辞めない勇気

一昔前、NHK制作ドラマ「ハゲタカ」を観ました。ストーリーはうろ覚えです。

主人公?(芝野)はエリート銀行マンだったが、銀行の在り方や腹黒い上層部、その中でやれることの限界を感じて潔く辞表を出す。上司からは「お前はカッコよすぎる、だからダメなんだ」と、同僚の1人には「辞めないのも勇気だ」と言われます。

大手家電メーカーに移籍するが、そこでも経営不振のため、冷酷なコストカッターの役目を負わされ、自殺者まで出る。さらに外資の手が入り、創業者が築いた会社を金づるにすることしか考えていない新経営陣からはさらなる合理化を迫られる。

今回は辞めなかった。別のファンドと手を組み、経営陣を出し抜くエンプロイーバイアウト(EBO)を画策する。そしてEBOを優位に進める上でキーマンとなる従業員の情報をこっそりファンドに流す。ファンド側も「芝野さんがまだ内部にいることが我々の最大の強みだ」と語る。さらにその従業員とファンド側が水面下で接触する御膳立てもします。

ただのフィクションですが、この話にあえて聖書を絡めてみると、彼の行動は「罪」です。おそらく雇用契約に基づく社内規定の違反とか、中途半端にバレれば懲戒解雇になるだけでなく、民事で損害賠償を請求されるリスクもある可能性を考えると、安易に他者がそうするよう勧めるとか、生半可な覚悟ですることでもないと思いますが。

「決まり事の字句を遵守 = 義 = 善」 「字句違反 = 罪 = 悪」

「罪と愛」の記事でも書きましたが、↑に固執するJWなら絶対やらないでしょう。でも彼らに限らず、上層部が腐っていようが会社から給料を貰っている訳で、会議で正々堂々と意見してダメなら潔く辞めて他の会社を探せ、という考えの人もいると思います。そうすればこの人は「義なる人」でいられたのかもしれませんし、そのことでその人を悪く言う事もできないと思います。

でも外資に牛耳られた経営陣に自分一人の意見など通るどころか、クビを切られ揉み消されるのは見えている、もう自殺者まで出ている責任を感じ、その立場にある内に冷酷な合理化に歯止めをかけるべく水面下で動いたのだと思います。今度は「辞めない勇気」だったんでしょう。

この世は、自分一人が義人や聖者でいられるような、正論だけで生きていける場所ではありません。以前にコメントで紹介して頂いた「大胆に罪を犯せ」という賀来牧師の説教を思い出します。イエスのたとえ話に出てくる主人は、クビになった後も生きていくために必死で人脈を作ろうと、その立場にある内に主人への負債額を減らして債務者からの好意を得ようと画策した不義な奴隷をほめ、イエスも「この世の子らは光の子らよりも賢くふるまっている」と言いました。

ドラマのようにうまく行くことはないにしても、人の組織は、人のやり方(=この世の子らの抜け目のないやり方)である程度変えることもできる、というのはあると思います。レイ・フランズの記事でも書いたように、何かの組織でそれなりのポジションにある人にとってはの話ですが、潔く自分一人辞めるだけが責任の取り方でもないのかもしれません。
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そうですね

内部改革派と言われる人たちがいますね。

自分も長くそのスタンスでしたが、
しかし、神権統治を掲げるこの宗教でそのアクションは果たして意味があるのかな?
と考えるようになりました。

神がなにも動かないのであれば、神の統治をイデオロギーとする集団の中で
人間による改革を目指しても意味がないのではないかと。

自分は単純にそこにたどり着きました。

Re: そうですね

> スナフキンさん

人の作った宗教組織の誤りなど世の中にいくらでもある訳で、神の組織を作ろう、
神の組織のあるべき姿に改革しよう、としたところでむなしいだけですよね。

改革というより被害抑止という目的で当面の間、留まるかもしれない人を想定して
書きました。さらに具体的に言ってしまうと情報を提供する人とか(賛否両論はある
でしょうが)。児童虐待や寄付決議の裏指示等が出回ったことでもこの組織の実態が
されに暴かれたようですが、まあそれがなくてもこの組織の衰退は避けられない
でしょうね。
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