神の国①

JWは神の王国=政府、と言います。どうしても政府という、聖書中では人間の支配にしか使われていない俗っぽい用語で説明したがります。今年で設立100周年だそうです。

結論から言うと、神の王国(バシレイア)とは「キリストの支配また王権そのもの、広義においては、その内にいる人々の集合体」ではないかと思います。

イエスは『わたしのバシレイア(国、王権)はこの世のものではない』と言ったので、ピラトは『それでは、あなたはバシレウス(王)なのだな』と問い返しました(口語訳)。

聖書での使われ方からのイメージとしては、バシレウスとバシレイアは、フィロス(友)とフィリア(友愛)の関係に似ていると思います。 friendが形ある存在としての「一人の友」であるのに対し、friendshipはその人との関係において存在する見えない概念です。

バシレウスが一人の存在であるkingを指すように、バシレイアとはkingshipのこと ⇒ 「王であること」に伴うすべて、その王の支配・権威・威光と、それが及ぶ領域のことかと。

物理的な意味では、その王の威光と支配が及ぶ領土= kingdom(王国)のことでしょう。

しかしイエスは自分のバシレイアはこの世のものではない、と言いました。

『ひとりの友の友となるという成功を勝ち取った者・・彼の歓喜に声を合わせよ』

その人を友として受け入れ、同時にその人からの信頼も勝ち得た人にとって、その友情=friendshipはここを!とか、あそこに!とか場所を指して人に宣伝する類のものではなく、目に見えない仕方で、その関係が築かれた人と人との間 = ただ中にあります。イエスも、弟子たちは自分の奴隷ではなく、友であると言いました。

イエスのkingshipも双方向です。イエスを主また王として認めることと、イエスからも受け入れてもらえることです。そうすることで、物理的な領土を持たないイエスのバシレイアも、それを受け入れ、また入ることを許された人々の「ただ中」に存在することになります。その機会を与えられながら意味を悟らず、戒律実践主義に固執したパリサイ人は入ろうと努めながら入れなかったのでしょう。

王国=政府という俗っぽい説明をまず聞かされてしまうと、friendshipと同じように「見える形」ではない概念としての側面をも包含するバシレイアの豊かさは理解しにくいようです。

マタイ福音では天の国を説明するのに幾つかのたとえが使われています。

種をまく人・からし種・パン種 ⇒ 原因と結果(成長と腐敗・雑草が混ざり合う)
隠された宝・真珠を探す商人・漁をする網 ⇒ 価値あるものを探し出す、分別されること

政府を連想させるようなたとえは、どこにもありません。

『人の子は自分の使いたちを遣わし・・すべてつまずきのもとになるものや不法を行なっている者を自分の王国から集め出し,それを火の燃える炉の中に投げ込みます』(新世界訳)

その王国には不法を行なってつまずかせる者さえいて、収穫の時に集め出されます。

神の王国が諸国家を殲滅する=ハルマゲドンとリンクさせる解釈は主に旧約とヨハネ啓示から来ているようです。続きにします。
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神の国について

江礼宮夫さんの「羊の藪にらみ」の本の中164pに 神の国について書かれてあったので 書いてみます
「神の国は、成長し創造してゆくこの世にあります。この私たちが
いきている現実のなかで、共感し受容し和解しながら流動・変動しながら、私も世界も成熟して行くのが、イエスの教えた神の国だと思います。決して彼岸の国ではないし、人の心の中だけの自己救済ではないのです。私と(人・世界)との間、隣人関係にあるのです

Re: 神の国について

> てなもんやさん

> いきている現実のなかで、共感し受容し和解しながら自分も世界も成熟して行く

いい言葉ですね。あの世(楽園)とこの世を隔ててしまうのではなく、この世の
延長にあるものとして受け止めることも可能ではないかと自分も思います。
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