原始キリスト教②

三位一体で、神学を知っているクリスチャン相手にJWが手こずる聖句はヨハネ福音と啓示に多い。ある現役さんが「なんでヨハネってこんな紛らわしいこと書いたの?」とボヤいていたのが面白かったです。いきなりイエスがロゴスで神ですから。

『クリスチャンがどの書を受け入れるべきかに関して論争が生じたのは,西暦2世紀の半ばにマルキオンのような批評家が出てからのことでした。マルキオンは自分の教理に合った独自の正典を作り上げ,使徒パウロの手紙の幾つかと,一部を削除したルカの福音書だけを取り上げました』(JW霊感)

WTは新約正典化に至るまでの異端排除にはあまり触れません。↑は数少ない例です。いろんな人がいろんなことを言い出す揺籃期にあった原始キリスト教時代を経て、すでに広く読まれていた数々の書簡を正典(=権威)として結集する目的の一つが、教会の一致と異端排除にあったのであれば、新約(写本)は一字一句無謬である聖霊の産物としながら、それと並行して発展した神学を全否定する整合性がないのに気づかれてしまうからでしょうか。

マルキオンを「批評家」と呼ぶあたり、クリスチャンとは呼んでやらねぇ、異端としても認めねぇ、という空気を感じます。自分たちが異端でさえない(キリスト教でない)と言われると反論するのにね。

三位一体だけでなく、キリストの贖罪も、パウロ書簡をメインとする新約に基づいて発展している。

ユダヤ人は「モーセ」の実践をメインに贖罪として動物を屠ってはきたが、人=メシアが死ぬことに関連付けた人なんていないのかもしれません。預言者たちにある詩的表現を贖罪者としてのイエスの死に適用する理解は後代の新約筆者、その多くはパウロによって明らかにされていると思います。

ペテロもイエスが死ぬことの意味が分からず怒られる、復活後の弟子たちも「イスラエルに王制を復活させるのまだすか」と軍事的英雄としてのメシアしか眼中にない。“初期クリスチャン”が十分に理解も教えもしていなかったというなら、キリスト論も贖罪論もそう大差ないような・・ユダヤ人信者共同体は神殿での贖罪や儀式、律法の実践を続けるとヤコブは宣言している。

新約は「わたしは速やかに来る」との預言者ヨハネ?の宣託で終わっています。当時のクリスチャンには自分たちを迫害する邪悪なローマ世界(当時の全世界)がすぐに滅びて理想郷ができると信じた人もいたでしょう。でも100年、200年経ち、地上の楽園の速やかな到来は否定された。

島先氏も「新しい天と新しい地」が地上も含めた神の管理の回復である可能性を認めつつ、『アウグスティヌスは、当時一般的だった「この世的終末論」に反論しました。当時のクリスチャンは、自分たちの様々な欲望が、来るべき地上の御国で満たされると単純に考えていた』と指摘する。

JW指導部は楽園が来たら、あれもできる、これもできる、それをたっぷりイメージしろ、そのイメージで満足しろ、と様々な欲望を煽りながらそれをサタンの世で満たすことを禁じ、今はひたすら組織拡大のために布教せよ、それが楽園への道である、と信者を教化することに余念がない。

確かにある意味で、初期キリスト教の繰り返しなのかもしれません。

そんなに初期や原始が好きなら、長老制さえ取らず、エホバの証人という名称や輸血拒否教義の採用、独自の聖書訳を作る前の“初期聖書研究者”はどこに行ったのか。彼らは教えていなかった、として輸血拒否教義やエホバの証人という名称を捨て、権威に縛られない純粋な聖書研究に立ち返ろうとする人がいれば、解釈の発展?に付いて来ない背教者呼ばわりですよね~。

モーセによる原始ユダヤ教と口伝律法も実践していた1世紀のユダヤ教もかなりの程度、別物です。聖書より高い権威として振りかざされるWT協会の印刷物や、コロコロ調整されては、廃棄⇒更新される膨大な指示書の集積など、口伝律法よりタチが悪い。
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