罪と愛

自分は「愛は罪を覆う」という聖書の教えは、愛は罪を「包含する」ものだと感じています。

JWの教えでは、愛があれば罪を許す、とか、大目に見る、というくらいの捉え方だと思います。罪は罪で「悪い」ままです。罪=絶対悪です。どんな時でも絶対に悪い行為というのは存在すると思いますが、もっと広い聖書でいう罪とは、刑罰の対象となる行為(それも含まれる)のことではなく、的から外れているという意味です。

弓道の修練している人が、精一杯頑張っても的を外すこと自体が「悪い」のでしょうか。故意に誰かを狙い撃つことで的を外すなら悪いことですが。

血の流出に悩まされる、律法的に汚れた女性が人と接触する群衆に紛れることも罪でした。しかしイエスは彼女をとがめませんでした。「あなたのした事は“悪い”ことだが、今回は例外的に大目に見ます」と言った訳でもありません。あなたの信仰がよくならせた、と褒めたのです。

だから愛とは「こういう場合はこうすべき」のように、マニュアル化できることではなく、いつもそうではないにしろそれを大胆に否定することが愛となる場合が多いのではないかと。罪を超えて、それを包含するかのようです。

律法や規則があるところには罪過が満ち溢れます。律法は罪を明らかにし、その罪をも外側からすっぽり覆ってしまうものとしての愛がキリストによって示されたことにより、罪が定義されなければ愛も知ることができない、完全なる律法はキリストへと導く役割を終えた=成就したのであって、逆戻りしてはいけないと思います。イエスは何の成文律法も残しませんでした。

人の作る際限のない要求規則は、できなさ加減ばかりを明らかにし、再び罪が王として支配しています。的を狭めに狭め、自分は下手くそで、欠点ばかりで、神様を十分に喜ばせていないと苦しみます。そうやって支配する宗教が力を持ち、拡大してきたのも事実ですが。


映画マトリックスシリーズも面白かったですが、アーキテクトは人を支配する「完全なプログラム」を作ろうとしては挫折します。完全なものは完全であるゆえに不完全さ=矛盾=愛を定義できず、その存在も包含できない。アノマリーが生じてその度に世界を終わらせてはリロードする。アノマリーは正の方向(愛=救済)と負の方向(憎悪=破壊)に無限ループで広がって、それがネオとスミスの凌ぎ合いだったりして(たぶんそんな感じ)。

JW組織でもアノマリー=覚醒者が続出しまくりですよん♪JWアノマリーにも正と負の方向がありますが、自分はどっちも否定しません。自分の中にさえその両面があるので。

話を戻しますと、愛とは、(ある意味での)完全さと対極にあるような気もします。「この場合はこうする・こうしてはならない」という際限のないマニュアルを緻密に履行する完全なプログラムに囚われてしまったのが、1世紀における律法主義者たちではないでしょうか。イエスはその律法に、さらなる垣根を巡らした彼らの慣習を大胆に破ることで愛を示したのだと思います。
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No title

毎度ながらよく考えておられますね。勉強になります。

>律法や規則があるところには罪過が満ち溢れます。

長老の教科書は審理委員会でアウトかセーフかを決めるヒジョ~に細かなルールブックになっていますね。
実は聖書に明確に記されていないアウトになるルールも数多く存在していて。
自分もキリストから律法へ逆戻りした状態だと思います。

>人の作る際限のない要求規則は、できなさ加減ばかりを明らかにし、再び罪が王として支配しています。的を狭めに狭め、自分は下手くそで、欠点ばかりで、神様を十分に喜ばせていないと苦しみます。

JWに自尊心がない人が多いのがほんとに残念に思っていてその原因はないか?よく考えるんですが、こういうことですよね。
こういう人がまた他人の欠点に注目して攻撃したり、噂話しを流したりと。
それが負のスパイラルの原因ではないかと思っています。
やはり、JWは残念ながらキリスト教の本質を外してしまっていますね。

Re: No title

信者さんは一度も見たことがない長老の教科書で裁かれ、長老たちも自分が知らないルールで裁かれる。支部職員や巡回さんは会衆を経由せず裁かれるルールがあるはずで、それは彼らにも知らされていないでしょう。

結局、彼らが作ったこの世界ではルールなど自由自在で、彼らが神なんでしょう。

「神は秩序であり、すべてを取り決め=ルールのもとに行え」

イエスではなく、パウロの教えですね。この文言だけが独り歩きして、ルールに従わない人を責め、都合の悪い人間をそのルールを盾に取って排除することが本当にイエスの贖いへの信仰とは思えないのですが・・

No title

>そうやって支配する宗教が力を持ち、拡大してきたのも事実ですが。

これも的をついた観察だと思います。
自尊心を奪われた人達はおかしな現実に直面しても常に公平な目線で考えることができず、
このおかしなルールに従順に従えない自分が悪いのだ。
自分が変わらないと。それが謙遜さなのだ。
と考えてしまって、余計に組織に依存してしまうんですよね。

DVにあっていても逃れられない女性の心理に似ていると思います。
http://www.solea.main.jp/?eid=848529

けっこう、恐ろしい組織です。

そして、自分の周りの人達を観察してもどうもそういう気質を持つ人達を引き寄せてしまっているように思いますね。
リアルでもそういった問題を抱えた人達が多いように思います。

愛はすばらしい

思慮深い考察ありがとうございます。
愛を示すということを親切と混同している人が多いことが残念に思います。
自分もハッとさせられました。
イエスにならった愛を示せるよう頑張りたいと思います。

Re: No title

> スナフキンさん

興味深いページですね。

虐げることが逆に強力な依存、共存関係を生む。

非現実的な希望にも依存し、やがて希望が独り歩きする。

「(えほばが)いつか正してくれる」「(楽園で)いつか願いがかなう」

虐げられて自尊心が薄まると、自分を犠牲にしてでも人の世話をしようとする。

感謝されたい、必要だと思われたい。抜け出せない。

なんかそのまんまですね。

Re: 愛はすばらしい

>無知さん

罪=刑罰の対象となる悪行、ではないのと同じように、
愛=褒賞の対象となる善行、でもないと思います。

義なる人(正しい人)のために死ぬ人はいない、のでしょうね。

GUAさん
本当にその通りですね(°_°)目からウロコです。
正しい人のために死ぬ人はいない。。考えさせられました。
どれだけ罪深い人のために行動できるか、真実の愛を感じます!
アナと氷の女王もそんな感じだったなーみたいな。笑
イエスの言葉を思い出しました。

「自分を愛してくれる者を愛したからといってあなた方にとって何の誉れとなるのでしょうか」

Re: タイトルなし

> 無知さん

イエス自身が正しい人のために死なれたのではないですよね。

「憐みを望み、犠牲を望まない」

もうこれ以上、規則やルールを作って罪科のない人までも罪に定めることは
終わりにしなくてはなりません。

No title

皆が皆、というわけではありませんが、陰湿で傲慢で腹黒い人間の多いJW界。私は会衆のそういったヤカラに散々イジメ抜かれたクチですが、そんな悔しい思いをしながらも「不完全」や「愛」という言葉を盾に理不尽な事や納得のいかない事を飲まねばならない。長老に相談しても「愛で覆いましょう」そんな事は末端の平信者でも言えることです。私が長老に望んでいたのは中村主水のような役割でしたが、現実は望めません。「立場」のある人たちが上辺の笑顔を装いながら平然と毒を吐く。そういった世界です。本当にピョンヤンのような、演出されたような世界ですね。陰湿で腹黒い人間が平然と演壇から偉そうに話をする世界ですから、精神的におかしくなる人、イビツで不自然で表面的な人間関係が構築されるのは当然だと思います。そんな人たちと生き残った所で私は一滴も嬉しくありません。あの状態を「霊的パラダイス」と言える人間は言わされているか、プロパガンダに洗脳されているかどちらかだと思います。「誰も励まさない」という、事実、現実を直視せずに不都合な事を隠蔽する体質。それが組織の腐敗した部分を作るのだと思います。

Re: No title

> 相場師さん

皆が皆そうではない、のに、中途半端に地位がある人にその傾向が強いので傷つく人も多いのでしょうね。声を上げる手段がなく、「励まさない」情報は隠されるので、知らない羊には大好きな組織が悪く言われているとしか聞こえない。そのギャップが激しいですね。でもそろそろ、「地とその中の業とはあらわにされ」つつありますね。
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