法律上の器

「『忠実で思慮深い奴隷』とその統治体は,法人に付与されているものよりも高度で,はるかに包括的な関心事をゆだねられてきました。そうした法人組織の定款には,それぞれの法人の限定された業務範囲が明示されています。しかし,わたしたちの主イエス・キリストは,忠実な奴隷級を任命し,ご自分のすべての『持ち物』,つまりこの地上における王国の関心事すべてをつかさどらせてこられたのです・・ペンシルバニア法人に関して,バー兄弟はこう付け加えました。『ペンシルバニア州のものみの塔聖書冊子協会は,1884年の法人設立以来,現代のエホバの証人の歴史において重要な役割を果たしてきました。とはいえ,この法人は,『忠実で思慮深い奴隷』が必要に応じて用いる法律上の器にすぎません』」(2001年ものみの塔)

奴隷級 ⇒ 消滅・・7、8人足らずの統治体のみ

主イエスは彼らにすべての持ち物を委ねた ⇒ まだ委ねてない

主の行動まで言い切っておきながら、こうも“真理”が都合よくコロコロ変わるのも理解不能ですが、注目したいのはそこではありません。

建前上、WT協会とは法律上の要求を満たすことで、その保護や恩恵を受けるために利用している“法的な器”に過ぎないので、WT協会がなくなってもJW組織はなくならない、と言います。

本当にそうかどうか、知りたいですね。

初めはそうだったのかもしれませんが、組織が作り、息を吹き込んだWT協会と、肥大化したその資産が、それ自体を野獣の像のように振る舞わせている一因ではないかと懸念します。

子羊の角のような物柔らかさと人を引き裂く二面性を持ち合わせています。

「誰がこの組織に等しいだろうか」という自画自賛の教育がエスカレートしています。

自分が勧めるまでもなく現役さんの間で進行しているのは「非暴力・不服従」のようです。

一昔前の反対者さんのようにKHや大会に殴り込みをかける人もいないでしょうが、この場合の非暴力とは「表立って反抗しない」ことです。一方で不服従・・自分の良心に反する組織の決めごと・要求には服従(協力)しない、という姿勢です。

当たり前ですが、この組織の要求には「せよ」と「するな」の二通りしかありません。大きな違いは「してはいけない」ことを「する」と宗教裁判の対象ですが、「しなければならない」ことを「しない」だけでは裁けない、ということです。

排斥者と食事を「する」と裁かれます。

輸血を「する」と裁かれます。

でも集会に出席「しない」では裁けません。

一番のダメージは、像に成り下がったWT協会への寄付を「しない」ことでしょう。

宗教法人格を利用しながら寄付の使途や不祥事を公表しない協会、信者一人あたまの提示額に基づく事実上の強制決議を強行し、純粋に会衆のためだけの寄付をできなくする指示におかしいと感じる人もいて、現役ブロガーさんも増えています。

WT協会が弱体化すれば、この組織が生み出していると批判される被害の多くはなくなるのではないかと考えます。神の救済が、巨額の資産や不動産、法人の特権階級に依存するはずもなく。
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