神は全能?④

『創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです』

罪の結果、自らの意志とは無関係に刑に服させられた人が、刑務所の絶望と劣悪な環境の中で「どうして自分はこんな目に合うのか、こんな仕打ちが許されているのか」と問えるでしょうか。

聖書を知って疑問に思うことの一つは、罪を犯したのは両親なのにどうして生まれた子も刑務所に入るのか、ということです。現実には服役中の人が家族をもうけることはできません。しかし神は「希望に基づいて」それを許されました。でも罪は遺伝的欠陥でもあるので、完全な子孫を生み出すことができず、子は罪の内に宿され、やがて自らも罪を犯し罪人になります。それで聖書では出産という行為自体が喜びであると同時に罪深いともされています。

何の「希望に基づいて」いたのでしょうか。いつか、罪と死がもたらす虚無からの解放です。その希望は、ただ「自分の憐れむ者を憐れむ」権利を持つその人にかかっています。模範囚であることは悪くないですが、その希望が業=当人の模範的言動によって保証されるものであるかのように取り繕う人は、人間にさえ見透かされます。映画「ショーシャンクの空に」のモーガン・フリーマン状態ですね。この映画大好きです。

そのタイミングについて囚人がどうこう言えません。無期懲役の刑に服している人が、30年たって解放が認められた時、「なぜこんなに長く入れられたままだったのか」と問えるでしょうか。

人類が教訓を学ぶべき期間としてのこの数千年間は長すぎるのでしょうか。まだしばらく続くのでしょうか。そんなこと知りません。勝手に計算して、しかも何度も外すなど論外です。

しかもそのグループのリーダー達は自分たちも囚人なのに裁判官様から全権を受けていると主張し、自分たちの指示に従わないと釈放されない、というか従わないともうすぐ一斉処刑!などと脅すようなことをかれこれ100年くらい言い続けています。自分も囚人なので彼らを裁く権利はありませんが、その指示に、心身を削り多くのものを犠牲にしながら唯々諾々と従い続ける人たちがちょっぴり心配で、こんなブログ書いています。


詐欺や暴力の被害を直に受けた人が自らを含めた「全世界の罪」という考えを受け入れるのは容易ではないですが、聖人ステファノはパリサイ人の欺瞞を強烈に非難しながらも、その命の最後に捧げたのは、彼らに扇動されて自分をまさに石打ちにして殺そうとする者たちへの憐みを求める祈りでした。自分や家族が犯罪や戦争の被害にあったとき同じ心境にたてるかどうか自信はありませんが・・





自分も数々のブログで指摘されるような、仲間を霊的に打ちのめす人間をこの組織で目にしてきましたが、聖書の言葉を借りれば彼らも「自分たちが何をしているのか知らない」犠牲者だと思っています(確信犯的な方もいます)。組織統制と浄化のために利用され、やり方を間違えれば自らのクビが飛ぶ。「協会」は次の人を任命するだけです。

一度はこの組織に属した者として、「協会」の真の姿が信者に明らかになる時、または「協会」の在り方の根本が変化せざるをえなくなる時に、その先に何があるのかには多少興味があります。それがこのブログを続ける理由の一つでもあります。
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No title

わかりやすい例えありがとうございます。
よくわかりました。
そうですね!王国設立100年と喜んでいる場合じゃないのですけどね。


>「協会」の真の姿が信者に明らかになる時
>その先に何があるのかには多少興味があります
ほんとになにがあるんでしょうね~
なにもなかったりして(笑) 
最近の若い人はもはや教理には関心がないのではないか、と思ったりします。
開拓者や外国に行ったりする人も含めて。頑張っている人も。
彼らには何が真理かということよりも、自分が頑張っていることそのものが
たいせつなのかな、と思ったりします。
そして、自分が頑張って周りから評価してくれるこの組織という”箱”が必要なのかな、と。
だから真実かどうかということよりも、ここがなくなってしまうと困る。

「協会の真の姿」にはもはや関心がないのかもしれない、とそんなことを最近考えます。ま、もちろん全員がそうとは思いませんが。

原罪

初めまして。いつも楽しく拝見させていただいています。

アダムから受け継いだ遺伝的な罪としての原罪は、JWだけでなくアウグスティヌス以来伝統的な考え方でもありますが、個人的に私は、罪とは人類全体の連帯責任のような意味があるのではないかと思っています。創世記の記述も、歴史的事実というよりは神話であり、我々ひとりひとりが罪を犯すアダムその人なのだ、と読みます。

JWだったころはどこか他人事のように聖書を読んでいたのですが、読み方次第で自分の物語として読めるのだと気づき、俄然この世界が面白くなりました。

今後の記事も楽しみにしています。

Re: No title

スナフキンさんの仰るように何もないのかもしれません(笑)が、たしかに頑張っている人も「箱」を必要としています。その「箱」がなくなったときにどうするか、には興味があります。

「箱」自体が消滅する可能性は低いと思います。最新の年鑑でも日本は数百人ずつ減っていますが、それ以上に寄付額はピンチだと思います。ギレアデも既に「協会」直属の人だけが対象になり(新たな“任命”はしない)、BSCC卒業生が「一時特開」に任命されるという話もなくなり(わずか2年前の劇はなんだったのか)、「大会ホール」の維持にも必死のお金集めがされています。

「特権」の維持にはお金が必要です(そのこと自体聖書的ではありませんが)。「組織内の立ち位置」を重視する人たちが、ステータスだの大会でのポジションだの、そういう「特権」が消滅、または大幅に削減される時にどう反応するか、ということなら割と現実性はあると思っています。

Re: 原罪

>AC越後さん、コメントありがとうございます。

自分はまだ神話とまでは言い切れないのですが、AC越後さんと同じように、自分がアダムの罪による一方的な被害者というより、人間は今でも毎日のように「善悪の知識の木」から食べ続けていて、自分もその一人なのだ、と聖書を読んで思うようになりました。

JWになったとき、善悪を決める「神=組織」を受け入れて、罪深い哀れな「世の人」ではなくなったと錯覚しましたが、JWも独自の善悪の基準で決まり事を作っているだけで(それ自体が悪い訳ではない)、依然として全世界の罪の内にあるのだ、ということに気づきました。

イエスは神の子としても人の子としても罪のない方でした。クリスチャンも「霊による力を持ってキリストを内に住まわせる」ことにより、「神の子」として証しされ「世のもの」ではなくなりますが、「人」として肉にある内は罪から逃れられない・・それが、パウロが語った葛藤なのだと思います。
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