7つの会衆

以前の記事にも書きましたが、かつてJWも、天の王国という引き網=クリスチャンと称するすべての組織と解釈していました。エキュメニカルと紛らわしくてイヤなのか、天上天下唯一組織主義を加速するためなのか、この解釈も引き網=JW組織オンリーに変更されました。

でも以前の解釈にしたがって聖書巻末の啓示の書を見ると、しっくりくる部分があります。

つまり、イエスが「炎のような目」でつぶさに調べておられる「主の日」における7つの会衆とは、キリスト教と称するグループ全体を指しているのではないか、という考えです。

啓示の書に出てくる7つの会衆は、それぞれに褒めるべき点と、責めるべき点があります。もちろん、それぞれの会衆が現在の特定の宗派に当てはまる、ということはないかもしれません。

エフェソス会衆・・労苦と忍耐、でも最初の愛を離れた
ペルガモン会衆・・迫害に耐えた、でもバラムの教えを持ち込む者がいる
テアテラ会衆・・・行いが多い、でもかの女イゼベルを容認している

・・など。

では主が到来する時、この地上に何を見るのでしょうか。クリスチャンと称する人を裁くのは主がなさることです。

このブログで「告白すべき罪のない教会は存在しない」というカトリック神学者キュング氏の言葉を何度か引用しました。ちょうど罪の程度に差はあっても「すべての人は罪を犯したので神の栄光に達しない」のと同じように、聖書からの逸脱の程度に差はあっても完璧なエクレシアなど存在しないのかもしれません。それが、啓示の書の7つの会衆の描写とも一致するように思います。一応、JWも“キリスト教”からは出て行きたくないようですし。

自分は聖書の神を信じるようになった方々が天の王国という引き網に留まることを願っています。ある人にとっては、組織の間違いと矛盾に目ざめながらも当面はJWに留まることであり(改革派の方や様子見の方)、また完璧な会衆ではなく神を求めて他教会に行かれる方もいます。今のところ、どこの教会にもJWにも戻る気にもなれず、個人で祈り信仰を実践している方もいるでしょう。

それが神と聖書は否定しない、というめんどくさいスタンスで自分がブログを書いている理由です。もちろん、元かどうかを問わずキリスト教から離れた立場からJW問題を考察される方のサイトも楽しく拝見しています。

話を戻しますが、クリスチャンと称するすべての人をキリストが調べているのなら、その同じ巻末の啓示の書が示す、クリスチャンが出なければならない「大いなるバビロン」とは何でしょうか。


これは予想というか個人的推測の域を出ませんが、最近一つの可能性と思えるようになってきたことがあります。聖書の予言は抽象的な言葉が多く、人間があーだこーだと解釈に踏み込んだところでJWのように外しまくるのがオチです。でも引き網=JWオンリーを否定するなら、「大いなるバビロン」て一体・・という対案も一応出しておこうかと思いました。個人の趣味です。
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