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批判の在り方

前にも書きましたが、JW批判ブログには様々なスタンスがあります。

組織を下に見る余裕もできて、時には笑いのネタにする方もいれば、組織で受けた不当な仕打ちを真摯に訴える方もいます。自分は神を求め続ける、というスタンスで書いていますが、そうでない人もいます。1世か2世かも大きな違いです。

なった理由もやめた理由もそれぞれであれば、批判するスタンスもそれぞれではないかと。

例えばですが、ある人が自己流にデータを解釈して、数年以内にこの地域は大地震と大津波に襲われる、家も仕事も捨てて逃げるべきだ、と警告したとします。

逃げるかどうかは神への愛とかじゃなく、「その人」を信じるかどうかでしょう。神を愛していなくても逃げますよ。助かりたいという気持ちが利己的でしょうか。

JWのハルマゲドンばかりを強調してきた布教はそれに似ています。最初は命を救いたい一心で警告したのかもしれませんが、誤警報を繰り返して信じた人に経済的な損失を与えながら、活動費を請求し始めて具体的な使途は公表しない、そしてまた懲りずにタイムリミットを設定する・・こんなことを続ければ良い動機で済まされる問題ではありません。

だから「人生のあの時間を返せ!」という気持ちも痛いほどに分かります。その人に神への愛はどこへいったのかと問うことすらナンセンスです。そういう勧誘をしてきたのはJWの方なので。信じた方にも責任がある、なんて悪質な勧誘で投資詐欺に騙された人に言えますか。



とはいえ、「打倒JWという目的があるんだから一致しようぜ?」なんて言うつもりもありません。「今は内輪もめをしている時ではありません。敵はサタンと背教者です」という彼らと何が違うのでしょうか。自分はパウロに、いやアポロに、と人に付いて行こうとする傾向もです。組織から抜け出しても、長年染み付いた思考パターンから抜け出すのは容易ではありません。

パウロとバルナバが意見の相違で「怒りが激しくぶつかった」とあるように、血の通った本音の意見をぶつけあえること、これが表向きの一致ばかりを重視するこの組織で禁じられていたことであり、しかも少しでも序列が上の人間にそれをすれば、神への反逆と裁かれるのです。

非JWにいろんなスタンスがあるのは当然で、神、聖書、宗教、組織、信仰、批判の在り方・・・そういう事についての考え方は千差万別です。自分たちは何が何でも見かけの一致のために個を裁く権力支配の束縛から自由になりました。そこに戻る必要はないと思います。

一方で、JW経験者が共通の痛みを通じて仲間意識を持ったり、ある程度団結したりするのもごく自然です。同じ薬害を経験した人が原告団を作る場合もありますが、プライベートで仲良くなったり、別の製薬会社を作りたい訳でもないでしょう。被害の度合いもそれぞれ、そこまでできない、という人もいます。JW批判の在り方や、自分がどう関わるかは、それこそ自己責任なんでしょうね。
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No title

(HNをカナ表記にしました)
いつも興味深い考察ありがとうございます。
批判のあり方、また他の人たちとの関わり方など、考えさせられますね。私がまず第一に思うのは、傷つけられた二世の心が癒されることなのですが、このやり方でいいのかどうなのか、日々思い悩み試行錯誤しながら記事を書いているところです。

もしできればこの記事を私のブログでご紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか。

Re: No title

> エシ後屋さん

よければ使ってください。自分のブログは批判色が強いですが、いろいろな方との
関わりからスタンスも微妙に変化してきました。とりあえず、自分は自分の魂の声
を書ける所まで書こうと思います。

No title

GUABELLOさん

自分もこの分野、難しいなと思うことは多々あり、なんかもやもやしたものを抱えていたのですが、GUABELLOさんがココで言っておられることに100パーセント同意です!

いやー!スッキリしました!

ほんとにそうだと思います。

いろんなスタンスのブログがある。それこそがJWが生み出してきた実であり、
それが仮にある人にとって醜いものであったとしても事実なのですから仕方ないのですね。
一社会人としての節度は守る必要はありますが、それぞれが正直に自分の意見を述べればいいだけのことであると思います。

読み手には読み手の責任があると思っています。

Re: No title

> スナフキンさん

自分のブログも変化し続けていますので、他のブログがどうとか言う立場にありませんが、
1つの決まった方向性にまとまる必要もないのでは、と感じることもあります。

自分も含めてですが、社会通念から隔離され、神の名をいたずらに背負わされてあらゆる
思考・言動を統制されてきた訳ですから・・そこから解放されたからといって何もかもが
許されるということもありませんが、本当の意味で自分で考え、自分の責任において決める、
当たり前のようで、難しいですね。

No title

内容の深いブログを拝見させていただいております。
エシ後屋さんのブログにもありましたが、GUABELLOさんの記事にもたいへん納得です。
大変、共感しましたので、私のブログにも紹介させていただきました。
何卒、よろしくお願い致します。

Re: No title

> プアマナさん

なんか自分でも明確な結論がある訳でもなく、感じたことをありのままに
書きましたが、紹介していただきありがとうございます。

真艫な考え

http://ameblo.jp/maruyamakanji/
自分自身以外の誰かの力に頼ろうとしたり、すがろうとしたりする、ちょっとした心の隙を放置しておくと、たちまちろくでもない他者につけこまれ、心や精神のみならず、ときには魂そのものまで乗っ取られてしまい、為政者や教祖や実業家や皇族や国家や著名人のカモにされたり、〈生きているロボット〉か、さもなければ、〈自分から買って出た奴隷〉と化してしまいますが、それにしてもその人数のなんと多いことでしょう。
 これはあくまで私個人の印象なのですが、日本人の大半がそれのように思えてならないのです。そうでなければ、勝てるはずもない先の戦争も、あの原発犯罪も、心の貧しさを後回しにした経済的繁栄も成り立つわけがありません。
 強者にすがろうとするのは、弱者の常なのですが、しかし、実際には弱者などではなく、弱者のふりをしていたほうが楽だからという、潜在的な強者の予備軍なのです。尊厳や権利をしっかりと身につけた、一個の独立した存在、自立をめざす人間らしい人間の方向へとおのれを少しでも近づける努力を最初から放棄し、いかにもそれらしく思える、腹黒い他者に心身を委ねてしまうのは、愚劣であるばかりで卑劣なことなのです。その意味において日本人は品格のかけらも持ち合わせていないことになり、相手によってころころと立場と意見を変える、実に信用ならない国民ということになるでしょう。そして、世界の国々から露骨にそうした眼差しを向けられ、孤立の立場に置かれている自国に気づいたとき、だしぬけにヒステリックな答えを出し、つまり、愛国の精神とやらにしがみついて劣等意識を拭い、国民の優位性を旗印に、敗れて当然の戦争を仕掛けるのではないでしょうか。そして今、その兆候があちこちに感じられてならないのです。

Re: 真艫な考え

> Shinkoさん

経験者としてこの団体について言えば、生きているロボット(2世)と、自ら買って出た奴隷(1世)です。確かに、思考や良心を預けてしまえば楽です。弱者の皮を被った強者もいます。

自由意思と神や信仰との関係は聖書のテーマの1つと感じています。この団体に教えられたように、自由意思で自由意思を放棄するかどうか神が試している、とはもう考えていません。

周りと同じにしてれば安心、という傾向は日本のJW社会でも強く、異様なものを感じました。JW程度では世間で話題にもなりませんが、実情を知る経験者やその家族からの批判が流れのように増していて、ヒステリックな反攻に出るのか、穏やかな存続を図るのか、には少し興味あります。
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