神の名⑤

新約「えほば」問題をもう少し。

JWが取り上げる“間接証拠”の別の一例は、西暦2世紀初めに完成した旧約アキュラ訳(ギリシャ語)です。ここには古ヘブライ語の神聖4字がそのまま転記されている個所があるそうです。しかし、これは主に(ギリシャ語を話す)ユダヤ人のために旧約を翻訳したものです。

『2世紀に,ポントス出身のユダヤ教への改宗者アキュラがヘブライ語聖書の非常に字義的な新しいギリシャ語訳を作りました。(JW洞察)』

ユダヤ教への改宗者?・・イエスをキリスト、神の子として認めない立場であるユダヤ教徒が、異邦人クリスチャンが70人訳でもYHWHをキュリオスと翻訳する流れには加わらなかった、と考えるのは自然です。他にも新世界訳が“根拠”として挙げるJ参照には、ユダヤ教サイドがキリスト教批評の目的で作った新約のヘブライ語訳も含まれている、という指摘もあります・・YHWHが出てれば何でもいいんでしょうか。

↓「洞察」からの抜粋です。

『ギリシア語の聖書本文[70人訳]は、ユダヤ人がユダヤ人のために書いたものである限り、神の名はキュリオスに書き替えられてはおらず、そのような写本にはヘブライ語やギリシア文字で書かれたテトラグラマトンがあるべき場所に保たれたことを今や我々は知っている。ヘブライ文字で書かれた神の名がもはや理解できなくなった時、テトラグラマトンをキュリオスで置き換えたのはキリスト教徒であった(「カイロ・ゲニザ」222,224頁)』

この可能性を採用するとしましょう。自分もたぶん、その通りだと思いますよ。

① ユダヤ人の、ユダヤ人による、ユダヤ人用の初期70人訳写本には「YHWH」が含まれているものがある(神聖4字のまま転記か、ギリシャ文字で近似)。どう発声していたかは別ですが。

② 1世紀、救いの代理者=「主イエスの名が大いなるもの」(使徒19章)とされる。

③ 後に正典とされる新約書簡は「キュリオス」で統一。(写本は最古のものから、すべてキュリオスを示す。原形のまま転記、発音や形で近似したギリシャ文字への翻字など、旧約から他言語への最古の翻訳である70人訳や、他の古代ギリシャ語訳の一部にみられるような、古ヘブライ神聖4字を他言語=ギリシャ語でどう“翻訳”するのか、という問題意識の存在を示唆するバージョンや痕跡も一切ない)

④ ヘブライ文字を理解も発音もできない異邦人キリスト教徒の間では、70人訳(旧約)でも「YHWH」をクリスチャン用に「キュリオス」と翻訳することが定着する。

⑤ ユダヤ人向けの70人訳写本や他のギリシャ語訳写本の一部にはYHWHが残る。

JWが新約でYHWHを使う“根拠”とする資料は、①と⑤にカテゴリーされるものです。

「洞察」によれば、④も事実です。これを、まだ揺らん期にあった初期キリスト教の自然な進展とは捉えずに、いきなり背教とするのがJWです。まだ何が“正統”かも固まってない頃なんですが・・でもこの理由で「新約でも同じことが行われたはず」という憶測は自由ですが、70人訳の古い写本の一部や他の旧約古代ギリシャ語訳には幾つかのバリエーションのYHWHが含まれた写本が残っているのに対し、基本的に別文献であり、初めからギリシャ語で書かれた新約写本に古ヘブライのYHWHが残っているものは一切存在しません。

ニケア公会議はAD325年、でもAD200年前後で「キュリオス」しか出てこない新約写本(パピルス)が存在します。JWが否定するする進化論と同じで「ミッシングリンク」=「ヘブライ文字の直接転記やギリシャ文字で近似させたバージョン等が混在したもの」は全く存在しません。議論があった様子も皆無です。一斉突然変異なのか、もともとそうだったのか・・

新約の「主」が先にあり、そのことについて解釈の相違・議論が後に生じたのでしょうか。
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牧師

牧師をしています。大変参考になりました。ギリシア語、ヘブライ語の知識はあります。エルサレムが607年に破壊されたということを、聖書以外の文献は当てにならないと自分でも言いながら、しかし、たった一つの粘土板を頼りにして、自分自身が占星術学者にもなったつもりで、科学的、学問的に「理にかなっている」とかなんとか言ってきました。理にかなっているのなら、なぜ、学会という表舞台に立たないのか、何かやましいこと、自分でも自信がないから出てこれないのか、今度来たら、「穏やかに」そういう反論をしてみるつもりです。どういう反応が帰ってくるでしょうか? そして、残念ながら、わたしも考古学者ではないので、586年を確かにうのみにしていることは確かです。彼らを論破するためにも、何かよい知恵はありますでしょうか。たとえば、バビロニアに関する年代記、粘土板のほかに、ネブカドネツァル治世第一年に関して、それが、聖書にも登場するエジプト王ネコとかかわってくるので、ネブカドの第一年が、605~603年に該当する、といったことを証明するような、比較文献としてのエジプトの独立した年代記は、残っていないのでしょうか。どなたか、バビロンの年代記以外の方法で、あの頃の年代を特定できる材料について詳しい方はいらっしゃいませんか。彼らがチンプンカンプンであることを、「考古学的」に論証できる知識を持った専門家で協力してくださる方はいらっしゃいますでしょうか? エホバ撲滅運動に全力を尽くす一兵卒より。

Re: 牧師

> 堀江様

コメントありがとうございます。彼らの訪問を受けているのですね。

新バビロニアと並行するエジプト側の資料とか時間があれば「個人研究」したいのですが、エルサレム攻略がBCで言うとなんねんだ、なんて話はWT解釈を抜きに聖書を読めばどうでもいい話で、やる気が起きないんです・・それこそ専門家に任せればいい話ですが、自分の知る限り、この話で対JWに特化した専門家はいないというか、相手にもされていないのが現状だと思います。

たった一つの粘土板とはVAT4956のことですね。エホバの証人研究(JWstudy)さんのサイトが詳しく解説していますが、VAT4956の月の位置がBC568よりBC588に一致する(JW側が主張する唯一の根拠で、BC568を示す月の位置以外の情報は信用ならないと言う)という根拠は何ですか、ものみの塔やものみの塔学者以外の資料を見せてください、と言うのはどうでしょうか。ものみの塔独自の新説なら、一般的な定説を覆そうとする方が学会でも何でも検証されるべきですから、なぜそうしないのか、自前の誌面で言うだけなのか、と尋ねるのは効果的と思います。

どういう反応が返ってくるかは分かりませんが、牧師の方に挑んでくるほどコアな人に何を言っても無理かもしれません。「穏やかに」とありましたが、自分もかつてある信仰者の方と穏やかで紳士的な討論をしたことが転機の一つになりました。その人にも理屈によらないほんとうの信仰を感じ取ってほしいです。

牧師

お返事とアドバイスありがとうございます。完全に間違っている、おかしくなっている、とわかっていても、一筋の簡潔した論理で質問されると、やはり、揺らぐ自分がいることも確かです。循環した一筋の簡潔な筋を持っているのは、統一教会も同じで、やはり手ごわい相手です。ただ論破するのではなく、伝道者パウロのように、エホバの証人になってでも、エホバの証人の方たちに気づかせたい、というのは理想ですが、やはり抜け出ることができた何人かの方の意見を伺えば、苦しい思いし続けているようで、そういった苦しい思いをしているのなら、助けになりたいというのは本音です。もっと本音を言えば、キリスト教に関心のある方が、エホバの方の訪問を受けて、それがたった一つのキリスト教だと信じて奪われていっているわけですから、回心とはいえずとも、一人でもそこから抜け出る方がいれば、私たち牧師にとっても大きな益となるわけです。そのためにも、なるべく誠実に向かい合いたいと思っています。すごく荷が重く、疲れますが。異端だと決めつけ、正統信仰を持って対峙するのは(それぞれの人にとってはそれぞれの信仰が正統なので、そのやり方は誠実であるとは思いませんし、効果がないと思います)。難しい戦いであり、話を続けるのには、こちらもそれなりに学習しなければならないと思い、ホームページを見させていただいたわけです。とりあえず、また来ると言われていましたから、救いの扉を開くような気持ちで、お出迎えします。

Re: 牧師

1914年にイエスが来て3年半後に奴隷=統治体に権威を与えた、という荒唐無稽な前提の上にすべてが成り立つ循環系ですから、エルサレム攻略がBCではなんねんだとか聖書的には全く枝葉の問題に付き合うのは疲れますよね。

学問的にもキリスト教的にも相手にされない場合がほとんどですが、普通の(確かに正統とか言うと拒絶します)キリスト教信仰について知ることが何かのきっかけになればと願います。
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