見つめる報い

まだ続きます。

死後や来世や楽園を目的にする宗教は力を失いつつあるのではないか、と書きました。聖書には人類の回復と解放、祝福された時代についての言及もあります。それは聖書のテーマの一つとはいえ、その多くは予言的また抽象的な表現で書かれていて、それがいつ、どのように成るのかはおぼろげにしか分かりません。

ゴッドリーなユダヤ人の主な関心は律法の実践にあり、個人で旧約の予言解釈に踏み込む人はあまりいません。いろんな人がいろんな解釈をすれば不和と混乱のもとになるからです。メシアについても、ユダヤ人の歴史でメシアと主張する人が現れては普通にお亡くなりになっているので、一人の人間というより祝福された時代を象徴的に表わすものと捉える人も増えているようです。

混乱を回避する一つの方法は、一人また少数の人間のみに予言を解釈する権限があり、信者がその権威に全面的に服従する、というシステムを作ることです。そうすれば周りに不和を撒き散らしても、その団体内部は一致できます。ただ某団体のように予言の解釈に踏み込んだところで外しまくるのがオチで、疑問や批判を許されない信者はその時々に言われることをただ宣伝して回るという、イエスが語った盲人が盲人を案内する状態になってしまいます。

最初から話がそれましたが、聖書を基本的に信じる人が、おぼろげに見える祝福された将来、そして「あなた方の場所(イエス)」=「天に属する場所(パウロ)」に穏やかな期待を抱くのは間違っていないと思いますが、細かな解釈に立ち入り過ぎて、いつまでにそうなるとか、その時にこうしている人は救われる、いや救われない、とか宣伝して回るのは信じるとか期待するとかの範囲を超えて神に先んじていることにならないでしょうか。

『キリストの非難をエジプトの宝に勝る富とみなしたからです。彼(モーセ)は報いを一心に見つめたのです』

聖書のせの字もなかった頃に彼が見つめた報いとは何でしょうか。WTは天に属する場所=神の王国の地上の領域?がどうたらとか言いますが、彼が今のJW解釈と似た何かを妄想していたとも思えません。楽園に復活して、自分を有名人扱いするよく分からない人たちにチヤホヤされ、毎日のように予定を組まれては順番にインタビュー的なことをされるとか、ゾウやライオンと戯れる姿を思い浮かべていたのでしょうか。

あえて言うなら、父祖アブラハムに与えられた、彼の胤=子孫が海の砂のように増え、約束の土地を受け継ぐという約束かもしれません。モーセはその地に入る直前に120歳で死にましたが、彼はその約束のゆえにその民と共に虐げられることを選んだのでしょう。

ではキリスト者が一心に見つめるものは何でしょうか。その後の文脈でパウロはこう語ります。

『わたしたちの信仰の主要な代理者また完成者であるイエスを一心に見つめながら』

ある意味での「地的な希望」を抱いているのはJWだけではありません。携挙に続いて生じる患難と裁きの後に、聖なる都市=新しいエルサレムが神のもとから下るとき?それが新しい地に戻ること意味していると信じるクリスチャンもいるようです。

いずれにせよ、抽象的な予言の解釈は千差万別です。どれかの説に基づくその人なりの捉え方でおぼろげな期待を抱くのはいいとして、聖書には「延期される期待は心を病ませる」ともあります。

思えばラザフォードも妄想が行き過ぎて1925年にモーセやダビデなどの「君たち」が復活するからと寄付を集めて豪邸を建て、誰も復活しなかったので自分のオフィスにして余生を過ごす⇒その後協会はちゃっかり売却してますね(ベト・サリムで検索)。今ウォーウィックに建てられている御殿も統治体様の快適なオフィスと余生を過ごす別荘になることでしょう。

この世と生を超えて何かがあるとして、それはおぼろげにしか掴めません。期待は自由ですが、それを勝手に宣伝しての人集めもちょっと無責任なのかなあと。
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