神の名①

前から疑問に感じていた別の点は、新約に「えほば」を挿入することです。

最後のテーマになるかもしれません。

JWも認める事実として、旧約のYHWHが出てくる新約写本は「0」= ゼロです。それでも新約に「えほば」を挿入する“根拠”が、参照資料付き新世界訳の付録で説明されています。

保険証券の約款のごとく細かい字で埋め尽くされた説明は、いろんな資料や“根拠”が羅列されていて、JW以外の情報源など調べたことも触れたこともない信者にそれっぽく思わせるには十分過ぎる内容です。「旧約からの引用もあるし、旧約には何千回も出ているんだし・・」となるでしょう。

本文の解釈は様々あっていいですが、解釈の違いで本文まで変えてはいけないと思います。翻訳の相違は仕方ないです。人間の諸言語が1対1の逐語での厳密な置き換えで成り立っていないので、幾つかの「ことば」の選択肢がある以上、翻訳者の解釈や主観を排除することは不可能です。ある程度の自由度が許容される翻訳まで禁じてしまえば、中世に逆戻りです。

それで新約原文にYHWHがあったかどうかも、解釈だけで判断することではないと考えます。

JW側の主張の1つが、旧約を引用している個所です。しかしそこも新約写本は「キュリオス」になっています。さらに旧約引用以外にも他翻訳(主にヘブライ語訳)を参照して数十回↑、「エホバ」に“逆置き換え”しています。それでも僅か237回、割合にして旧約の10分の1くらいでしょうか。

その237個所が、原本の時点で「キュリオス」だったのか、写本の段階で置き換えられたのか、という問題になります。でも原本は存在しないので、状況証拠から判断するしかありません。

ただ、現存する数千点の新約写本のすべて、その最古のものでさえ「主」になっています。両方が混在していてさあどうする、という状況ではありません。聖書が多数の写本によって内容の正確さが失われていない、原本と同じ内容を読めていることを疑う余地なく確信できる、とJWも言います。

新約写本の大半は4世紀以降のものです。でもJWが新約本文の信頼性を裏付けるために言及している、主要な初期パピルス写本の一つにチェスター・ビーティー・パピルス2号(P46)があります。西暦200年頃、最後の使徒ヨハネの死後、約100年しか経っていないものです。もっと早い時期と見る人もいます。もちろんヘブライ語形式の「YHWH」は跡形もありません。

「これら[パピルス写本]を調査して得られた最初の,かつ最も重要な結論は,現存する本文が基本的に確実なものであることをそれらが確証しているという,満足のゆく結論である。・・大切な事実や教理に影響を及ぼす異読もない・・したがって,原文がまとめられた年代と現存する最初期の証拠の年代との隔たりは,事実上無視できるほど小さくなっており,聖書は実質的には書かれたとおりに我々のもとに伝わってきた,ということに対する疑いの最後の根拠は今や取り除かれた。新約聖書の各書の信ぴょう性も全体として元のままの形を保っている点も最終的に確証されたとみなすことができるであろう」(JW教材中での引用)

・・ん?最古の新約写本であるパピルス群は間違いなく原本通りの形を保っている証拠だ!とありますね。「大切な事実や教理に影響を及ぼす異読もない」って。

でも「主」だけは、すべての写本は信用できず悪魔の陰謀なのでしょうか。

そうすると新約写本を信用するという↑のスタンスと矛盾しないでしょうか。JWがギリシャ語で書かれた新約でも等しく重要と主張する古ヘブライ語のYHWHを、サタンの忌むべき偽りのために、さらにイエスの意にさえ反し、口裏合わせて一斉に「キュリオス(主)」と翻訳してあらゆる証拠を後世に残さず隠滅する厚顔無恥な輩が写本したものを信じていいのか、という疑問です。

現存の新約写本すべては意図的な改ざんである、と言っているのと同じように思います。

続きます。
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No title

おそらく、新約聖書は最初から主と書かれていたと思います。これに関しては、僕もいろいろ考え中で、ブログで考えをそのうち書きたいです。

Re: No title

自分も、ギリシャ語原本に古ヘブライの神聖4字があった(はず)というのは、主張としては自由ですが、かなり無理があるように思います。直接証拠が一切ないので。びゅうさんの考察も楽しみにしています。

今回も興味深い考察ありがとうございます。
まさか、神聖4字がなかったとは!笑
拡大解釈にも限度がありますね。
GUAさんはどのように調査を行っておられるのでしょうか??
自分もこの目でしっかりと調べていきたいのです。どうか、助けていただけないでしょうか?

No title

 ブログやめちゃうんですか。もしまた、書きたくなったら、戻ってきてくださいね。面白かったので。

Re: タイトルなし

> 無知さん

> まさか、神聖4字がなかったとは!笑

ふぬう・・失礼ですが、これは「現存する数千点↑の新約写本すべて」に神聖4字が一つも出てこない、ということなのですが、それをご存知なかったということでしょうか・・これは組織の資料でも言及されていますが、あまり強調されることでもないので、初めから「聖書=新世界訳」という現役さんの中には知らない人もいるのかもしれませんね。

http://jwtc.info/uploads/photos/54.pdf

ほんの少しだけ具体例を挙げますと、↑の中澤啓介氏の「資料」があります。非JWでもこの方をどう評価するかは分かれるようですが、JWに対する典型的な反論はとりあえず押さえます。

http://biblia.holy.jp/thesis010.html

一方で、JWへのキリスト教的反論に対して擁護?している↑のようなサイトもあります。そして、新約にエホバを“復元”する正当性を主張する「組織の資料」も当然見ます。

これだけで、すでに三者三様三つ巴、訳分からなくなります。しかしここで「正しい人はどれか一人」というJW的観点を捨て、事実を探します。よーくよーく読むと「事実」を言っている部分と、それに基づく「解釈」や「意見」を言っている部分があることに気づきます。

「事実」の部分は誰の資料でも共通しているので、まずそれを見つける作業です。簡単ではありません。誰もが「事実」を利用して自分の結論に誘導しようとします。このブログも含めて(笑)。

資料の中で別の資料が引用されることもあります。「誰かがこう言った」というのも、その意見が正しいかは別として、二次的な事実です。ただ、「だからこの人はこう考えている(はず)」というのは引用者の解釈であり、事実ではありません。でもその人がそう解釈している、というのは三次的な「事実」です。複雑ですね。何を読むにしても、それがどのレベルの「事実」なのか、「解釈」なのかを見分けること、それが初めの一歩だと思います。

Re: No title

> ブログやめちゃうんですか。もしまた、書きたくなったら、戻ってきてくださいね。

びゅうさん、ありがとうございます。初めから、やめようと思った時がやめる時だと思っていました。その「時」が近づきつつあるのを感じます。どんな形であれ、書きたくなったら、書こうと思います。

No title

ブログは少しでも永く続けてください。

神の名について新約聖書のなかではイエスの神に祈る場面でもよく表れていると思うのです。
数回の祈りが記述されていますが、どれも父よ、とか主よと。決して名を唱えてはいませんよね。イエスは名ではない呼び方をしていた。新世界訳でもこれは一緒です。

神は人間の想像を超えたもので、名を呼ぶことを求めているとは限らないことをも証明しています。

これは東洋の考えと一致します。日本では上位の人を名で読むのはむしろ失礼です。

聖書の記述で新約側には決して神の名前の記述がなかったことがほぼ確実だと思います。

イエスの祈り、東洋での習慣、そして最古の資料での証明。
これを覆すべき理由も全くありません。
神が望んでいるとなぜ人間が決めることが出来るのでしょう。

全く納得のいかない論理です。

たしかに

例えば、田中さんという社長がいて
普通、社員は田中さんとは言わず、社長!
って言いますよね
これで機嫌を損ねる社長はかなりの変人でしょう

田中さんって社員に言われたら、社長と呼びなさい
と言われる可能性は高いですよね

おとうさんを名前で呼ぶ?

この点は、若い時からちょっとした疑問ではありました。
JW内でもエホバは父と同じ存在と教えられたけれど、、
本来ならばエホバを親しく感じれば感じるほど「おとうさん!」「ぱぱ!」「おやじ!」って呼んでもいいものなのに

「えほば!」

もし、日本語名なら例えば・・

「わたしのおとうさん、たかし!」

ってなりますよねw
あくまで神は神だからみんなそんなものなのかなあ

No title

 でも、ダビデは、エホバと呼んでましたけれどね。名前で呼ぶのはそんなに変なことでしょかね?

 1世紀当時のイスラエルでは、すでに神の名の発音が失われていたという背景がありますね。

No title

まあ、エホバと呼ぶことにこだわったり、
神、主と呼ぶことにこだわったり、
発音するのは無礼だとおもったり、

宗教的、宗派的対立からみんな極端に行き過ぎるのかもせれませんねw
神からみて人間側のこだわりはどうなんでしょうね

No title

まぁ、言ってもいないことを「エホバはこう言われた」
とか勝手に人の名前を使って言う方がよっぽど失礼だと今は思いますけどね。
そっちの方がよっぽど重大なことだと思います。
その点では、単に”神が”と言うより名前を使って言う方が失礼度はアップするんじゃないかと思いますけどね。
「神の名をいたずらに用いてはならない」という律法はこういう場合に当てはまると思いますよ。

Re: No title

> 真剣さん

旧約時代のユダヤ人は古ヘブライのYHWHを発声していたと思われますが、仰る通り、新約(写本)中ではイエスはただの一度も神名を発声していませんね。人智を超える方への畏敬の念を抱きつつも、はばかりなく「父よ」と呼べることにはまた新たな価値があるのかもしれません。世界の主要語がギリシャ語になり、さらに諸国民に恵みが差し伸べられ、もう「ユダヤ人だけの神ではない」のですから、それも自然な流れなのかもしれません。

イエスも母音があるギリシャ文字に変換して書き遺すことはせず、古い70人訳写本にもユダヤ人の発声に近づけた?変換がごく一部に見られるものの、広まることはありませんでした。

なんかの洋画で、パパが娘に「ジョージ」と呼ばれたらブチ切れてました(笑)。個人差はあるにせよ、アメリカ文化では目上の人をプライベートではファーストネームで呼ぶことはあっても、やはり親子の関係では、小さい子は「ダディ」、大きくなっても「ダッド」と呼ぶのが自然な気がします。実際、YHWHを自己責任で発声して「呼ぶ」ことを天の父が「要求している」かのような考えは、新約には示されていないと思います。「禁じている」とも言えませんが。
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