優越感

JWが人を集める要因の一つ・・それは精神的優越感を与える教義でしょう。世の人は、真の神も人生の真の目的も知らずにもう哀れすぎる一方、自分たちは唯一の真理を知り、祝福された最高の組織にいる。

『人類の大多数が闇の中を歩いているのとは対照的に,わたしたち神の霊的な光の中を,喜びをもって歩み続けています』・・7月1日の「日々の聖句」より。

もとの聖句は神を光と真理の源として称えるものですが、も塔注解文では組織を高め、それ以外の人を見下す文章にすり替わっています。「日々の聖句」とはいっても、聖句は断片的に2~3行、その10倍くらいのも塔注解文、しかも↑のようなフルスイングな解釈を読まされます。

組織は高めますが、個人には罪悪感を抱かせます。唯一無二の神の組織、でも自分はそんな組織の励ましに十分応えていない、もっと頑張らなくちゃ・・この二面性を使い、依存度を高めます。

ある親は、組織に疑問を感じてJWを離れようとする子供に「エホバの証人をやめるなら、わたしたちを見返すくらいの生き方をしてみなさい」と言いました。残念な教育が生み出す、残念な愛情ですね。もうちょっと爽やかに送り出してあげられる懐の深さはないんでしょうか。

見返すくらいの生き方・・??おそらく社会的な成功や地位に加え、この生き方はエホバの証人よりも幸せだと言い返せる人生・・そんなところでしょうか。

何の優越感の張り合いなんでしょうか。

JW人生が見返さなければならないものには思えないんですが、依然としてJW思考の根底にあるのはこの選民としての優越感です。冒頭のも塔注解文のようにすさまじく主観的なので反論しようがありませんが、客観的な根拠に乏しく理解されないこと自体を「狭い道」だと思い込む、生活はカッツカツでもプライドは高い状態です。武士は食わねど高楊枝ってやつですか。

組織にはダメ人間と思い込まされて表向きは腰が低かったりしますが、大好きな組織(神ではない)が批判されると強力な選民モードが発動します。ダメなのは自分であり、間違いを犯した人間であり、絶対に組織じゃない、のです・・・・逆だよ、逆なのに。

『安息日は人のために存在するようになったのであり,人が安息日のために存在するようになったのではありません。ゆえに、人の子は安息日の主なのです』

集会は人より偉くないのにどうして休む人が責められるんでしょうか。

最終的にJW思考から抜け出すとは、JW人生に勝てる何かを見つけてやろうとか、見下げてやろうとかじゃなく、その優越感の張り合いのスパイラルから降りるということであって、JW組織を相手にしようとも思わなくなれば、ほんとうの卒業でしょうか。情報提供、被害抑止、信者救済、などの目的があって長く続けてくださる方も貴重ですが、自分も経験者の一人としてとりあえずは書ける所まで書こうと思います。
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No title

>ある親は、組織に疑問を感じてJWを離れようとする子供に「エホバの証人をやめるなら、わたしたちを見返すくらいの生き方をしてみなさい」と言いました。

こんなの、一般人になれば、簡単なこと。
技術を身につけ、会社で働き、税金、年金を納め、政治に参加するだけでいいのです。

JWのどこが立派なのでしょうかね???

Re: No title

> zilogさん

> 技術を身につけ、会社で働き、税金、年金を納め、政治に参加するだけでいいのです。

そうなんですよ。

ただこの組織、高等教育を否定する割には高学歴の人、弁護士・医師・企業役員やその経歴を持つ少数の人を重用するダブルスタンダードがありまして、いちサラリーマン程度の人生に何の意味があるのか、と見下すような潜在意識があるんです。永遠に見下げてればいいんでしょうが。

一方で進学や普通の就職を制限されるほとんどのJWはその当たり前のことをするのに苦労していしまい、その挫折をサタンの世の不公平さ・虚しさに置換させ、世を見下げて虚構の選民思想に浸れる場所は他にないと思わせるのがWTの戦略のようです。

たまねぎ

えーと 前にも書いたような書かなかったような 河合隼雄さんの
「おはなし おはなし」から

玉ねぎ

玉ねぎは特有のにおいをもっている。それは時に「くさい」と表現したくもなる
すべての宗教はくさみをもっているし「うさんくさい」傾向さえもっている。しかし、
それが玉ねぎの特徴だ。時々、「私どもの宗教は合理的・科学的に正しいことが
証明されています」などと主張する宗教があるが、あんなのは「わたしどもは、
無味無臭の玉ねぎの育成に成功しました」というように聞こえてくる。
素晴らしいことかも知れないが、食べる気はしないだろう


今のJW組織には無味無臭に近いものを感じています

Re: たまねぎ

> てなもんやさん

合理的、科学的であろうとしたらそれ、もう宗教じゃないですよね。

ある優しいカトリックの方が、みなさんはいろんなことをとても上手に説明なさいますが、
それだけ信仰の余地がなくなっていると感じますと言ったら、

信仰は論証=証明であることも知らないのか、その程度のことしか言い返せない、勝った!
と仲間内の自慢話で高らかに勝利宣言した現役さんがいたようです。
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