世の支配者
この世界と人類を統一しようとする勢力、それが何なのかはよく分かりません。やがてその勢力が支配する一つまたは複数の国、そしてその中の一つの都市を中心とする世界帝国主義がはっきりと姿を現すのでしょうか。それは「秘義」であって、「主の日」が到来して「地とその中の業があらわにされる」時までその確かな実体は隠されているのかもしれません。
『わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです』
「闇の世の支配者たち」(暗闇の世界の支配者:新共同訳)・・複数形で語られています。表向きの政府と権威とは別の存在です。邪悪な霊の勢力でもありません。
この一つの聖句の文言だけではなんともですが、「暗闇の世界」を支配する者たちの実体と世界を統一しようとする彼らの試みが「主の日」に明らかになる可能性を考えています。この勢力が自らの力で「統一世界」を実現させる試みが成功するかのように見える段階まで進めば、「平和だ、安全だ」という叫びも上がることでしょう。
それで、主の日が始まる前後に稲妻のように生じる世界的混乱からこの大いなるバビロンが姿を現し、この勢力による世界秩序を支持するのかどうか、世界を二分する論争が起きるのかもしれません。
しかしいずれかの段階で、軍事力に対する直接の指揮権を持つ「十人の王」が彼らに反旗を翻すことはあり得ると思います。少なくとも、国連が宗教すべての殲滅を全会一致で決議し、全宗教に対する武力行使を始め、なぜかWT協会だけが後回しにされるよりは、の話ですが。そんなことがあるとしたら真っ先にやられそうですが(笑)。
『わたしたちが神から出ており,全世界が邪悪な者の配下にあることを知っています』
「邪悪な者(=単数)」が世界を支配しているのであれば、政治的な力もあるはずです。でも数ヶ月、数年単位で変わる表向きの政治家が逐一その者に影響されている、とも考えにくいです。闇の世の支配者たちを媒体としている可能性はないのでしょうか。
最後の使徒ヨハネが「主よ!来てください」と祈ってから1900年以上経過しました。しかしイエスはいつの日もわたしたちと共にいてくださる、とも約束されました。その方が再び来られるのがあと何十年、何百年先になるのかは分かりませんが、主の日は盗人のように、稲妻のように訪れるのでしょう。いずれにしても、「主の日が来ているという趣旨の霊感の表現や口伝えの音信(人による吹聴・宣伝)」には注意したいですね。
『わたしたちのする格闘は,血肉に対するものではなく,もろもろの政府と権威,またこの闇の世の支配者たちと,天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものだからです』
「闇の世の支配者たち」(暗闇の世界の支配者:新共同訳)・・複数形で語られています。表向きの政府と権威とは別の存在です。邪悪な霊の勢力でもありません。
この一つの聖句の文言だけではなんともですが、「暗闇の世界」を支配する者たちの実体と世界を統一しようとする彼らの試みが「主の日」に明らかになる可能性を考えています。この勢力が自らの力で「統一世界」を実現させる試みが成功するかのように見える段階まで進めば、「平和だ、安全だ」という叫びも上がることでしょう。
それで、主の日が始まる前後に稲妻のように生じる世界的混乱からこの大いなるバビロンが姿を現し、この勢力による世界秩序を支持するのかどうか、世界を二分する論争が起きるのかもしれません。
しかしいずれかの段階で、軍事力に対する直接の指揮権を持つ「十人の王」が彼らに反旗を翻すことはあり得ると思います。少なくとも、国連が宗教すべての殲滅を全会一致で決議し、全宗教に対する武力行使を始め、なぜかWT協会だけが後回しにされるよりは、の話ですが。そんなことがあるとしたら真っ先にやられそうですが(笑)。
『わたしたちが神から出ており,全世界が邪悪な者の配下にあることを知っています』
「邪悪な者(=単数)」が世界を支配しているのであれば、政治的な力もあるはずです。でも数ヶ月、数年単位で変わる表向きの政治家が逐一その者に影響されている、とも考えにくいです。闇の世の支配者たちを媒体としている可能性はないのでしょうか。
最後の使徒ヨハネが「主よ!来てください」と祈ってから1900年以上経過しました。しかしイエスはいつの日もわたしたちと共にいてくださる、とも約束されました。その方が再び来られるのがあと何十年、何百年先になるのかは分かりませんが、主の日は盗人のように、稲妻のように訪れるのでしょう。いずれにしても、「主の日が来ているという趣旨の霊感の表現や口伝えの音信(人による吹聴・宣伝)」には注意したいですね。
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