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小さな事

『ごく小さな事に忠実な人は多くのことにも忠実であり』・・・聖書の格言です。

もちろん、クリスチャンにとっての忠実の対象とは、神と聖書の教えです。

でもJWにとってはそうではありません。ものみの塔4月15日号のライフストーリーです。

そこで語られているエピソードで、2代目会長のラザフォードが当時の工場長ノアに「昼休みに事務所に戻って来る時、消しゴムを持って来てほしい」と指示することがよくあったようです。するとノアは昼休みを待たず、連絡を受けるやすぐ倉庫に消しゴムを取りに行ったとのこと。忘れない内に、ということでしょう。

ノアは次期会長になります。すると、自分の部下に同じような命令をします。「毎朝、鉛筆を削っておくように」という指示です。ノアから↑のエピソードを聞かされたこの方は、その指示に従い長年、毎日削りたての鉛筆をノアの机に準備しておいたそうです。

・・これがJW的「小さな事」です。

鉛筆くらい自分で削れよ、と思いますが、JW組織は「組織への忠実度」や「指示系統への従順度」を試すためによくこういうことをします。ベテルでも、入りたての頃は「無意味な雑用・指示」を受けることもあると聞きます。とにかく、“謙遜”に指示に従うかどうか、を見るのです。

弟子たちの足を自ら洗ったイエスとは正反対のやり方です。

今時、それを主な目的として雇われている秘書なら別ですが、ただの部下に自分の机や事務用品の整理までやらせる上司なんて「世の会社」にもいるのかどうか。下手をすればパワハラです。


『その人たちがふさわしいかどうかまず試し』なさい・・

この一句を取り上げて、すべての指示を正当化します。何かの仕事を委ねて、それをどう果たすかによって評価されるのはどの組織も同じですが、消しゴムを取ってこい、とか、自分の鉛筆は毎朝削っておけ、とか陰湿なイジメのような指示で“試す”ことが聖書的なのでしょうか。

ラザフォードも消しゴムが必要なら、自分で取りに行くか、新米の若者に行かせることもできたはずです。でもわざわざ工場長だったノアに指示するあたり、次期会長候補として“謙遜さを試して”いたのかもしれません。

ベテル内ではそういうの、好きにやってもらっていいと思います。好きな人が申し込んで、好きで呼ばれている訳ですから。でもそういう指示に飼い慣らされてベテルで出世する人間が、同じ基準で巡回さんを選び、教育し、協会に雇われてもいない現場の信者を指導させていれば、そのやり方が一般的な常識や聖書の精神からも乖離していくのは当然でしょう。最近では「奇妙で異例な指示」にも従え、とか全信者向けに言い出してますからね。

この方、何の失敗かは分かりませんが、あるミスについてノアに謝罪の手紙をしたため、自分はもう別の部門に配属されるべきではないか、と申し出たそうです。見事なまでの怯えっぷりです。その姿勢が評価されてかその件は不問になり、この方は今でも組織の中枢で働いています。

ただの過失なのに、絶対的権限を持つ“会長”に事実上の始末書でクビを覚悟に詫びたら許された、それが将軍様、じゃなかった会長様の何という恩情でしょうか、という美談の記事になるなど、もう“クリスチャンの組織”とは思えませんね・・

上が一方的に下を試し、評価する、そして上になれば同じように下を試す、下は常に上の評価と顔色ばかりを気にする、イエスの精神を思い出してこんな悪循環を断ち切ってほしいと思いますが、難しいでしょうね。
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No title

JWの組織をよく物語るエピソードですね。会衆でも、若い人を奉仕の僕に推薦できるか考慮する際に、細かい長老の指示に従うかどうかをテストするというようなことが行われていたのを思い出します。上がそうだから下もそうなるのでしょうね。

この「小さな事に忠実」はルカ16章に出てきますが、話の流れとしてはいわゆる「不義な家令(不正な管理人)」のたとえの続きになります。以前JWを辞めてから、JW以外の聖書解釈が知りたくてネットを徘徊していたときに、この箇所の説教を読んで衝撃を受けたことがあります。
http://www4.big.or.jp/~joshiba/message/sermon/116.htm
私が辞めて半年で洗礼まで受けてキリスト教世界のクリスチャンになってしまったのは、この鮮やかなまでの対比、違いに心打たれたからなのでしょう(笑)。

Re: No title

すばらしい解説ですね。「世の人」という二元論でしか考えられないJWにはない発想です。

知り合いから聞いたJWに、あまりに厳しい見方をしすぎて、どんな仕事も良心的に許せなくなり家から出られなくなった方がいました。どんな仕事をしても「商業主義に関わっている」、家庭教師のバイトをしても「高等教育を奨励している、偽善ではないか」などと苦しみ続けているそうです。

「この世」で究極的に良心を痛めまいと思えば、土を掘って自給自足するしかない・・でもキリストの贖いに真に信仰を持つとは、そういう生き方のことではないのですね。

ちなみにものみの塔2012年12月15日号では、この奴隷は不義であったため「解雇された」と悪い例で取り上げられています。すぐ後の文脈で、不義な者ではあるがその「実際的な知恵」を主人は褒めた、とあるんですがね・・恥ずかしい限りです。

No title

初めまして。
いつも読ませていただいています。

コメント欄の「良心」で思い出しましたが、良心の危機のレイモンド・フランズ氏の審理事件を扱ったのが、この経験の方でしたよね。

片や組織に忠実で今もベテル、片や聖書に忠実でJWを去る。対照的なお二人ですよね。
今度の日曜日の塔記事9節にもありますが、今後ますます発言の自由が統制されていきそうですね。

誤り

上記の
「良心の危機のレイモンド・フランズ氏の審理事件を扱ったのが、この経験の方でしたよね。」

失礼しました。エドワード・ダンラップ氏の事件の間違いでした。

Re: No title

>Hanakiさん、初めまして

おお、そうでしたね。気づきませんでした。ダンラップ氏が組織の規則よりも個々の信仰と愛が勝るべき、と言ったら「でも僕は誰かにあれこれ言ってほしいけど」と答えた方ですね。主君の鉛筆を毎日削りながら、主君に逆らった人間は容赦なく排除する・・豊臣秀吉みたいな方ですね。

今週のものみの塔もすごいですね。組織の最新の解釈についてこない人は「背教に傾いている」・・排斥を待たずして、疑わしい言動をする人を半ば忌避するよう指示しています。自分も「良心の危機」で語られた1975年後の思想弾圧を思い出しました。
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