100周年?

組織信仰という狭い枠から出てJW教材を普通にチラホラ読んでみるとどうしても気になってしまうのが、(解釈上の)既成事実化です。

例えば最近、JW集会の教材として使用されている「エホバに近づきなさい」の本にもこんな感じの文章がさりげなくちりばめられています。

『西暦前607年,エルサレムが滅ぼされた当時の忠実なユダヤ人の気持ちを想像してみてください。愛する都は壊滅し,城壁は崩れています』

『イエスは,1914年に天の王国で即位してから間もなく,地上にいる忠実な神の民の霊的な必要に注意を向けました』


・・・どんなに奇抜だろうが根拠があろうがなかろうが自分たちはそう解釈している、とか信じている、というのは別にいいんですが、だったらキチンと、一般に認められている歴史年代と自分たちの解釈の区別が読み手側に分かるように書いた方がいいんじゃないですかね?

聖書には、これこれの出来事が西暦○年に起きた、なんてもちろん書いていない訳で、どうしてもそう書きたい、書く必要がある、というなら歴史や考古学に頼らなくてはならないのに、それと異なっていることを歴史的事実であるかのような言い回しで挿入するのはどうなんでしょうね。そもそも、西暦で年代を特定することが神に近づくのに必要とも思えませんが 。

1914年も当然、その解釈の上に成り立っている訳で、しかもその年にイエスは○○しました、なんて主の行動まで歴史的事実として書いちゃうことに少しはビビらないのでしょうか。

いわゆる「目ざめた」人たちの中には、エルサレム滅亡が一般の歴史ではBC586年とされていることさえ知らなかったという方もいます。まーJW解釈との関わりがなければ日本人にはマイナーな歴史だし、さらにJW教材では完全にBC607年が既成事実になっていて、その資料のみで教育されているから仕方ありません。

神の名を掲げ唯一の真理を教えると主張する団体が、解釈している・信じている、というレベルの事に言及するのにそんな偏った教え方でいいんでしょうか。

近頃は、王国100周年!とかもう完全に開き直ってますが、普通、○周年というのは創立何周年とか、当事者以外にも客観的に確認される事実に使われることがほとんどだと思います。わたしたちはとにかくイエスが1914年に天で即位されたと信じています!というのは全く自由なんですが、信じているにすぎないもの、しかも一般の歴史と食い違う解釈に依存する主張を使って、今年はイエスの支配100周年です!なんて慎みある宗教者が言うことなんでしょうかね・・
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No title

まったくその通りですね!

王国支配100周年とか言って喜んでる場合じゃありませんよ
終わりが来ると思っていたときから100年も経ってしまっているのですから

でも、祝!100周年とか繰り返しいわれていると
なんだかめでたい気持ちになってくるわけで・・・。

アホですね orz

Re: No title

さすがに100年を何事もなくスル―するはずもなく、小難しく見せかけた
何かの自己弁護的な記事でも出してくんのかなくらいに思ってましたが、
まさか「今年で100周年!」的な感じに開き直るとは予想外でした。

あ、でも100「周年」とは書いてないですかね。でも地区大会の内容を
みればそんな感じですけど。

ネタがもうないのか、それも計算なのか、予想を超えて残念なのか・・

No title

呆れますよね。

全く馬鹿な実現しない予言を言い出して、100年以上経ったわけです。

信者の皆さんもいい加減、気づいてほしいものです。

偽りの大いなるバビロンは何かということを・・・

No title

でも、自分の周りでもほとんどの人は
最近の相次ぐ組織上の変更もかえって終わりが近いことの証拠だとまじめに信じてるみたいですよ

そして、組織はタッキングを繰り返して前進しているのだ、と。
終わりが近いので、疑いを蒔こうとサタンが躍起になって頑張っている、と。

・・・・・・・・。 なんも言えねぇ。

笑うに笑えませんが

でも、何かを信じ込むって結局そういうことなんだろう。

と、妙に納得してしまう今日この頃です。 (-.-)

Re: No title

> zilogさん

「王国を求めてきた100年」とか言いますが、

「偽予言を繰り返してきた100年」ですね。

求めるのはいいとして、神の名を掲げて偽りのタイムリミットを
何度も宣伝したことへの反省はないようです・・

Re: No title

> スナフキンさん

エホバかサタンかの二極論は、それ自体は完全に内部で自己完結してますから、
崩すのは難しいでしょうねぇ・・

ただ、より頑なになる人と、ついていけない人の二極化も進んでいて、コアな
人たちを煽りつつも、終わりが近づくにつれますますそうしようと聖書に書いて
あるのに、集会や大会の日数をますます減らしています。

今のところその両面性を上手く使い分けていますが、最終的にこのタッキング
(自分的にはただの迷走)がどちらに振れるのか、にはちょっと興味があります。
コアな人を残す強硬路線か、ついていけない人に譲歩する緩和路線か・・

No title

そうなんですよ

そこがまた理解に苦しむところなんです。

カルト路線まっしぐらに突き進むのか?

と、思わせておいて

まさかのこの世迎合路線でもあり

どっちなんだ?

実はそこら辺を曖昧にするところが実にうまいのかもしれませんね

なかなかたいしたもんです

だからこそなんだかんだ言って幅広い人々を囲い込むことができているのか

つくづく不思議な組織です。 まさしくこの世のものではない。

Re: No title

以前にオンラインゲームから抜け出せなくなる正負の報酬についてのとある評論とJW世界の共通点について書きましたが、少数のコアユーザー(開拓者や長老↑)が優越感に浸れる世界にするにはライトユーザー(その他大勢伝道者)の存在が必要で、コアユーザー向けにハードルが高すぎるとライトユーザーが離れ、ライトユーザーを獲得しようとハードルが低すぎてもコアな人たちのモチベがさがる・・長く続いている運営はそのバランスの取り方が上手いとか聞きますが、開拓時間の微調整とかのさじ加減はそれに似てるんじゃないかと・・

No title

 ものみの塔協会は、BC607年を、正しいことであるかのようにちりばめるんですよね。そうするといつの間にか正しいことになっちゃう。嘘も100回言い続ければ、本当になるといいます。故意的に行っているところが、非常に、怖い部分だと思います。

Re: No title

> ぴゅうさん

解釈は自由ですが、そろそろBC607を歴史的事実のように書くのはやめた方がいいですね。
もう後には引けないでしょうけど。
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