集会は義務?

最後のテーマの途中ですが、もう一つだけ書きます。

集会を義務と思わせるかのような教育はやめませんか。

一般的なよくある(あった)話です。妻がJWの集会に出始め、子供たちも連れて行きます。昔は週3回、夫が反対しようが子供も連れて行く時代です(ハルマゲドンが“もうすぐ”だったので)。日曜日まで家において行かれる夫は猛烈に反対しますが妻は聞く耳持たず頑なになる一方。

こういう事例で、やがて夫が精神を病み、悲痛な結果になったケースさえ自分も幾つか直接聞いて知っています。会衆内では「反対者にはサタンが入るのよ・・」という噂話がまことしやかに流れます。家族が離散になった程度?の話に至っては数え切れず・・

JWはいつも「信教の自由」を主張します。自分の譲れない信仰だ、信仰の自由は尊重されるべき、尊重できない方が悪い、という思考です。だから言えば言うほど頑なになります。

でも勘違いしないでください、信教の自由とは、内なる信仰の絶対的自由と、公共の福祉を妨げない宗教活動と結社の自由が法律で認められているので、その範囲の中では法による制限を受けない、ということです。家族との兼ね合いや人同士の感情は別であり、自己責任です。

でも何かの“行為”をしない、ということでJWを非難するのもよくないと思います。信教の自由とは特定の宗教行為や、信仰上の理由で忌避したいと思う行為を強要できないことも意味します。イエスは、弟子たちが迫害されることは確かに語りました。戦時中、「剣を取る」ことを拒否した明石順三氏などの個々のクリスチャンの信念は尊重されるべきと思います。

ただ「宗教的にできない」とする幅があまりに広すぎて、聖書を都合よく過大解釈しているんでないの、神が第一 ⇒ 自分たちの組織・解釈が第一、に置き換わっているだけで、人や家族の気持ちはどうでもいいの?、との批判もまた、批判する側の自由で仕方ないのかもしれませんが。

集会・大会の義務化もそうです。人工的な“迫害”を作り出しているとしか思えません。

JWも信仰合同を「霊的姦淫」に例えるように、妻が「別の宗教に心が奪われてしまった」「もう自分が何を言っても聞く耳持たない」というのは、同じ程の喪失感を与えるものではないでしょうか。この信仰は尊いものだ、と言ったところで相手はそれを理解していないのですから。週何回の集会や大会が神の命令とか勝手に義務付ける前に、その気持ちをもっと思いやる教育はできませんか。

仮に年300日くらい宗教的会合に出席することを義務付けるストイックな宗教団体があるとしても、反社会的行為をする訳でもなく、ただ祈って勉強するだけならその団体も法で保護されるでしょう。入るのも自由です。でも入る前に、そんな誓いをすることが、家族に対して愛を示すことだろうか、と考えないでしょうか。その団体が“キリスト教”を謳っているなおさらです。


「自分にしてほしいと思うことはみな、同じように人にもしなければなりません」

これを超える法律がクリスチャンにあるでしょうか。

「二人か三人がわたしの名において共に集まっているところには,わたしもその中にいる」


夫が日曜日は家族と一緒にいてほしい、と言うなら、家族との予定が妨げにならない平日のどこかで、仲間の信者を何人か家に招いて「集まり合い」、聖書を一緒に読み、感じたことを自由に語り合えばいいじゃないですか。主はそこにおられます。大勢で集まりたいならたまにでも仕方ない、家族できちんと話し合い、合意できる範囲の中でそうすればいいじゃないですか。

人が決めた回数、特定の場所に必ず行くことが「信仰」 →“迫害”する家族は「サタンの手先」→ その家族に合わせるのは「間違った愛」・・そう信じるのは“自由”ですよ。でもそんな自己都合の二極論がイエスの教えや精神に逆らうものであることに気づいてほしいですね。ぶよは濾し取りながら、らくだを飲み込んではなりません。

キリスト教とは、人間の法律に基づく権利や正当性を主張するものではなく、信仰や信条という枠さえ超えて善を行ない、愛を示すものではないでしょうか。いくら仲間内だけハッピーな様子をアピールした所で、すべてのケースではないにしても、家族の不一致や離散という犠牲の上に成り立つ自分たちだけの「一致」を誇ることに何の価値がありますか。「天と地のあらゆる家族がその名を負う方」への恐れはないのでしょうか。
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No title

ほんとそうですね。
信教の自由を主張するのに、自分たちの組織を出て行く仲間に対しては村八分の扱い。
自分の信仰を大切にする未信者の家族に対しては冷たく、サタン扱い。
これでは、健全なコミュニケーションができないのは当たり前で。
自分勝手な主張をしているのだとつくづく思います。

No title

 信教の自由は、宗教団体が国家から干渉されずに、人権侵害ぎりぎりのこともできる自由になっちゃっていますね。

Re: No title

> スナフキンさん

自分の権利を主張し、我儘で、他人の感情に無頓着になる教育の産物ですね。
それが、会衆内でさえ数々のあつれきを生じさせてもいる訳ですが・・

Re: No title

> びゅうさん

JWはまさに、そのぎりぎりのところで我が権利を主張してますね。
国によっては印刷物が「反社会的」と見なされるところもあるようですが、
それも「さたんの迫害」ですからね。困ったものです。

No title

それは、宗教が、商売である以上、仕方のない事だと思います。
法に触れない範囲で熱狂、中毒性があるほど、リピート率が高い、売上アップ!
よくある話では?

信仰を持ちたいと通っている中で、
人間の熱狂と信仰の関係は紙一重なんだと感じました。
冷静でいたら信仰は持てないのか。
その狭間で人間性や家庭を崩壊させてしまう危険性があるのかもしれません。
熱狂なのか、信仰なのか。
義務なのか、自由なのか。
「自由」という名の「拘束」って怖かった経験を集会でしました。
「どこに席を取っても自由ですよ~。」と優しげな口調で言うけれど
どう考えてもそうじゃない。
そのうち、通路で待ち伏せ?や、出口での待ち伏せ?
本当に自由意思で、物事が判断できるのか疑問だとかんじました。
秩序を守るために、行動や思考を調整するほうもされるほうも、聖書のいう自由や神の霊から離れて行くようにかんじました。

Re: No title

確かに、宗教と信仰は別なのかもですね。どういう目的であれ(商売含む)、信仰を歪めてしまっている宗教は多いと自分も思います。公共の福祉を著しく妨げなければ、法も特に介入しない。

一方で、組織=宗教?に依存しない信仰にものすごい不安感を抱く人も多いです。迫害を押し切ってでも「誰か」と、どこかの「場所」に行くとか、何かを「拒否」するとか、他にはない自分たちオリジナルの「行為」がある種の達成感(熱狂)を生むので、そういう状況を意図的に作り出している面もあると思います。

自分も「義務と思わせる教育」と書きましたが、全集会への出席が義務、とはJW出版物にも書いてないと思います。信者は「自発的」にしているので、業(集会出席や布教活動)が救いの条件、なんてだれも言ってませんよ、と公式ではしれっと書きます。どう言い逃れようが、「実によって見分けられ」ますがね。誰も責任を感じないシステム・・恐ろしい。

No title

GUABELLOさん

 ちなみに、僕の名前は「ぴゅう」ですよー。「びゅう」ではないのでした。

Re: No title


> ちなみに、僕の名前は「ぴゅう」ですよー。「びゅう」ではないのでした。

結構古めのモバイルPCでブログをしているもので・・ごめんなさい、ぴゅうさん。

No title

組織=宗教?に依存しない信仰にものすごい不安感を抱く人も多い。

エホバの証人に限った事ではないと思いますが、それが偶像に身を屈めなければ不安になってしまう人間の弱さなんだと自分自身や、集まった人達に感じることがありました。

一般の人たちも、会社や仕事だったり、物や人を偶像化して依存することで自分の価値や存在意義を量って安心したりしていて、単に宗教かそうで無いかの違いでしかないように今は思います。

問題なのはどれであっても依存しすぎて肉体的、精神的な健康に害があったり、周囲との関係まで被害が及んでしまうことだと思います。

依存する弱さ、人間の心理を、神や聖書を使って組織的に利用していると思うことからも、家族や周囲の人は反対するのではないでしょうか。

神や聖書を心理学的に使っているようにも感じましたし、
聖書の言葉を絶対的にとって行動するように促されている気がしまた。
だから義務ではないと言っても義務感が出るんだと思います。
反対されればされるほど、熱意がわいたり、結束が強まるのも信仰と勘違いさせてしまいますね。

人を利用しようと意図的にしているのか、どうかは、「神のみぞ知る」でしょうか。



Re: No title


> 問題なのはどれであっても依存しすぎて肉体的、精神的な健康に害があったり、周囲との関係まで被害が及んでしまうことだと思います。

そうなんですよね。全く信じ込んでいる現役さんの中にも、精神・肉体のバランスを崩し、本人もその理由が分かっていなかったりします。医者も宗教的な原因とも言い切れないですし、対処療法しかできない人もいます。どの会社でもうつや燃え尽き的なことはありますが、JWは特に多い印象も受けます。

あるジャーナリストの方が言っていました。『権力闘争は情報戦とメディアコントロール・・視聴率獲得の第一は「物事を単純化する」事である。複雑な世の中を複雑なまま放送したら誰も見ない。情報を大胆にそぎ落として白か黒かに集約しないと大衆は受け入れない。そこに嘘が生まれる』

JWの教化用印刷物によるコントロールも、心理操作という点ではかなり強力だと思います。

No title

まあ、本当にこれだけ信者に休みを与えず、束縛し拘束する宗教もないですよね。私はフルタイムの仕事をしているのですが、平日ですら集会、週末は奉仕、集会、下手すれば大会。そして集会の予習と。何だか疲れてきました。そんな事が重なり体を壊しました。
毎週毎週何かに取り憑かれたように軽四でKHに出席するJWの姿を見ていると、さすがに異様なものを感じます。貧乏人の信仰熱心、といったところでしょうか。それだけ熱狂的に集まり、教育された結果が腹黒く陰湿なJWであれば、この組織の教育とは一体何なのかと思います。
末端の信者には半ば貧しさを強要しながら、挿絵に登場するJWは洗練され、立派な家具と大型テレビ、家の中でさえ上品でキレイな服を着ている。この辺りに私は大いなる矛盾を感じます。掲げている理想、世間一般へのアピールが実態と大いにかけ離れている。
実態は刺々しく殺伐とし、上辺だけの「霊的パラダイス」であるのにKHに行けば白々しく賛美の歌のピアノが流れている。さも平和や幸福を演出したいのでしょうが、それはどこまでいっても「演出」でしかない。見せ掛けの崇拝ではなく、私は真の崇拝者になりたい。常々そう思っています。霊的ピョンヤンの住民には事実や現実が一切見えないようです。

Re: No title

> 相場師さん

組織を絶対視することをやめた現役の方は、集会出席もほどほどになっていますね。信者数減少以上に、集会・大会出席者数が激減しています。公表信者数とアクティブな信者数の開きが大きくなり、数少ないアピールポイントだった「全員が熱心に活動している」も使えなくなるような気がします。独自の解釈が場当たり調整の繰り返しで、信者に人生すべてを(組織に)賭けさせる魅力を失えば、義務要求もどんどん緩和せざるを得なくなり普通の宗教に近づいていくのでしょうね。
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