1914年の放棄(仮)①

1914年シリーズで、1914年を放棄すれば、今までのようなただの調整ではすまされず、その年に「忠実で思慮深い奴隷」が任命されたという根本的な教義が破たんし、「奴隷級」の権威が失墜しかねない、と書いた。

その他の深刻な影響も考えてみた。

「伝道する根本的な大義が失われる」

聖書に「遣わされたのでなければどうして宣べ伝えるか」という言葉がある。これは裏を返せば、「遣わされてもいないのに、勝手に宣伝するな」ということをも意味する。

1世紀においては、預言通り西暦29年にイエスがメシアとして、目にみえる形で神の聖霊を受け、奇跡を行なって神の子、メシアとしての証拠を示した。

そのイエスが「この世代」が過ぎ去らない内に、ローマ軍がエルサレムを滅ぼすであろう、と予告し、同時に「神の王国は近づいた」と宣べ伝えるよう弟子たちを遣わした。その弟子たちも奇跡を行なってイエスから遣わされている証拠を示した。その予告通り、イエスの死後37年たった西暦70年にエルサレムは滅亡した。

それで、西暦29年より前に、旧約聖書を読んだ人間が勝手に、遣わされてもいないのに「メシアは到来した」「神の王国は近づいた」「エルサレムは滅亡する」などと宣伝してはならかったはず。

エホバの証人は、1914年にイエスが再臨し、「忠実で思慮深い奴隷」を任命し、その「奴隷級」が伝道者を遣わしている、と主張。さらに自分たちが世界中で増えていることが弟子たちの行なった神の奇跡にも匹敵すると言う。

しかし1914年を放棄すれば、前半の主張は崩壊する。あとはエホ証が世界中で増えている、という主張が頼りだが「増加は神の是認の証拠?」で書いたように、エホ証も他の新興宗教と同様に、既存の宗教に幻滅した人たちの間でちょっぴり信者を獲得してきただけで、とても「全能の神のみが成し遂げうる奇跡」とは言い難い。

果たして遣わされてもいないのに、宣べ伝えてもいいのだろうか?という疑問が生じてしまう。
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