神の子

「生まれた」という語には2つの意味があると思います。

① 文字通り「生まれた」

② 比喩として使われる場合「造られた」・・例)「○○の生みの親」

人間でもいろいろ造れます。しかし①の意味において人間から「生まれた」ものは必ず人間です。「存在者=神?」からこの意味において生まれた「子」がいる、という概念を否定すれば完全純一神教のイスラム教、ユダヤ教と同じです。神の場合、「生む」と「造る」がどう違うのかはよく分かりませんが、初子であり独り子、ということは①の意味を強力に示唆しているようにも思えます。

旧約では“造られた”人間や天使が「神の子ら」とは呼ばれているが、メシアとはユダヤ人の救世主となる人物であり、①の意味での「神の子」が人に宿ることをはっきり予告した部分はありません。現在はユダヤ教徒でも、メシアを「一人の人間」として待っている人はもうあまりいないようです。まして旧約だけ何百回読んでも神に「独り子」がいて、それがメシア=人になると考える人は皆無でしょう。

当然、1世紀でも「メシア=神の子」という見方はユダヤ人にとって一般的ではありませんでした。イエスはすぐにでも「神の子」であること示せという悪魔の誘惑を退けました。イエスの宣教開始直後に、イエスを「神の子」だと宣伝したのは人に憑いた悪霊たちです。イエスは自分が誰であるかを知らせないよう叱りつけた、とあります。イエスの宣教中も、郷里では「大工の子」でした。

最後の裁判を除く宣教期間中に、弟子たちではなく、それを言ったら怒るであろうユダヤ人指導者に「神の子」であるとイエス自らが明言して起きたトラブルを記録しているのはただ1回、ヨハネ福音書だけです。案の定、ユダヤ人教師たちは神に等しい主張だと激怒した・・ということは当然、①の意味に捉えた可能性がある、ということです。メシアはともかく神の子を注文したつもりはないのです。

JW的には「神の子」を「神」だなんてただのいいがかり、と言いますが、それはJWがイエスについても、②の意味(造られた)、という前提で初めから解釈しているからです。①の意味において神に子がいる!しかもそれは目の前にいる自分(=人)だと主張することがユダヤ人にとって許し難い冒涜だったのです(言い切っちゃった)。


だとすると、キリスト教は「唯一神」ではなく「拝一神」なのでしょうか。

そうやって人間側が何かのカテゴリーにはめようとすることがナンセンスです。自分たちが絶対に正しい、と一つの見方や説明に固執するとパリサイ人のように激怒することになります。

JWは新約の子に対するプロスキュネオーの訳語として、崇拝ではなく敬意を選びます。それもいいでしょう。聖書は「父と同じように子も尊ぶ(=敬う:新共同訳)」よう教えています。

「神の栄光と存在そのもの厳密な描出」である「子」を通してのみ「父」に近づくことができ、それは「ただ一人の神」を崇拝することになります。その点ではどのキリスト教信仰にも大差ないように思います。

その過程でその人の内に宿る霊(内なる神)を認めて、「父と子と聖霊の名」において洗礼を受けることを「さんみいったい」と表現することも・・まあ、いいんじゃないでしょうか(主にJW関係者向けですのでこういう書き方もご容赦ください)。

でも父と子はホモウシオスだ、となると分かりにくい、というのも理解できます。かといって「子」を神から離しすぎて「天使の一人」とするのもちょっと言い過ぎのような気もします。唯一神にしようとする目的は同じです。聖書に書いてある以上のこと、以下のことで議論しても・・いいですが、まず一致できる共通の土台を探しませんか。
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