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神の名③

JWが頼みにする数少ない新約の聖句は↓これです。そこもイエスは発声していません。

『わたしは・・人々にみ名を明らかにしました』(ヨハネ17章6節)

その解釈は後回しにするとして、同じ章には↓のようにも書かれています。

『わたしは彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました』
(新共同訳、新世界訳では“わたしに与えてくださったご自身のみ名”)

・・旧約の「YHWH(ヤハウェ?)」・・語源は定かではありませんが、英語のbe動詞にあたる「ある」の3人称使役形が一番近く、それが訛ったもの ⇒ (彼は)在らしめる、というのが有力のようです。つまり、それ自体はなにものも指し示していません。そうであればの話ですが、この「名」の持つ動詞的な側面が他の語と組み合わさることで幾つかの呼称になっている、と考えられる例が旧約にあります。

ヤハウェツェバォート ⇒ 万軍を在らしめる(者)・・(けっこう出てくる)
エヒェアシェルエヒェ ⇒ 在る者である(者)・・(1人称:モーセに明らかにした“名”)
ヤハウェカンナー ⇒ ねたみを生じさせる(者)・・(これも自分の“名”である、と言われた)

それで、「子に与えた名」とはその方ご自身の呼称の一つである、と考えることもできます。

イェホシュア ⇒ YHWHは救い=救いを在らしめる?(者)(ヤーウェの短縮形を含む)

いずれにしても、イエスの名を使うにしてもYHWHを軽んじることにはならない、と個人的には思います。YHWHが含まれているからです。○○ヤ、とかイェホ○○のように聖書時代にもYHWHは普通に人の名前に含めてられていました。「イェホシュア(イョシュア)」という人名も当時では一般的のようです。しかしこの名が「子」に与えられたのは天使の神託によるもので、新約は「それによって救いを得るべき名は、天の下に他にない」と示します。

YHWHを含む名は、「ヤーウェイルエ」(YHWHは備えてくださる)「ヤーウェニシ」(YHWHは旗=避難所?を在らしめる方)のように場所につけられることもありました。YHWHで表される方とは、何でも在らしめることができ、時には自らをそう成らせることによっても、そのように「在り」かつ「在らしめる」ことのできる方 ⇒ その呼称もイメージもまさに無限である、と自分は考えます。

「神エホバは太陽、また盾である」

「わたしの盾、わたしの救いの角、わたしの堅固な高台」

他にも「その翼の陰」や「わたしの岩」という表現もあります。

こういう表現には比喩的な側面があり、自分も万物に宿る精霊信仰的な神を信じている訳ではありません。しかしそれに近い概念は聖書にさえ示されている、と思います。「遍在と偏在」でも書きましたが、一つの場所や物理的実体に限定されるような存在ではない、ということです。遍在するものに人格などありえない、とJWは言いますが、だれが決めたんでしょうか。しかも神を相手に。

『すべての者の神また父は一つであり,すべての上に,すべてを通し,すべての中におられるのです』

太陽も岩も別物であり、別存在です。でもすべての中におられる神は「一つ」なのです。でも太陽やどっかの岩を拝めば偶像崇拝です。「唯一神」を崇拝していたユダヤ人でさえ、太陽崇拝や、文字通りの高台=高き所で崇拝する過ちに陥りました。かといってそれは全くの馬鹿げた行為でもないのです。モーセに燃える茂みからも話しかけたように、ユダヤ人も、いかなる場所にも、どんなものにも臨在し、宿ることのできる「一人の神」を信じていたのではないかと思うのです。でも神が遍在するからといって、崇拝する「もの」や「場所」そして「経路」を勝手に決めてはいけない、というだけのことです。宗教の違いとは経路の違いでもあるのかもしれません。ではキリスト教にとっての唯一の経路とは何でしょうか。

続きます。
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