業と信仰(おまけ)

このシリーズで取り上げた「業=活動」を重視するJW組織の方針は、人の評価にそのままつながります。たとえば、英語、主にアメリカの文化圏で、付き合う相手を選ぶ基準になるのは、

“What he is like” ・・「どんな人か」

よりも、

“What he likes”・・「何が好きか」

が重視される、という言い回しがあります。

肯定的にも否定的にも使われる表現ですが、好き嫌いの話や好みが合う、というのは人付き合いの一つのポイントになるとは思います。

これが人を評価するJWの基準になると、

“What he is like” ・・「どんな人か」

ではなく、

“What he does”・・「何をしているか」

ということになります。「してるか」「してないか」がその人の内面を裁く基準になります。

「布教の取り決めによく“出ている”から、彼は忠実な人だ」
「王国会館掃除の取り決めによく“出ている”から、彼は謙遜な人だ」
「集会でよく“発言している”から、彼は熱心な人だ」

JW若者は「ベテル奉仕」「奉仕の僕」「○○学校」と言った特権を目指すように教育されます。その評価を得るには↑のような業を、人からの評判になるように見せなければなりません。

他方、リアルタイムで子育てをしていて普通に会社勤めしているような人は、集会や布教の参加率などの“数字”が悪いと内面の霊性さえ裁かれることがあります。「してる」人がみんな見せるため、とは言いませんが、見える所で「してない」人を悪く言うのもやめてほしいですね。

そういう人の中にこそ、年齢と社会経験を積んで人の苦労や痛みが分かる人がいるのですが、家族を養うために残業で集会に“出ない”ことがあり、布教の「取り決め」にも他人との比較でそれほど“出ない”という理由で、「王国をもっと第一」に、と指導されます。家族のために頑張っているお父さんが、本人や子供の活動不足で長老や奉仕の僕をクビになるのを見て、ただでさえ退屈な集会に来る気が失せた若者も見てきました。

人からの評価や特権など信仰には関係なく、どうでもいいことです。でも以前の記事に書いたように、そうした特権がなくなるとみじめな気持ちになるよう方向付けしているのもこの組織です。

もともとJWはラザフォードの時代、他宗派の人格陶冶よりも、「何かをする」ことの方が重要、と強引な差別化を図り「エホバの証人」という名称を採用した経緯があります。

一方、自分が聖書を読んで感動したのはサウロの記録です。サウロが「していた」のは、イエスの弟子を迫害し、殺すことでした。サウロが「何かをする」前にイエスは彼に目を留め、「諸国民への使徒」に選びました。そういうイエス様が指導する組織と聞いていたのですが・・
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まさしくそのとおり!

そう、思います。

で、見えないところであくどいことを行っていても、
見えるところで熱心さを演じることができれば
その人に”特権”が与えられるという実にくだらないシステムができあがって
いますね。
この繰り返しによってどんどん質が低下し、くだらない組織ができあがってゆく。

(サムエル第一 16:7) …神の見るところは]人の見るところと異なるからだ。人は目に見えるものを見るが,エホバは心がどうかを見るからだ」。

この聖句が全くの茶番になってしまっていますね。
やはり、人間の組織の限界ということなんでしょう。。。
まじめにコメントするのもアホらしいことのように思います。。。

Re: まさしくそのとおり!

やはりこれは半年に1回しかこない巡回さんの弊害が大きいと思っています。

「戻って行って、みんながどうしているか見に行こうではないか」・・JWはこれを巡回さん「制度」の前例にしますが、パウロは自ら礎を築いた会衆に「戻って行った」のであり、テモテが「良い評判」を得ていたとはいえ、パウロもすでに彼と家族を知っていたはずです。

支部のお墨付きだけで、どこのだれかもしらないオジさんがいきなりきて指導や評価をするから、人のうわさと取り巻きの甘言ばかりに頼らざるをえないシステムになるのでしょう。

まったくです

地元の兄弟たちでせっかくこつこつと作り上げたいい雰囲気を
巡回さんの提案で全部ぶちこわして本人はご満悦で去って行く・・・。
このパターンを私は何度も経験しました。

巡回取り巻き長老にある提案を与え、そうするとそういう連中は巡回さんに気に入ってもらおうと張り切る。例えおかしな提案であったとしても。
で、おかしな提案だから物事はうまくいかない。
それをおかしいという人たちは干される。
煮詰まってきたところで、巡回さんの任期終了で結局尻ぬぐいは地元の長老たちが。
で、新しい巡回さんは前の提案はおかしいですねぇ。と。
で、新たな提案にまた取り巻き長老が張り切って・・・。
で、こっちもまたおかしいからまた別のおかしな方向へ・・・。
これの繰り返しですわ。
結局疲れるのは地元です。
で、ずるがしこい長老たちがうまく立ち回っていくだけ。ひらりひらりと身をかわしながら。
たまにしか来ない人、本気で自分の身を削ってでもその会衆のために働きたいと思っていない人に
会衆の本当の姿は見えませんよ。それこそ、聖霊の奇跡的な助けがない限り。
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