神の証明②

「家はだれかによって造られるのであり、すべてのものを造られたのは神です」

これをパウロと同様、個人の信仰またその理由として語ることは何も間違っていないと思います。というか間違っていることも証明できません。しかしこれを勝手に普遍化して神の存在を証明するかのようなJW論理を検証してみます。

       宇宙
       /   \
始まりはない   始まりがある
             /  \
  原因となるものはない  原因がある
                   /    \
             何かとこしえの   だれかとこしえの
             存在物による    存在者による (始まりも原因もない・・あれ?)→ 自分の加筆

「家は必ずだれかによって造られる」・・少なくともこの地球では「真理」のようです。「1+1 = 2」の証明と同じように論理学的に厳密な証明ができるかはよく分かりませんが、経験と観測により「だれもがそうだと思う」ことでしょう。

一方、人間が観測できる宇宙はこの宇宙しかなく、その始まりも、だれかが造ったところも、だれも観測したことはありません。家と同質・同レベルの人工物と捉えていいのかも分かりません。

あらゆるものには始まりがあり、かつ無からは生じない(“無”を定義するのも簡単ではありませんが)・・これを論理的根拠にすると、神に始まりがないことを「論理的に」説明できません。

これ以上踏み込むと自分が火傷しそうなのでこれくらいにしますが、↑のチャートを見てお気づきでしょうか(創造者78P)。神は一番下に追いやられています。宇宙に始まりがある可能性や、その原因について本格的に議論され始めてから100年経つかどうかです。その前に神は存在しなかったのでしょうか。

宇宙がある → 始まりがあるらしい → 原因もあるようだ → 「全能」かつ「始まり」がない「神」が存在する(Q.E.D)・・・神とは人間側の論理や思考の都合・過程で最後に定義された概念に過ぎなくなります。しかも最後だけすさまじく飛躍している、というか論理的に「ルール違反」です。

一方、あまりにも有名な聖書の冒頭には何と書いてあるでしょうか。


初めに神は天と地を創造された」 ・・・論理もへったくれもありません(笑)。


ただの書き順とはいえ、伝わるメッセージはかなり違うと思います。

科学知識と証明プロセスが進歩した現代で、科学や論理学(証明)という宗教が立ち入るべきではないところに上がり込むやり方は、本当に論理的思考を重んじる人からは逆に反発を買っているような気もします。それも計算の上での作戦なのかもしれませんが。


「あなた方の間に愛があれば、それによって人々はわたしの弟子であると知る」


「愛がある」とは何かの組織に期待・要求するものでもないと思います。何かの組織に属していようがいまいが、自己賛美や勧誘目的ではなく、キリストが霊によってその内に住まわれる人はだれでも、その愛によりイエスの弟子であると知られるように思います。


創造“論”と進化“論”の土俵違いの 争いではなく、どういう形やきっかけであれ「知識を超越したみ子の愛」を通して引き寄せられる人は、その方が示された「天の父」に近づきたいと思う・・神の存在、さらにその正当性までを独自の「論理的根拠」で証明するかのような手法がクリスチャンの布教でしょうか。神ではなく、その論理や解釈を思いついた特定のグループを強烈に“擁護”する人を生み出すだけではないですか。
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