理想郷

少し前にドラマで取り上げられたことで話題になりました。

『オメラスから歩み去る人々』

オメラス・・ある短編で描かれる架空の理想郷。上下関係も貧富の差もない、誰もが幸せに暮らす理想郷。でもその町のどこかの地下に陽も差さない、固く錠で閉ざされた暗い牢屋がある。そこに一人の子供が、汚物にまみれる劣悪な環境に幽閉されている。その子がそこにいなければならないことは、みんなが知っている・・とにかく、彼らの幸福、町の美しさ、友情の優しさ、子どもたちの健康・・そして豊作と温和な気候までが、すべてこの一人の子どものおぞましい不幸に負ぶさっていることだけは、みんなが知っているのだ。誰もその子を助けることをせず、自分たちの理想郷を謳歌していた・・

この寓話を自分が経験した宗教団体に適用すること自体、程度が低くておこがましいのですが同じような空気を何度も肌で感じましたね。

「○○さんはJWではなくなりました」

その発表がある度に一瞬、何かが張り詰める。でも集会後には理想的なクリスチャンの優雅な交わりが始まる。理由は知らない。誰も話題にしない。何事もなかったかのように。昨日まで兄弟、真の友だったはずの人がその一言でもう存在しないかのように、仮に集会に来てもあいさつどころか目を会わせることなく空気のようにすれ違う。

理由は知らない。聞いてもいけない。声をかけてもいけない。でも誰もが知っている。そのルールを守ることがこの理想郷を維持する絶対条件なのだ、ということを。そしてその秩序に逆らえば明日は我が身ということも。

権威によって成り立つ秩序・組織には程度の差はあっても、少なからずあるんでしょうね。情報を厳重に管理し、秘密裏に裁き、秩序を乱しかねない事実を構成員と社会の目に触れさせないようにする牢番たち・・それが組織と、組織の恩恵を受ける者たちのためと信じて・・

他方、以前の記事に書いたように、聖書は失われた百匹目の羊が見い出されるとき、残りの99匹以上に天で歓びが生じる、とあります。社会や組織全体における幸福の最大量が優先される、というのは聖書の精神ではありません。この世で組織立つことの代償とはいえ、神の唯一の経路と称する団体が同じやり方ではお粗末ですねぇ・・

その事実を知って組織を去る人々、それはオメラスを静かに歩み去る人々と同じ心境なのかもしれません。まあ表に見えてる部分でもう理想郷から程遠い、というのもあるんでしょうけど。腐った上下関係も霊的貧富の差もイジメもありまくりだし。次々に去っていくし。

オメラスに留まる人が悪人とも言い切れません。正義感ゆえに事実を知って苦しみますが、自分一人の正義感を満足させるためにその子を救い、代償として住民すべてに災厄が臨むようなこともしません。だからその代償の上に成り立つ繁栄を一層、貴重なものと認識するのかもしれません。

知った上でそこまで開き直ればまだ潔い、と思います。その子を見ても「神を待つ」とか「ふさわしい時に正される」なんて自己欺瞞を繰り返す人たちよりは、の話ですが。少なくとも自分たちの“一致”がどんな犠牲によって成り立っている(きた)のかを知った上で判断してほしいものです。

なんて言ってる自分も、先進国から見れば奴隷のような劣悪な環境で作られた果物やコーヒーを、そんなの知らないフリして嗜んでいる訳で・・だからこそ、不都合な情報を隠蔽しながら自分たちだけ美化するきれい事ばかりを言うどこかの組織を宣伝する気が失せたのも事実なんですが。
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