閉鎖的階級制度

2つのグループがあります。

1つのグループは「だれでも自由に意見を言える場」であることを規約としています。ところが、その中の1人がある事案について、「この件については自分の意見が絶対に正しい。反対意見をする人は考えを改めるべきだ」と強く主張します。この人の物言いに傷ついたり、萎縮したりして、自由に意見が言えなくなったと感じてグループを去る人も出ます。

それを見かねた他のメンバーは結託して、「ここは誰もがイーブンに意見を交換する場所です。自分の意見を強制するような発言を繰り返すなら、あなたの出入りを禁止します」とその人に通告し、実際にその人は排除されます。

別のあるグループは「代表者の意見が絶対でそれを学ぶ場」であることが規約になっています。ところが、その中の1人が「自由に意見が言えないなんておかしい。代表者の意見が間違っていることもある。規約を変えるべきだ」と強く主張します。

同じように他のメンバーは結託して、「ここは代表者の意見を守ることでみんなが一致する場所です。その一致を乱すような発言を繰り返すなら、あなたの出入りを禁止します」とその人に通告し、その人は排除されます。

多数により一人の人が排除された、という構図は同じです。では、どちらのグループが狭量なのでしょうか。難しいですね。一見、最初のグループの方が正しいように思えますが、「自由」を強制するのもアメリカ的です。自由主義・民主主義を絶対視して、それを採らない国家や宗教すべてを力で排除しようとすれば、それはまた別の支配です。

どちらのグループから排除された人も不当だと言いますが、不当に排除された、というのもちょっと違うと思います。どのグループにも内部規約があり、それが「正しい」かどうかは別として、それをちゃんと知らされた上で、同意して入った人が従わなければ排除されるのも仕方ありません。

でも、グループが掲げている公約自体に反するやり方で排除されるならまた違う話です。例えば、最初のグループは「だれもが自由に意見を言える場」と謳って人を集めているはずが、あるテーマで自分の意見を言っただけなのにそれがリーダー格とされる人物の不興を買い、密室に呼び出されその類の発言はしないよう圧力をかけられる ⇒「ここは自由に意見を言える場ではないのか」と問い返すと、その場で一方的に排除を通告され、グループには「○○さんはこのグループの一員ではなくなりました」とだけ発表される。しかもその発表には「一切の接触を禁じる」という暗黙の命令が含まれていますが、狭量なサークルと思われたくないので、対外的な公約には「メンバーでなくなった人を避けることはしません」としれっと書きます。

そんなやり方をするなら、「だれもが自由に意見を言える場」であるとの看板が偽りです。後者のグループのように「代表者の意見とその任命による序列は絶対 ⇒ 自由な思考・発言は禁止 ⇒ その一致を乱す人は排除 ⇒ 以後メンバーからの接触も禁止」と言っていれば、その代表者の信条に心酔して入った人も、間違っていることに気づけば自ら辞めるだけです。実際、初めから「この人が絶対的な教祖!」ということがはっきりしていて、それを公言している教団に比べ、JWを辞めた(辞めさせられた)人が声を上げている割合が多い一因はそこにあるのかもしれません。

『エホバの証人は、長年にわたって「あなたがたはみな兄弟」です、というキリスト教の創設者の指示に従っており、彼らの間には僧職者階級がありません』

↑のように、この組織が「キリストだけが指導者・創始者で、(他のカルトとされる教団とはちがい)人間の指導者はいない、上下関係もない、みなが兄弟であるミラクルな組織」と謳って人集めしているので、「騙された」と感じる人も多いのでしょう。対外的にも「組織の方針に反対する人に何かの措置を取ることはしていない」と言ってるようです。もうウソつき☆

なので、あるグループが狭量かどうかの判断は、ただ排除された人がいるかどうかよりも、公約の内容そのもの、またその表向きの公約通りに人を扱っているのか、ということによるのでしょうね。

『中世以来腰を据えてきた誤った閉鎖的階級制度を覆すのは容易ではない』

ある司祭の言葉を引用したものみの塔・・その誤った閉鎖的階級制度が暴露されまくりですよ。

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No title

「僧職者階級がありません。」
その部分は確かに正しいですが、その代わり、「が、長老を筆頭とした差別的ヒエラルキーが厳然として存在します。」という一文を付け加えて欲しかったですね(笑)
オーアールジーオーアールジー、と白々しく連呼した所で組織の宣伝と実態の格差は既に堰を切ったように世間に流出しています。インターネットは本当に素晴らしいですね。
ネットの無かった時代には声すら上げられない。批判も出来ない。「霊的パラダイス」と言われればそう思うしかない。泣き寝入りしかなかった。
ですが今は、一部の極悪な人間のやりたい放題などはネット上に白日の下に晒されていると思います。その事は大賛成です。実名すら公表してやればいいとすら思います。そうすればイジメの抑止力くらいにはなるのではないでしょうか。某会衆のように裁判沙汰にでもなれば、長老もその他の人間もおいそれとレリハラしなくなるかもしれません。
世間一般の企業でもパワハラ、セクハラなどの法令遵守の問題において、匿名でのホットラインなどを設けているのに、JWWTにはそれがない。長老が適当にあしらったり、「愛で覆いましょう」。手紙を支部に書けば、下手すれば排斥。誰だって怒りが収まりません。だからこそネット上におびただしいJW信者の叫びが氾濫しているのだと思います。そういった批判や叫びが無視出来ないほどに肥大化しているので、大会の日数が減ったり、巡回訪問中の集会が一日減ったりしているのかもしれません。でも、楽になっていいですね(笑)地区大会も二日でいいです(笑)いや、一日でいいや(爆)
先ほど本家のjw.orgをのぞきますと、テレビゲームを肯定するような記事が出ていて正直驚きました。これまでの先鋭的な路線で行けば、物質主義がどうのこうのサタン的でどうのこうの。と頭ごなしに否定するところですが、その辺のソフト路線化も昨今のインターネットの批判の波には抗えない、ということでしょうか。
でもその事は、何か以前は厳しかった親が年老いたために弱くなってしまったような寂しさも同時に感じ、複雑な心境でした。

Re: No title

今回も気合いの入ったコメントありがとうございます。僧職者階級はない、でも特別全時間奉仕者団は存在する・・ただの言葉弄りです。対外的にも一般宗教の一つとして認めてほしい時は「自分たちはカトリックと同じ階級的組織」と言い放っているようです。

テレビゲームの記事、見ました。JW.orgは白く塗った墓ですね。組織が軟化した部分もあると思いますが、WTでは「ショッピングモールはサタンの罠」的な記事を書いてます。WTを一般用と信者用に分けてからこの神権的戦術は加速しています。ネット布教に力を入れておいて、この二面性がバレないとでも思ってるんでしょうか。

大会や集会の日数がどんどん減るのは普通にいいことですが、対症療法です。かなりの信者の気持ちがついていかず、重荷と感じるようになった根本的な理由には気づいていないでしょう。それに気づかなければ週1回にしたところで来ない人は来ないですよ。

No title

milestone改 てなもんやでございます
ちょくちょく チェックさせてもらってます
GUABELLOさんのわかりやすい書き方に
好感しているものです。
この記事を読んでいて 私が好きな禅宗の南直哉さんの
ブログのコメントを思いだしたんです
宗教者てどんな思いでいることが大切なのかって
長いのでURL貼り付けます
お題は
「宗教者の素質」2009/09/09
http://indai.blog.ocn.ne.jp/osorezan/2009/09/

Re: No title

> milestoneさん改め、てなもんやさん

お久しぶりです。今回も興味深いサイトを教えていただき、ありがとうございます。

自己存在に対する根源的な苦しさと劣等感は違う・・『他人と比較可能な能力の不足感に由来する劣等感は、それが宗教に紛れ込むと、「神」や「仏」を道具に使って他人を支配することで優越感を味わおうとする、とんでもない欲望に転化しかねない』

↑のあたりがどこかの宗教団体にも通じるものがありますね。

9/30の猫と草履の話も興味深いです。最近の記事で聖書が自己認識の限界を示しているのではないかと考察しましたが、この有名な禅問答にもほぼ同じような解釈をする人がいる、というのは初耳でした。ちょっと笑ってしまったのが、老僧に「お前の講釈はいつも理屈が先走って風情がない」と言われて、恐れ入ります、のくだりでした。自分のJW経歴と、この方の永平寺修行を含む出家25年の経歴では世間的に比較にもなりませんが、このブログも同じこと言われそうです。
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