フランズ氏

レイ・フランズ氏について思うことがあります。統治体まで経験した彼が出版した「良心の危機」には貴重な価値があります。

でもそれを読んで感じるのは、もう組織を改革するつもりはなかったとしても、組織の最高責任者の一人という立場にあったのですから、組織のやり方が末端の信者を犠牲にしているのなら、その立場にある内に、もう少し違ったやり方もできたのではないか、という思いです。彼の置かれた状況とその苦悩など知る由もありませんが、本の内容の範囲での感想です。

彼は組織中枢の偽善、組織統制と拡大の大義に少数の信者を犠牲にする“神権的戦略”の実態をその本で暴露しました。でも残念ながら、排斥されてしまえば大部分の信者には読まれない現実があります。本の存在は知っていても、触れること、家に持ち込むことさえ忌まわしいでしょう。

「1975年」が外れて組織の根本的な解釈が揺らいでいたこともあり、「1914年」や「14万4千人」などについても割と自由な議論がされていた時期だったようです。欧米のローカル会衆では権威主義が顕著な日本よりも会話の自由度は高いと聞きます。でも、さすがに本部内でそれやったらダメだと思います。思想弾圧が始まり、会話の内容が密告・チェックされ、有力者たちが次々に狙われて、各個撃破で袋叩きにされて終わってしまいました。

レイ・フランズ氏も統治体会議で真っ向から少数意見を言ったり、自分が良心的に認められない記事には署名しなかったり・・まっすぐで、潔い人です。でも、当時の統治体メンバーの中にも彼を評価し同情する人もいたのなら、もう少し水面下で慎重に事を運んで組織の方針を少しでも変えるための多数派工作もできたのではないか、と思うでのす。でも彼は組織を改革するつもりもないし、表面的にはJW解釈に合わせながら、水面下の根回しとか政治的なこととか、自分が「神の組織」と信じたものの中でしたくなかったのかもしれません。

だからスッパリ辞めて潔し、という見方もあると思います(最終的には辞めさせられたのですが)。でも批判するならさっさと辞めろ、他を探すか教祖になれ、では組織内部だけが“一致”して、周囲にはいつまでも不寛容と不一致をばらまくばかりです。

何度も予言を外そうが、従順な信者にそれっぽく思わせる“解釈の調整”など、いくらでも考えつくでしょう。辞める人、排除される人が一時的には増えても残った人がまた排他的になり、先鋭化することで再び人を集める(ラザフォード的手法)、の繰り返し・・だから目ざめても留まる人が増える方が、この組織が変わらざるを得ず、人を惑わす偽予言をやめ、あまたの家族を引き裂いてきた非聖書的な要求・戒律・制度を廃止、緩和するようになるのでは、とも考えたりします。現にその凌ぎ合いは水面下で幾らか始まっているのかもしれません。

まあ、辞めるも辞めないも結局はその人次第ですが。フランズ氏も自分を偽りながら統治体の責務を果たすことに耐えがたい良心の痛みを感じていたのですから・・

自分はもうじきこのブログから去りますが、JWの“真実”を追求するネットでのこのうねりを「協会」が弾圧することに再び成功するのか、それともかつてのレイ・フランズ氏のように、支部や本部を動かす人の中から、組織よりも個の仲間と神の義を愛する人が出てくることが再びあるのか、そのことにはいくらかの興味があります。今は様々な手段で情報共有、意見交換ができる時代です。フランズ氏の時とはまた違う結果になる可能性もあるのではないか、と思うのです(ないですか)。
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こんばんは

またまた興味深い観点からありがとうございます

自分も同じ点を考えていました。
ただ、あの時代、過去に統治体から離脱した人がまだいなかった時代ではフランズ氏はあれで精一杯だったのではないか、と思うのです。
もともと、良心の危機も書くつもりもなく、ただ静かに去るつもりだったらしいですので。
彼は熱心な聖書研究者でしたし、神への純粋の信仰を持っていたと思うので、
詩編 127:1 

「エホバご自身が家を建てるのでなければ, 建てる者たちがそのために骨折って働いても無駄である。」

この言葉に信仰を置いて、自分が巧みに工作することによって改革することはもはや神の目に無駄であると考えたのではないかと思います。
そして、実際にこの組織を動かすのは実に難しい。これを最高司令部で痛切に感じでいたのは他でもない彼自身だったのですから。
人間の改革の努力には限界があり、仮に大きな犠牲を伴って成功したとしてもそれはあくまで人間が成し遂げたこと。
であれば、いづれまた問題を抱えることになるでしょう。世の中の政治と同じです。

ですので、あの時代、自分が仮に彼の立場だったとしても、同じことをしたように思います。
ただ、もし、あれが起きたのが今だったら?
ひょっとしたら状況は変わっていたかもしれません。今であればフランズさんはネットで末端の信者の動きを調査し、ある人たちとは直接コンタクトを取ったりして新たな動きをすることができた可能性もあるように思います。
自分だったらそうしてるかもしれないな、とも思います。上に書いた考えとは少し矛盾しますが、その可能性に賭けてみるのもいいのかな、と。

ネット上のうねりとはいえ、まだ、信者全体の動きにはそれほど影響はないように思います。最近、身近な人に”気づき”を与えられないか少し、動いてみたのですが、やはり、みなさん、ガッチリ洗脳されてしまっておられます。(笑)
オウムの例もあるように、ガッチリ洗脳されてしまうと予想以上にそこから抜け出すのは難しい。
あとやはり、単純に自分の置かれた状況ががらりと変わってしまうことを普通の人は恐れます。人はそんなに強くない。自分がそうだからよくわかります。
これからは二極化がより一層進んでいき、離れていく人は増え、弱体化は進んでいくと思いますが、それでも、この組織は形を変えながら存続して行くものと思います。

GUABELLOさんはブログを去るとのお考えのようですが、この組織からも身を引くおつもりですか?
自分も、もはや、できることには限りがあると考え、そろそろ離脱の準備をしています。
上述の詩編127:1の心境です。
あとは、自分の人生を生きていきたい。

GUABELLOさんの興味深い記事に感謝します。

自分もネットでもみなさんの意見を聞いて、自分はどう動くべきなのだろうと考え続けています。
もはや、信じられなくなっているのであれば潔く去るべきなのかなとも思うのですが、そこはやはり、スナフキンさんの言うように強くない。
決断を下すことが怖くて迷う日々です。
たとえ、この組織を変えることができなかったとしても、方針に従う気が無かったとしても、今目の前で誠実に神に仕えている友人たちは自分にとって嘘ではないのだから。
ただただ、エホバに祈るばかりです。
アブラハムのようにエホバに試されているような気分です。

Re: こんばんは

スナフキンさんもお気づきのように、今回の記事は「人間的な観点」から書きました。「人間の組織」であれば、「人間のやり方」である程度、変えることも可能です。神の意思が何かの「人間の組織」とシンクロしていないことを知った上で、最高指導者の一人というポジションにあったのですから、その立場にある内に、「人間的な責任の取り方」もあったのではないかとふと思っただけなんですね。本も書いてくれましたし、結局は人がどうこう言うことではありませんが・・

自分がどうするかですが、もう足半分くらいは出かかっていますが、完全に関係を立つなら良心的に明らかにしなければならない事実があります。それをするとこちらが望まざるともかなりの人を巻き込むことになりますし、それなりの身辺整理も必要なのですぐには無理かもしれません。フランズ氏のように辞めざるを得なくなる可能性はありますが、とりあえずJWの看板を掲げてのブログは休止するつもりです。

Re: タイトルなし

無知さん(こうお呼びしていいのかどうか)

確かに現役の方には、自分は「目ざめて」いる訳でもなんでもない、最初から統治体に献身したつもりもない、だから統治体のやり方や解釈に間違いがあるのは当然のことで、自分は神に仕えている、と言う人もいますよね。ただフランズ氏の例が示すように、一信者ではなく、その解釈や指示を神の名で下し、信者を裁かなければならない人は厳しい状況に置かれるのだと思います。

聖書は「エバは欺かれたが、アダムは欺かれなかった」と教えます。「組織の立場」を持ちながら留まるには、全く欺かれるか、自分を欺くしかないのかもしれません。それがエバへの愛か、組織への愛か、というだけの違いで。アダムは「あなたが与えてくれた女」が食べろと言った、と言い訳しましたが、「あなたの組織」の言う通りにしただけだ、と神に言い開きはできないのでしょう。

何かの組織に「留まるかどうか」で神が試しているとは自分はもう考えていませんが、記事にも書いたように、そういうスタンスで留まる人が増えても、それが間違っているとも思いませんよ。

No title

こんにちは。
今日のものみの塔研究は若い人に”最高の生き方”を求めていくように励ます内容でした。
もはや、この負の遺産を次の世代にまで伝えていくことは神の目に無駄であるどころか罪なのではないかと思います。
精神的に病んでいく人をこれからも増加させていくでしょう。若者の未来を潰してもいきます。
この生き方を追い求めたら将来必ず路頭に迷うときが来る。今の私たちのように。
そして、被害者となっていくのは主に疑うことを知らない善良な人たちです。ちょうど私たちの周りにいるような愛すべき人たちです。

>「人間の組織」であれば、「人間のやり方」である程度、変えることも可能です。
確かにそうですね。
ひょっとして、私たちでもなにか具体的に動ける方策があるでしょうか?
この負へと向かう連鎖を食い止めるために。
どうせ辞めるのであれば、なんらかのアクションを起こしてみようかとの思いもあります。
GUABELLOさんになにか具体的な案がありますか?

Re: No title

>スナフキンさん

昨日の記事は、ホントに無責任でしたね。経済的な自立と繁栄は組織からの自立
につながりかねないとの教育でしょうか。封建社会か。

> GUABELLOさんになにか具体的な案がありますか?

すみません、「人間的なやり方」で変えることもできる、というのはフランズ氏並みのポジションがある人に限っての前提でした・・目ざめた末端信者たちにできることと言えば、ネットでさえずることくらいかもしれません(涙)。

でもスナフキンさんが仰るように、おおっぴらに会話にすると面倒くさいことになるのでその辺の統制はまだまだガッチリですが、自分の周りでは3~4割は組織や解釈を絶対視することをやめているような気もします。どれくらいがネットの影響によるものなのかは分かりませんが。

直接的なダメージはお金でしょうね。人がいながらにしてお金が集まらない。人がいれば巡回さんも雇わなくてはならないし、大会ホールの維持も必要(どっちもいらない)、奉仕報告などの事務処理コストもかかる(これも無駄)・・最近の大会縮小や地域さん廃止、まあ巡回さん制度もいずれ危ういんじゃないでしょうか。ネットでうねらせることも、無駄ではないと思っています。

こんにちは。
無知さんで大丈夫ですよ。笑
まだまだぐずぐずしてしまう私ですが、
もし、JWの組織が偽りだったとしたなら、サタンは欺きの名手としか言えないですね。
いったいエホバは何をしているのかと思ってしまいます。
エホバに支えられていることを短い人生ですが、幾度か経験してきています。その度に、エホバに仕えて良かった。この組織にいれてよかったと信仰を強めたものです。
この組織を信じたい気持ちがまだまだ集会に行くと湧いてきます。
いろんな背景、年齢、立場の皆が一緒に学んで励ましてる姿はホントに素晴らしい。
祈りも皆で心を一つにしてエホバに捧げています。
本当に集会の後は心が爽やかにされます。
そんなところが他にあるのでしょうか?
すべて主観と感情で述べてしまってすみません。
これまでJWとしてのすべて人生でしたので、自分なりに信じて来たのでそれが間違いだと思いたくないために必死であがいているのかもしれません。
どうか、真実がすべての人に伝えられて、どうするかを1人ひとりが事実を知った上で決めることができる日が来る事を祈るばかりです。
ネットでしかだせない悲痛の声をエホバが顧みてくださいますように。

Re: タイトルなし

> もし、JWの組織が偽りだったとしたなら、サタンは欺きの名手としか言えないですね。

「サタンは自分をいつも光の使いに変様させている」

これがJWそのものだと決めつけはしませんが、「よく見せかける」「この場所しかないと思わせる」ために都合の悪い部分を社会と信者から隠そうとする傾向は確かにあるように思います。

> これまでJWとしてのすべて人生でしたので、自分なりに信じて来たのでそれが間違いだと思いたくないために必死であがいているのかもしれません。

無知さんは正直な方ですね。JWの個人研究が「資料探し」になってしまったように、彼らの神に近づく方法も「場所探し」になってしまったのかもしれません。ネットで声をあげている方たちも最初は「ここしかない」「こんな場所は他にない」と感じたからこそ入ったのでしょうが、悲痛な経験を通してそうでもないことに気づかれたのだと思います。まして2世の方は複雑かもしれません。

どの場所でもなく、霊と真理によって崇拝される方が、この組織で傷ついた方たちをも顧みてくださることを自分も願ってやみません。


No title

>無知な者さん(確かにこう読んでいいものか・・・(笑)

横からスミマセン。
もうすこし、JWの枠にとらわれずに上から俯瞰して見るといろんな新たな面が見えてくると思います。

例えば、モルモン教の公式サイトをJwのそれと比較してみたり、モルモン教徒や創価学会の現役の人や辞めた人たちのブログを探してみてみたりするといいと思います。
気持ち悪いほど私たちと同じようなことで悩んだり、同じようなことで感動したりしています。
ということは・・・・・・。

新たな視点が開けてくると思います。

GUAさんとお呼びしてもよいでしょうか?^_^
そうですね、真実をありのままに伝えることをしていない不誠実さはエホバではなく人間の業といわざるおえないですよね。
神に用いられていることと恵みを受けていることを混同してはならない。。ですね(°_°)
早く自由になりたい。
僕は正直さとは程遠いです。本当の気持ちをここでしかだせないのですから。。本当に悔しいです。
悲痛な経験をされた方がエホバへの忠実を保ってヨセフのように日の目を見る時が早く来ますように。

スナフキンさん

新たな視点ありがとうございます。
さっそく調べて見たのですが、確かに似たように悩む人と、それでもこれが真理だと信じてついていく人と二極化が感じられますね。
なんだかホントに気持ち悪いくらい似てる。。笑

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