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神の国(おまけ)

『彼らはそれを整えて,朝から真昼までバアルの名を呼び続けて言った,「ああ,バアルよ,答えてください!」 しかし,何の声もなく,答える者もなかった。そして,彼らは自分たちの造った祭壇の周りをよたよた回り続けた。そして,真昼になると,エリヤは彼らをあざけって言いだしたのである,「声を限りに呼べ。彼は神なのだから。彼はきっとある事柄に関係しているのだ。それに,排せつ物があるので,屋外便所に行かなければならないのだ。あるいは,もしかすると,彼は眠っているので,目を覚ますべきなのかもしれない!」それで彼らは声を限りに呼ばわったり,彼らの習わしにしたがって短剣や小槍で身を傷つけたりして,ついにその身に血を流れ出させるようになった。そして,真昼が過ぎ,穀物の捧げ物をささげるころまで預言者のように振る舞い続けたものの,何の声もなく,答える者もなく,注意が払われることもなかった』

・・他翻訳に比べ、バアル崇拝者を嘲る言い回しがいい感じに強烈なのは新世界訳なので使ってみました。新世界訳らしいといえばらしいです。

気まぐれで官僚的、先見の明がなく場当たり的な神=えほばとは、この組織限定の神、この組織が作った神にすぎないものだったんだなー、としみじみ思います。

王国が来ますように、という祈り自体は聖書にあるものの、1914年から、重なる2つの世代の内に、などの解釈は、聖書に基づいていると言いながら聖書の所々の字句に勝手に意味付けしただけで、どうにでも変えられるもので、実際に何度も変えてきました。

最後の使徒は「主イエスよ、来てください!」と呼び求めたが、預言者ではないと言いつつ預言者のように振る舞い、独自の解釈と発声を使って「来てください!答えてください!」と、自分たちだけを救って自分たちの正しさを証明してくれる“王国”を呼び求め、生活や心身を削り、独自の習わし(ルールや決まり)で互いの内でも傷つけ傷つけられても耐えることが尊い犠牲と、今や布教では牛歩しながら「よたよた回り続ける」彼らを見るとエリヤの言葉を思い出してしまいます。

1975年にも、1914年の世代の内に来なかったのも、眠ってたか、旅行中だったんでしょうか。

ここまで言っておいてなんですが、自分も預言者ではないので、エリヤのように彼らを嘲る資格はありません。聖書は嘲る者が嘲りと共にやって来る、とも警告しています。

聖書を使って罵り合うのは本意ではありませんが、神は偽りません。
偽りを使って導く、試すこともしません。

偽予言を宣伝させ、それをただの人の過ちであると認めて謝罪する、という当たり前のことができないばかりか、次の解釈を捻り出しては神からの新たな光と称し、今度こそは真理であると繰り返し宣伝させて嘘を塗り重ねるのは、自らを神懸った存在に仕立て上げているからでしょう。



映画ウォーターワールドで巨大な廃船をアジトとする組織でそれを漕ぐ手下たちに必要なのは「希望」だった。ドライランドはまだなのか、と不満を募らせる手下たちに、自分には神のお告げがある、この方向に漕げばドライランド=楽園に行ける!と大仰に演説するリーダーに側近が一言。

「そんな言い切っちゃって、外れたらどうすんですか?」

「次のを考えるさ」
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No title

随分前に見た映画だったけど「ウォーターワールド」に
そんな場面ありましたか また みてみよー
「希望」て言うと いつも思い出すのが
ナポレオンズの手品 パルト小石が「この袋の中に人類にとって
なくてはならないものがあります」て行って ボナ植木が袋の中から取り出すのが 長い木の棒です
この希望のほうがJWのいう「希望」より現実味があり
人を納得させますなあ

Re: No title

希望はあってもいいですが、それを対価に忍耐と労働を強いる、外れたら次のを考える、という構図が似ていたのでふと思い出した映画でした。
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