業と信仰④

パウロとヤコブのスタンスの違いはなんでしょうか。

「割礼を受けた人たちに対する使徒職に必要な力をペテロに与えた方は,わたしにも諸国民の者たちに対する力を与えてくださったのです」

この言葉が示すように、パウロはユダヤ人にはあまりウケがよくありませんでした。パウロは基本的に正しいのですが、「ユダヤ人も非ユダヤ人もない」という正論を前面に出すので、非信者だけでなくイエスへの信仰を受け入れたユダヤ人からも不信感を持たれていました。ユダヤ人信者の感情を考慮して彼らの前で非ユダヤ人と食事をしない使徒ペテロを公然と糾弾したこともあります。

他方、ヤコブはエルサレム会衆の指導者として、ユダヤ人信者のサイドにいる人でした。

割礼問題でもヤコブはこう発言しています。

「わたしの決定は,諸国民から神に転じて来る人々を煩わさず, ただ,偶像によって汚された物と淫行と絞め殺されたものと血を避けるよう彼らに書き送ることです」

ヤコブの結論は、「諸国民から転ずる人」は律法を守らなくてもよい(でもエルサレムにいる我々は律法を守り続けるよ)、というものです。エホ証は、これが密室会議での聖書解釈による信条決定の前例であるかのように使いますが、無割礼の異邦人に目に見える形で聖霊が注がれた、という誰にも否定しようのないペテロの証言を聞いて、エルサレム会衆の長老「一同は沈黙」してしまい、それに追い打ちをかけるようにパウロとバルナバの証言が続いたので、最後はヤコブが譲歩したに過ぎません。

クリスチャンがユダヤ人と非ユダヤ人に分裂することはありませんでしたが、この問題は根強く続きました。後にエルサレムに戻ったパウロはヤコブからの指摘を受けます。

「兄弟,あなたが見るとおり,ユダヤ人の中には幾万もの信者がいます。そして彼らはみな律法に対して熱心です。しかし,彼らはあなたについて,あなたが諸国民の中にいるすべてのユダヤ人に対してモーセからの背教を説き,子供に割礼を施すことも,厳粛な習慣にしたがって歩むこともしないように告げている,とのうわさを聞いています。それで,この点をどうすべきでしょうか」


ここでもヤコブは「エルサレムのユダヤ人信者」サイドの発言をしています。諸国民の中にいるユダヤ人=ギリシャ人の間に離散しているユダヤ人(ヨハネ7章35節)が、パウロの宣教によりますますユダヤ人としての伝統と独自性を失う事を懸念しています。今回はパウロの方が譲歩し、ヤコブの提案通りエルサレムの神殿で清めの儀式を行います。

さて、ものみの塔の最新の理解では、ユダヤ人であっても律法の習慣にこだわり続けるこの考えは「間違ったものだった」と認めています。では↑の言葉を語ったヤコブはどうなのですか。

『こうすればだれもが,あなたについて聞かされているうわさには何の根拠もなく,あなたが秩序正しく歩んで自らも律法を守っていることを知るでしょう。 諸国民の信者たちについては,偶像に犠牲としてささげられた物,ならびに血と絞め殺されたもの,また淫行から身を守っているべきであるとの決定を下して,使いの者を送ってあるのです』

このヤコブの言葉は「まだ新しいユダヤ信者を“つまづかせない”ために仕方なく」という理由ではなく、彼自身がこのユダヤ人信者の意見を支持していたように感じます。彼も間違っていたのではないでしょうか。

こういうパウロとヤコブのスタンスの違いを考えると、それぞれの発言もより理解できるのでは、と思います。さすがにヤコブも「子供の割礼」や「厳粛な習慣」によって義と宣せられる、とは思っていなかったはずですが、それでも業=一定の習慣が神によって明確に要求されていた律法の概念にまだ強く影響されていたのではないでしょうか。

さらにその反動なのかもしれませんが、「クリスチャンて楽だよな~信じてりゃいいんだから♪」みたいに、弱者の救済という律法では明言されていた精神さえ忘れて、困っている仲間を見ても見ぬふり・・そういう人を率直に諌めるアドバイスであったとも考えられます。

こういう背景を考えれば、ヤコブが手紙を書き送った「各地に散っている十二部族」とは「ギリシャ人の間に離散しているユダヤ人信者」と考えるのが自然ですが、JWはここもパウロの議論と強引に一致させたいがために、この十二部族とはパウロが語った「神のイスラエル」のことで、ユダヤ人のことでは断じてないっ、と強弁します。

これが示すように、今のJWは旧約偏重のヤコブ主義なのです。次回、シリーズの最後です。
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パウロもヤコブも神に受け入れられていた、エホ証も業と信仰どちらも重要と言う考えかたをしてます 。なにか問題ありますか?業をあまり行っていないエホ証(集会出席、奉仕月1時間程度)いっぱいいますよ。業がきつくて行えないならしないならいい、特権を全部断ってる人、注解を全くしない人もいますが堂々とされていますよ。神に近づくという点で全く組織のいいなりになる必要はないし強制力もないんだということを目の当たりにしています。

Re: タイトルなし

「神に近づく点で全く組織の言いなりになる必要はないし強制力もない」ことには全く同感です。巡回さんや長老にどう思われ、何を言われようが堂々とできる人は以前より増えていると自分も思います。一方、組織の方は逆にそういう人が増えているからか、組織を賛美し、組織に従順であるよう教育する記事が増えているとも感じます。

それに負けずに堂々とできる人がさらに増えてほしいと願い書いているブログでもあります。

No title

たしかに、そうかもしれませんね

いいことなのか?悪いことなのか?

それは、この組織が大きな問題を抱えていることが明らかになってきている証拠のようにも思います。
組織自体の存在意義も問われるようになってくるのかもしれないな、とも感じています。

Re: No title

>いいことなのか、悪いことなのか?

そうですねぇ。

自分の目的は必ずしも信者を減らすことでもないですし、一人一人の意識がさらに変わればこの組織も変わらざるを得ないのかもしれません。改革することが目的でもないですが、この組織が自己改革して権威主義や隠匿主義で苦しむ人が減るならそれは悪いことではないと思います。

今は、現役・元現役の方がJW組織の真実と本音を語るこのうねりがさらに大きくなればと願っています。薬害に例えましたが、そういう情報を知った人が薬を飲むのをやめるか、知った上で自分なりの対処法を考えるか、それとも製薬会社が問題を認めて改善するかは・・自分がどうこうできることではないと思っています。

とりあえず

残念ながら、中枢でいま組織を動かしている人々、さらに地元の会衆でも指導的な立場にいる人は、組織の言うとおりに将来のことも何も考えずにただアルバイトをして開拓をするという生活をつづけていくことを変わらず推奨しています。
このままですと、自分で考えることをしない、その力のない人々の残念な集団になっていき、やがて完全に干上がってしまいます。
そしてそのときに組織は何の責任もとってくれません。
衣食足りて礼節を知ると言いますが、いよいよ、自分たちの生活そのものが苦しくなってくると、今よりもさらに会衆内のトラブルも増え、問題も多くなるでしょうね。当然、離れていく人も増えるでしょう。
どんどん弱体化が進んでいき、残る人はそのときもう、出る力のない出るに出られない人だけになってしまいます。
このままですと、やはりかなりまずい。
僕はせっかく共に高い理想を掲げてがんばって来た仲間たちにそういう形で不幸な結末を迎えてほしくない。
もちろん、自分もそんな形で人生を終わりたくない。
そういう思いで、ネットというパブリックな場にコメントを残すようになりました。一人一人の声は小さくても、組織の中からの生の声を届け、その点に警鐘を鳴らし続けていくことに意味はあると思っています。

感動しました

初めまして、

とても素晴らしい洞察ですね、じっくり研究したいと思いますこの記事をコピーさせていただけないでしょうか?

Re: 感動しました

こんばんは。

コメントありがとうございます。もちろん、どうぞご自由にお使いください。

感謝します

>GUABELLO様

ありがとうございます、早速コピーさせていただきます。

私の理解力では、GUABELLO様仰る事の万分の一も掴み取る事が出来ませんが、それでもこの記事の中に何かとても素晴らしいものがあると云うことは感じます。

Re: 感謝します

ありがとうございます。

自分も、JW経験者を含め、聖書の理解を自由に発信しているサイトから刺激や啓発を受けています。自分の捉え方がすべてであるとは全く思っていませんが、このブログを始めてから聖書そのものを読むことにこれまでにない喜びを感じています。お役に立てば幸いです。
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