創造説話

聖書の創世記がバビロニアの創造説話から借用している、という見方をJWは当然のように否定します。その理由として挙げるのは神観の違い・・ぶっちゃけ多神教か一神教かの違いです。

『バビロンの詩は神話的かつ多神教的である。神に関する概念は決して高尚なものではない。神々は愛憎をあらわにし,企てや陰謀にかかわり,戦い,破壊する。マルドゥクは戦士であり,力を振り絞る熾烈な闘いの末にはじめて征服する。一方,創世記は最も高尚な一神教を反映している』(WT洞察)

愛憎をあらわにし、戦い、破壊し、征服するって、旧約も結構いい勝負だと思うのですが、だからどんな類似があるのか分析することなど必要ない、と具体的な点を指摘することを避けています。

どっちがどっちを借用したとかはどうでもいいです。

ただ都合のいいJW論理を少し批評したいと思います。

一例は、世界中に存在する洪水説話を、聖書の大洪水があったのことの証拠だ!としている点です。それらの洪水説話もはっきり言って似て非なるものです。でも「水によって滅びた」とか「少数の生存者がいる」などのおおざっぱな類似点を挙げて、その根拠としています。

アメリカ先住民の中でもかなり古い(当人は3番目と言っていた)部族の人に聞いたことがあります。彼らの言い伝えによれば、現在の地上の文明社会は何回目かの世界で、直近の文明は「水」によって滅びた(その次=今の文明は「火」で滅びる?)、でも少数の人が地下空洞を作ったか見つけたかで、そこに逃れて生き残り、現在の文明を築いたようです。

コロンブスが来るとっくの前からいる先住民の言い伝えですから、聖書からヒントを得たとか、借用してアレンジしたとか、という議論はできないということには同意できます。

共通点に注目して、詳細はかなり違っても大筋でそれに似たようなことがあったんだね、と認め合う大らかな姿勢はいいと思うのですが、創造説話になると相違点ばかりをクローズアップして類似している要素など分析も評価もするに値しねぇ、というのですね。

だから創造説話も、この世界がクリエイトされたものという思想?願望?信仰?・・言葉は何でもいいですが、とにかくそのアイデア(悪い意味ではなく、人の精神性に基づく発想的な意味で)は人類古来のものとして共通している、という信仰の事実として受け止めることはできると思います。

もちろん創造にしても洪水にしても細部に至るまで聖書の創世記が一字一句正しい!という人もいるでしょうが、それはそれでいいと思います。

どっちにしたって証明も反証もできる訳がないので、自分としては神を信じるのに創世記の詳細を科学的に分析する・信ぴょう性や合理性を議論する、ことには関心ないです。

以上を前提にした上で、創世記の6日間創造について書いてみます。
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