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喜びと悲しみ

「主にあって常に歓びなさい。もう一度言います、歓びなさい!」

パウロらしいまっすぐな正論です。もちろん、クリスチャンには歓ぶ理由があります。

しかし、悲しみもまた、自然の感情です。喜ぶこと、幸福であることが義務であるかのように、消極的なことや否定的なことには目を向けてもならず口にしてもならない、と強制されるなら逆に喜びを奪うことになりかねません。

悲しむこと、落胆することは信仰が足りない、“ふさわしい”見方ができていない証拠、と言い聞かされると、顔はニコニコしていても心が悲鳴をあげていることもあるのです。

「嘆き悲しむ人たちは幸いです。その人たちは慰められるからです」

こちらはイエスの言葉です。

特に自分のことではなく、他の物事、他の人の状況に目を留め、「悲しむ人と共に悲しむ」ことは、人間特有の貴い感情であると、自分は思います。

「都の中,エルサレムの中を通れ。その中で行なわれているすべての忌むべきことのために嘆息し,うめいている者たちの額に,あなたは印を付けなければならない」

背教したエルサレムにおいて、独自のグループを作って歓んでいる人ではなく、その中にいて、行われていることに嘆き悲しんでいる人に印を付けよ、と命じられています。

百匹目の羊の記事でも書きました。痛み苦しんでいる一匹の羊を、「牧場や経営者の評判を落とす」とばかりに存在しないかのように扱い、元気いっぱいに歓び草をはむ99匹の羊を宣伝して自慢することは、イエスが示した精神ではないと思います。

悲しむ人と共に悲しむことは、やがて歓びに変わります。イエスは、その百匹目の羊を探し求めそれが見つかるなら、他の99匹以上の歓びが天で生じる、と言われなかったでしょうか。

嘆き悲しむことこそ、真の喜びと幸いを生み出すのです。

喜びと幸福しか存在しない、と謳われている場所には、虚構の喜びしか存在しません。

「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」

仮に、人類が精錬されてこの言葉がいつかその通りになるとして、嘆きも痛みもない世界で人間がどのような感性や霊性を持つようになるかは、今の自分たちには理解できないことだと思います。「悪いことも苦しいこともぜーんぶなくなってみんなハッピー☆」のような単純な話ではないかと・・

少なくとも、今ある悲しみから目をそむけてはいけないと思います。
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聖句補足

聖句をひとつ加えてよいでしょうか。

ローマ 12:15
「泣く人たちと共に泣きなさい」(新世界訳)
「泣く者といっしょに泣きなさい」(新改訳)
「泣く人と共に泣きなさい」(新共同訳)

反論の余地はありませんね。
会衆という取り決めができたとき、悲しみを共有することが信者のつとめであると私たちの兄弟パウロは述べています。

ではでは。

No title

まさにまさに、おっしゃるとおりと思います。
キリストがお教えになったのは、白を黒と言いくるめたり、墓を白く塗って表面を取り繕うことではなかったはずです。
それどころか、自らが人間の形となり、人間の苦しみも悲しみも共に味わってくださった。それこそがキリストが残した道でありました。
いつも深い考察を示してくださり、ありがとうございます。

ありがとう

いい記事ですね。
ありがとう。
ありがとう。

Re:

みなさん、ありがとうございます(まとめてですみません)。

何でこの記事を書く気になったのか分かりませんが、多分、前回の記事で悲しくなりすぎたんだと思います。でも、みなさんのコメントで慰められました。悲しむ人は幸いなのですね。

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結局は

喜んでも悲しんでも終わりが来ない。
エホバは終末論だから、百年間待って終わりこないんだから、宗教として意味はないと思う。

Re: 結局は

終末論で人を集めても、いずれ限界が来ますよね。
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