裁きの復活

イエスのシンプルな教えメインでいいんじゃないかと思いつつ、難解なパウロ神学も嫌いじゃないんですよね・・どれか一つの定義(解釈)で自らを高めたり誰かを脅したりしなければ、特定の記述をどう捉えるかには多様性があってもいいんじゃないでしょうか。一致とは思想弾圧と宗教裁判ではなく、多様性を包含するものと信じたいです。

・・ということで前回の続きです。

JW解釈の不義者の復活とは、聖書を知らなかったから、とかJWに勧誘される機会がなかったから、復活してチャンスをあげるためだ、と言います。だから不義者の復活=裁きの復活ではない、と解釈しています。

繰り返しますがただの私見です。

JWに勧誘されたかどうかなんてちっこい話はどーでもいいのですが、聖書を前提にしても、聖書やキリストを知る機会があったかどうかさえ主要な根拠にはならない、と自分は思います。

聖書を知らない人すべてが悪人になる訳ではありません。その逆も然りです。聖書は道徳律も教えていますが、それを知らなければ道徳的になりえない、とは聖書も言ってません。

『律法なしに罪をおかした者は皆,やはり律法なしに滅びます。しかし,律法のもとにあって罪をおかした者はみな律法によって裁かれます。律法を聞く者が神のみ前で義なる者なのではなく,律法を行なう者が義なる者と宣せられるからです。律法を持たない諸国民の者たちが生まれながらに律法にある事柄を行なう場合,その人たちは律法を持ってはいなくても,自分自身が律法なのです。彼らこそ,律法の内容がその心に書かれていることを証明する者であり,その良心が彼らと共に証しをし,自らの考えの間で,あるいはとがめられ,あるいは釈明されさえしているのです。わたしが宣明する良いたよりにしたがえば,神がキリスト・イエスを通して人類の隠れた事柄を裁く日に,このことはなされます』

律法なしに罪をおかした者は皆、律法なしに滅びる、とあります。律法に焦点をあてていることから、キリスト以前のことも含まれると考えます。逆に律法を持たない人が生まれながらに律法にある事を行なうのであれば、「律法を聞かなかった」人がそれを言い訳にできるとも思えません。

それで神がキリストを通して人類の隠れた事柄を裁く日に、キリスト以前の人類も含めて義者と不義者の復活=命の復活と裁きの復活(イエス)・・がある、というのは自然に思えます。律法なしに滅ぶと宣告された者に「律法を聞く」チャンスをあげるため、とは書いてありません。キリストのはるか以前に書かれた伝道の書にもこうあります。

『若者よ,あなたの若い時を歓べ。若い成年の日にあなたの心があなたに良いことをするように。そして,あなたの心の道に,あなたの目の見る物事のうちに歩め。しかし,それらすべてのことに関して,神があなたを裁かれることを知れ

伝道の書には新世界訳でさえ「エホバ」が一度も出てきません。モーセや律法への言及も皆無です。その書に、すべてのことに関して神があなたを裁かれること(知ろうが知るまいが)を知れ、とあります。知らなければ裁かれないのですか。キリストが来てとりあえず復活して本命の裁きはその後だから知らない方がいいよ、とはならないように思います。

昔話に出てくるシムチョンのように、キリストが伝わる以前に「律法なし」でも孝行に生きた人はどうでしょうか。復活後のJW講座の受講態度がメインの根拠ですか。逆に裁かれちゃうかも、やめたげて~。
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そうですよね

物事を考えるにあたりシンプルに何を前提とするかを
積み上げていくことがあるかと思います。
神の存在
聖書の信頼性

そこらへんがおおきな前提になるかと思いますが、
とりあえず、神はおられる、聖書は正しいを前提として。
聖書の記述にもより大きな基本的概念があると思います。
ボクは 「神は愛です」 これが聖書の基本的理念だと思っています。
そして、公正、力、知恵と続く考えかた。 でも、ベースとして共通するのは愛であると。
であれば、
もし、特定の信条や団体に従うことを愛と公正の神が求めておられるのであれば
もっと、圧倒的な仕方で世界中の誰にも文句を言わさないような仕方で示さなければ
愛の神とは言えない。 
ヒジョーに難しく、ほんとかいな~ と思えるような怪しげな信条や規則を守らないと滅ぼすよ~
その団体の指導者たちに虐められてなくなく離れるような人も許さないよ~
滅ぼしちゃうよ~
という神であればそれは意地悪な神であり、とても、愛と公正の神であるとは言えません。

よく考えると以前からそうだったのでしょうけど、やはり、JWの教える神は
本来聖書が示している神とは異質の神であると思います。
奇妙な指示連発の今となってはなおさらにそう思います。

Re: そうですよね

> もし、特定の信条や団体に従うことを愛と公正の神が求めておられるのであれば
> もっと、圧倒的な仕方で世界中の誰にも文句を言わさないような仕方で示さなければ
> 愛の神とは言えない。 

そのような時期が唯一あったとして、それはシェバの女王も驚嘆した圧倒的なソロモンの知恵と繁栄だったのかもしれません。それもソロモン個人に依存するもので、そのソロモンでさえ晩年に背教しました。結局は個々の王の資質に依る所が大きい訳で、それは神ではなくユダヤ人が人間の「王」を求めた代償でした。旧約は基本的に反面教師という意味での「教え」なのだと思います。

罪深い人間から成る特定の団体が神の名を取り上げる(背負う)時代は終わったのに、自分たちの拡大と繁栄で神の名を揚げようとする旧約のやり方自体を見倣ってどうすんだって感じですね。バビロン捕囚から戻ったユダヤ人は数百年かけてパリサイ化しましたが、JWはそれを上回る速さで腐敗進行中ですね。
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