何に導く?

服の話になったのでおまけですが、前にも取り上げたも塔の引用です。

「教会に行くのがいやなのは,大酒飲み,うわさ好き,うそつき,詐欺師だと分かっている人々が毎週日曜日そこにやって来てお祈りをし,賛美歌を歌っているからです。偽善者を尊敬することは決してできません。ところが,わたしの通っている教会は偽善者で一杯です」―1979年5月27日付,パームビーチ・ポスト‐タイムズ紙。

教会は偽善者だらけのように思わせる引用はどうかとおもいますが、人につまずいて通うのをやめる人は他教会にもいます。

しかし同じ理由でJWを離れる人も多く、その数は増えています。

だからJW組織は、人をよく見せて引き寄せよう、他組織とは違うところを見せようと必死です。“高い基準”を自慢します。業を誇ります。ドレスコードなどの不文律もいっぱい作ります。その基準に達しない人は神に栄光を帰していない、と思わせます。せっかくのイエスの贖いも「JW的2つの希望解釈」「感謝する=JW活動を行え」の記念式の話で台無しです。

「すべての者は罪を犯したので神の栄光(=基準)に達しない」(パウロ)

「わたしは義人たちではなく、罪人たちを招くために来たのです」(イエス)

人をよく見せて人を集めても、同じように人=罪人につまずいて離れる人が増えるだけです。キリストではなく人や組織をアピールしている分、その傾向はJWに特に強いです。キリストを通して神に引き寄せられるのがクリスチャンではないでしょうか。素朴な疑問です。

JWは入信する人もいる一方で、辞める人も非常に多いです。毎年JW洗礼を受ける人の数は、日本ではもう全盛期の数分の一ですが、それに見合う増加さえしていません。

JWが公表しない辞めた人の数は、無責任で都合のいい勧誘方法の表れと思います。事実、いい所だけアピールしてとにかく洗礼を受けさせ、後になって人につまづくと・・

① 「あなたはキリストの弟子ではないのか?」
② 「神との個人的な関係はどうなったのか?」
③ 「他のどの組織が自分たちより優れているというのか?」

・・と、それ自体は答えようがないマニュアル通りの質問で問い詰められます。

辞める人の決定を尊重するどころか、“真理”を知った以上あなたには永遠の滅びしかない、と脅すだけでなく、辞め方によっては家族を含む全信者に一生忌避することを命じます。

さすがにその論理もいい加減、なんか釈然としない感じになる人が増えていますよ。だって冒頭のような恣意的な引用をして偽善者だらけの教会に行くのをやめるのは至極当然、みたいな言い方しておいて、自分たちにはどうしてそんなに都合よく甘いのですか。

教会やそこに通う人の不完全さなど承知の上で、場所や団体を探すのではなく神とキリストを求めるために教会に通い続ける人もいます。程度の高い低いや、業の多い少ないを誇って競って人を奪い合うことが聖書的な布教ですか。イスラム教圏なんか、ごく少数のキリスト教徒メインに“布教”しに行くだけですよね。キリストに導こうという気が本当にあるのでしょうか。
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No title

私もつねづね思ってました。
二枚舌で現状を偽って飾りたてて、一時的にKHという箱に人を読んだところで、それがはたして「弟子としなさい」を実践していることになるのか?

考察ありがとうございます。
JWの口癖に、「神の組織に導く」というのがあるのを思い出しました。
伝道で宣べ伝えているのは結局、神の王国でもキリストでもなく、組織についてなのだと。
組織に交わることが最終ゴールのようになっていますよね。
もう、そこから偽善が始まっていたんだと。。新しい発見でした。

Re: No title

> やせ蛙さん

そうですねえ。もともと脆い土台の上に築いている、だから動揺させないように
「励まさない」情報は隠す。その悪循環でしょうか。

Re: タイトルなし

> 無知さん

「神の国」証言運動の督励方針は要するにWT協会の会員の獲得運動たるに過ぎず・・

明石氏の公開質問状を思い出します。あ、今はWT協会の会員にもなれないのか。
お金はしっかり取られますけど。

No title

思慮深い記事をいつも更新して下さり、嬉しく思います。

>入信する人もいる一方で、辞める人も非常に多いです。

カルト化した教会の特徴の一つにこういう傾向があるようです。

私の場合、「排斥」を経験しているので、それに比べたら教会の人間につまずくなんて、小さなことかもしれませんね。苦笑。

個人的には、誰もいない静かな聖堂を訪れたり、そこでしばしの間、黙想したりして過ごすのが好きです。王国会館にはそういう場はありませんね。

Re: No title

>Anastasiaさん

> 個人的には、誰もいない静かな聖堂を訪れたり、そこでしばしの間、黙想したりして過ごすのが好きです。王国会館にはそういう場はありませんね。

これはとても考えさせられます。JW集会とは、予習・注解・正装・清掃・歓迎・区域・文書・会計・その他雑務・再び清掃・報告集め・・静かに内面を見つめ神を感じる余裕などありませんね。

No title

JWの陰湿で腹黒い偽善者ぶりを見ていると、キリスト教世界云々とは批判できないと思います。その実によって見分けられるとありますが、陰湿なイジメに悪口、自殺に離婚と、そういった実はどうなのだと。羊の覆いを付けてくる偽預言者とありますが、長老、僕、開拓者は正にそんな人間のオンパレードに見えます。私の会衆が特に腐っているだけかもしれませんが。柔和な笑顔で挨拶したかと思うと平然と嫌味や悪口を言う。悪魔的な黒さを感じます。(あまりにも酷くて巡回代理が投入されたレベルの会衆です。排斥、断絶、削除なんでもあり。)
確かに、北アイルランドのカトリックとプロテスタントはお互いに銃を持って殺し合いをする。そういった実を生み出している。さすがにJWの中でそういった実は無いと思いますが、それでもうそつきや偽善者といった面ではキリスト教世界云々とは批判できないはずです。そして「世の人」などと見下げて言えるものでないとも思います。
「エホバの証人」「クリスチャン」という以前に、人としてどうなのかといった人間が非常に多い。私は所謂、全時間の仕事をしていますが、よほど世間一般の方の方が常識をわきまえて、人間味があると感じる時もあります。
私はナチス時代のザクセンハウゼンからの死の行進でお互いに助け合った兄弟たちの話が大好きで、あの姿こそが真のJW、真の崇拝者だと常々思っています。ただ、会衆の陰湿なJWの姿を見ているといざ、大患難が勃発してあのように助け合えるのか、互いに対するそこまでの情や愛があるのか。互いの足を引っ張り合っている現状を見ると甚だ疑問です。「兄弟姉妹」は単なる呼称であって、実質的な中身が全く伴っていないとすら感じます。

Re: No title

> 相場師さん

今までは、個や会衆のダメな所ではなく、組織全体のすばらしさを見ろ、とかお決まりのように言われましたが、個を切り捨てる全体主義的なやり方は聖書にも反していますし、何十年もそんなことやってきた実を刈り取りつつありますね。

No title

なんかもやもやしていたことをうまくすっきりと言い表してくださりありがとうございます。
結局、思うのは都合良く論理をつぎはぎしてテキトーなもんだな、ということですね。

聖句でさえも文脈を無視し、都合悪いところは割愛して「塔」に載せる手法も前よりひどくなってる感もあります。

そう、
>なんか釈然としない感じ

これ、これですね!

Re: No title

> スナフキンさん

> 結局、思うのは都合良く論理をつぎはぎしてテキトーなもんだな、ということですね。

> 聖句でさえも文脈を無視し、都合悪いところは割愛して「塔」に載せる手法も前よりひどくなってる感もあります。

そうなんですよね。聖書を利用して従順な信者にそれっぽく思わせる理論武装や物言いなど、100年もやってきた彼らには容易いでしょう。でも個の感情を無視する全体主義が行き過ぎて、問い詰められても気持ちがついていかない人が増えていると感じます。

前にスナフキンさんも指摘してくださったように心身がボロボロになっても離れられない共存症になる方も多いです。一旦見切りをつけるとか、精神的に距離を置くとかできればいいのですが。
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