

しかし、JWは聖霊の与えられ方には2種類ある、と言います。

JW信者が「油注がれたクリスチャン」への聖霊の注ぎを本人以外にはよく分からないもの、と考えているのは、魂の本質や三位一体などの問題でキリスト教の信条を否定する時には、非信仰者と同じ既存宗教に対する不信感や物理的感覚に訴える一方で、この聖霊の注ぎについては、秘跡の類ではないと言いつつ、それが神慮による特殊な選びであるかのような印象を与えることで、少数から成る特権階級を作ることを目的としているからです。

だから一般信者には「よく分からないもの」にしておきたいのでしょう。

1935年にアブラ注がれていない大群衆、ができました。

その解釈に対する当時の一般信者の反応はほっとしたというものでした。自分が「聖霊を注がれている」かよく分からない、パンを食べるのは不安だ、という信者が増えていたからです。

なぜ不安になるんでしょうか。そうさせる記事がWTに載るからです。

『そのような召しを実際には受けていなかったことを知りながら,天的な王また祭司となる召しを受けた者のように振る舞う人を,神は好意をもってご覧になることはないはずです。エホバは,レビ人であるコラを死罪に処されました。コラがせん越にもアロンの家系の祭司職に就こうとしたからです。・・中には,善人はみな天に行くという偽りの宗教の観念にとらわれて,自分は天への召しを受けていると考える人もいるかもしれません。・・「わたしは感情に影響する医薬品を使用していないだろうか。感情に支配されて誤った判断をする傾向はないだろうか」』

↑は近年の例ですが、食べようとする人を死罪にされたコラに例えるとか、背教かクスリのせいじゃねぇかと脅すとか、でも統治体世代交代のために聖霊の注ぎはやっぱ終わってなかったとか、WTにどんな記事が出るかで、パンを食べる人の数はどうにでも変わっている事実があります。

何かの不安や疑問をあえて持たせるような記事を書いて、次いでそれを表面的に解消する解釈を打ち出すことで、「神からの光だ答えだ」と思わせるのは常套手段です。

彼らは「不安」と「疑問」を持たせることで支配します。

将来に不安を感じることはありませんか~?
どうして~なのだろうと疑問に感じたことはありませんか~?

誰よりも不安や疑問に支配されているのは彼ら自身であり、同じように不安を抱かせ、JW組織とJW解釈なしでは何の疑問も解消できず、安心もできなくなる人間を増やそうとしています。

聖書を読むと、聖霊の働きとはごくシンプルなことに思えます。続きます。
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