共存関係

前回のものみ記事に限らず、巡回さんやベテルの人が大会等でする「やもめの硬貨」的な話を聞くと、自分としては「人の肩に重りをくくりつけて自分は指一本動かす気がない側の人間が・・」でしかなかったのですが、こんなお決まりの話でも毎回のように感動する方もいました。

旬な話で言えば、「やもめの硬貨」がどうとか言いながら「巨額の資金」を要請したり・・この「言ってることとやってることの矛盾(ギャップ)」に誰も疑問に思わないのか?と不思議でしたが、実はこの手法には強力な効果があるのではないかと思います。

以前の記事で、いわゆるカルトとされる宗教団体の被害とDVによる被害は似ている、というコメントを頂きました。ドラマとかに出てくるDV夫の場合でも、ただ虐げるだけのどうしようもない男だと妻が見切りをつけて出ていくのも早いのですが、タチが悪いのは時折、妙に優しくなる夫です。

「オレはお前を必要としているんだ・・そばにいてくれ」

そのギャップにもう胸キュン(死語)で、「必要とされたい」とか、普段の無理難題要求も「自分がまだまだできていないからだ」とか思い込んでしまう共存関係が深まります。これだけ義務要求が多い組織で、その話に慰められてしまう一因にも同じような要素があるのかもしれません。

たとえばの一般例ですが、週3~4日のバイトで生活費を得ながら開拓奉仕、他の時間も個人研究、予習、集会、集まり・・組織が勧める模範的生活・・これが神に喜ばれる生き方だと疑うことを知らずも体がついていかず、慢性的な疲労や体調不良に悩まされるようになるが原因は特定できず、ついに開拓を降りると「エホバ、ごめんなさい」と泣き続ける日々・・

そこで集会に来て「あなたはエホバの目に貴重です」とか「今できる奉仕は高く評価されています」なんて話を聞くと、涙が止まらないんですね。まさに自分の今の気持ちを分かってくれている神様のことば・・となるようです。

話す側にとっても「自分の話で聴衆が泣いている」というのは最高のJW的エクスタシーで、話の後にはお礼を言うために信者が列を作ってならんでくれます。

こんなステキ集会を開く場所を建設コストの高い地域(笑)でしかもいっぱい作るのに巨額の資金が必要 ⇒ でもあなたの助け(寄付)という形で神が備えてくださることを確信しています♪なんて言われたら、なけなしの生活費をさらに削って寄付しちゃいますよ、それは。

個々のJWの必死さや純粋さを揶揄するつもりはありません。彼らから組織という偶像を取り上げたところで、モーセがいなくなるや今度はアロンに「自分たちを導くを神を作ってくれ」と必死に懇願するイスラエル人のように、自分はそれに代わる神や組織を作ったり示したりもできません。問題があるのは人の心理を利用してこのような虚構を作り上げている側です。アロンのように求められたからでもなく、自ら神の組織と謳い、神のイメージを形作り、支配するのに利用しているからです。

この歪んだ共存関係がどこまで計算なのかは知りませんが、次の聖書の言葉は真実です。


『あなたが慕い求めるのはあなたの夫であり,彼はあなたを支配するであろう』


罪を犯す前の女が「補うものとなる助け手」と呼ばれた時、上下関係は示唆されていません。ふたりは一体となります。その変化に自我=罪?の意識がどの程度関係していたかは分かりませんが、人は支配を慕い、支配し支配される生き物になってしまったのでしょうか。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR