業と信仰③

「業と信仰」シリーズの続きです。

「業を行なわなくても,不敬虔な者を義と宣する方に信仰を置く人に対しては,その人の信仰が義とみなされる」― 「諸国民への使徒」パウロ

「人は業によって義と宣せられるのであって,ただ信仰だけによって義と宣せられるのではありません」― 「エルサレム会衆の長老」ヤコブ

両者は真っ向から衝突する意見を述べています。ヤコブ寄りの現代JWはこれが矛盾ではないと抗弁するためパウロの方を否定したいのですが、正面切って否定はできないので、パウロはあくまで「モーセの律法の業」について語っていた、と主張します。

本当にそうでしょうか?

『肉によるわたしたちの父祖アブラハムについて何と言えばよいでしょうか。例えば,もしアブラハムが業の結果義と宣せられたのなら,彼には誇る根拠もあったことでしょう。といっても,神に対してではありません。聖句は何と言っているでしょうか。「アブラハムはエホバに信仰を働かせ,彼に対してそれは義とみなされた」』

アブラハムは「信仰の人」でした。まだモーセの律法など存在しない時に生きていた彼の義が律法の業によるものだった可能性など、議論する必要自体があるのでしょうか。ここでパウロは「聖句」は何と言っているか、と聖書を権威としています。前回書いたように、その聖句とは預言者モーセの書物のことです。「自分の解釈が権威デアル」とは主張していません。

パウロが「律法の義を行う者たち」に宛てて書いているのは事実です。しかし律法の業がクリスチャンの業に代わっただけ、とは書いていません。むしろ「罪過を満ち溢れさせるため」に入ってきた律法がキリストと共に杭につけられることでその役目を終え、それによって明らかになる神の憐みにより、キリストへの信仰によって義とみなされる時が来たのです。

人は罪と業を課す律法から自由にされたのです。古い考えに逆戻りし、人間の要求を「救いに不可欠な業」として仲間に課すことが、だれに許されているのでしょうか。

自分は、パウロが正しいと思います。

人は業を偽ることはできても、神の御前には信仰=心を偽ることはできないからです。

アブラハムやラハブのように、信仰を分かりやすく、目に見えるドラマチックな形で業=行動に表した人もいれば、ヨブのようにただ悲嘆にくれてじっと座っていただけ、という人もいます。しかしヨブの「心」は神から離れることはなく、その唇で罪を犯すこともありませんでした。

『善を行なうこと,そして,他の人と分かち合うことを忘れてはなりません。神はそのような犠牲を大いに喜ばれるのです』

JW教材は、パウロも「業」の重要性について語っている、として↑の聖句を引用していますが、ここでパウロが与えているのは単純な励ましです。

純粋な信仰に業=行動が伴う人を神は喜ばれる、という励ましを与えるのは間違っていないと思いますが、それ(=業)が救いの絶対条件として常に要求されているかのように、業そのものによって義と宣せられる、とまで語ったヤコブはちょっと言い過ぎだと思います。

かといって、自分はヤコブのメッセージには価値がない、とも思いません。それが誰によって、誰にあてて、何の目的で書かれたのか、という全体のメッセージを汲みとることが大切だと思います。さらに続きます。
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業と信仰

私もこの点はよく考えるのですが、ヤコブの言った「業」は文脈を見るに、「仲間が困ってると分かってるのに敢えて助けようとしない態度は信仰ですら無い」というレベルの話だと思いますね。

いずれにしても神の義の前において人の業は意味を為さないということはキリストがパリサイに散々説いた点であり、奇跡(神の義)を受けた人に対しては「あなたの信仰があなたを良くした」と信仰の重要性を説いています。

業より信仰というのはキリスト教及び聖書の根幹を為すテーマでありますが、ここの認識がずれてるものみの塔協会及び統治体からくる教えが偽善に満ちるのは避けられないですね。

No title

興味深いですね!兄弟、励まされます(JW調で)(笑

私もヤコブの言った「業」というのは、信仰というものはやはり外面にも表れるということを言いたかったのではないかと思います。
信仰は感謝に結びつき、それはキリストに見倣う者となるという点において
他の人にも明らかになるという意味でヤコブは書いたのではないかと思います。
他の人に対する接し方とか、生活がよい方向に変わるとかそういう方向性で信仰は業として内面だけでなく、外面にも表れるべきであると。
これはヤコブの手紙の書籍でもそう注解されていますね。
ただ、JWの場合はとかく、業というと宣教!宣教!となるのでバランスが崩れてしまっているのだと思います。
まぁ、組織にとって宣伝部隊にしっかり働いてもらう根拠として使える聖句になってしまっていますね。

うーん、、
なんかエホバの組織に批判してる人たちって親の育てかたに文句ばっかり言って家でひきこもってる成人した子どもみたいだなって思うんです。いまだに組織の最新の情報を得てるみたいだし。この記事には関係ないけど一言言わせてもらいました。

No title

>行きずりさんへ

たしかに。
おっしゃるとおり、
黙ってスッとさり、振り返らない、というのが大人の男なのかもしれません。(笑)

なかなか大人になれなくてスミマセンm(_ _)m

Re: 業と信仰

>紫暮さん、スナフキンさんありがとうございます。(まとめてですみません)

自分もヤコブのアドバイスは紫暮さんの仰るレベルだと思います。パウロが「家族を養わないものは信仰のない人より悪い」と教えたように、信仰以前に人としての問題でしょう。

またスナフキンさんの仰るように、信仰心のある人は、そういう人として知られるでしょう。でもそれも特定の「業」やその量・頻度によるものではないはずです。

ただヤコブが「義認」を持ち出して、「信仰ではなく業によって義と宣せられる」とまで語ったことには数年前に先立つパウロの議論を意識していたようにも感じます。それは次回に書く予定です。

Re: タイトルなし

>行きずりさん

自分は、JWの問題は薬害に似ていると思います。

薬を作る人に初めから体に悪いものを作ろうとする人はいないと思います。病気を治し、救ってあげたいという気持ちで作るのでしょう。

でも人間には完全なものなど作れません。知らされていなかった害が一部の人に出てしまうこともあります。副作用がでない人にとっては、薬を作ってくれた人に感謝、その人への批判を目にすると否定したくなる気持ちも分かります。自分が良くなったのはその薬のお陰なのですから。

薬を作っている他の会社もありますが、その会社は被害の事実を隠し「他社の薬は全部偽物で、自分たちの薬だけを使え」と言い続けます。

それで自分はJWであるがゆえに苦しんだその人の事実を訴えている人を「自己責任で使ったくせに文句ばかりいう子供」などと貶めたくはありません。

以前に「通りすがり」さんという方から、最初は記事やブログについて聞かれたことを答えていただけなのに、最後はなぜか「自立できないニート」呼ばわり(笑)されました。擁護派の方からそういう発言ばかり聞こえるのは悲しいですね。

Re: No title

>スナフキンさん

すみません。

スナフキンさんが軽くスルーしてくださったのに、
思わずマジレスしてしまいました(笑)。

No title

>GUABELLOさん

>自分は、JWの問題は薬害に似ていると思います。

なるほど! たしかに! いい説明ですね!
薬害ってその薬が効いた人と害になった人で評価が完全に分かれますね!
僕も、同じ宗教に属しながらなぜこんなにわかり合えないんだろうと
あきらめた気持ちでしたが、この例えはわかりやすいですね。

擁護的な人はよく、自分はすべてを知っているという立ち位置から上からのコメントをよくされることがありますが、それはそれで寂しく思うんですけど、
きっと、そういう人はこの業界で絶望的に不条理な目に遭い打ちのめされた体験がない人だと思うんですよね。
まぁ、そういう人からすると、そういう人たちは”躓いた”だけ、となるわけですが、本当の現実はそんなにアマいものではありません。
でも、そういう体験があっても、ネットのいろいろな情報を知っていると
それが特別なことではなく意外とよくあることで、この組織が唯一真の組織ではないことを知ることにつながり、それはそれで残念なことではあるけれども、でも、論理的に納得することができます。
でも、とんでもなく不条理な体験をして、ネットの情報がないとこれはサタンからの攻撃か、あるいは神に試されているのか、となってしまい、すっかり混乱、結果、鬱になってしまうことが多いのではないかと思います。
ですので、いま、擁護的なコメントを残して行かれる方もこういう情報に触れておくのはいいことと思います。
自分自身がそういう経験をしたときに繋がって、こちら側になるんじゃないでしょうか?(笑)
そして、それはその人の精神を保護してくれるものとなると思います。
 

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わたしは擁護派ではないんですけどね、、
ただJWが神の是認を受けてない組織と感じるならきっぱりJWの教えすべてを忘れていちから神を探求すべきと思うんです。三位一体を理解するように努力されてるでしょうか?結局なにがしたいのかわからない。JWから得られた知識を土台として自分なりの解釈をされてJWを否定されてますが統治体と変わらないじゃないですか。神に自分は受け入れられていると思われているならなおさらです。まあ信者がいない分人に迷惑はかけておられませんが。ただ言いたいことはなにをしたいのかがわからないんです。

No title

>行きずりさんへ

そういうことでしたか!すみませんm(_ _)m

えーと、自分の場合はですね。まだ、神を探求するとかそういう高尚なレベルではなく
心の整理をしている、という感じです。
次の段階に進むためにまず、
自分はどこがどういうふうに納得できないのか、自分自身でももやもやしているところを
きちんと論理的に整理して考えたい。
その上で、GUABELLO さんのブログは参考になっています。

Re: タイトルなし

>行きずりさん

この世の薬害すべてを研究することなど不可能なように、宗教問題も無数に存在します。関わったのがJWですので、彼らメインの考察をしています。新しい薬を作って利益を上げようとするのに、前の会社のノウハウのいい部分だけを使って顧客を横取りするならモラル違反で、それがまさにJWが“キリスト教”に対してやってきたことですが、自分の目的はそこではありません。

自分一人が治りたいなら黙って別の薬を探せばいいです。でも勇気を持って被害を訴える人の声も無視されるべきではないと思います。特に日本では聖書の予備知識がないことも原因で、JWから脱落する⇒聖書から外れる⇒神に裁かれる、という強迫観念に囚われる結果、「輸血拒否」などの奇妙な解釈にも従わざるを得なくなっています。

自分も囚われていた一人だったので、そこからどう抜け出せたかを文章にまとめておくアーカイブ的な感覚で始めましたが、最近はある程度の人に訪れて頂けるようになりました。当面の願いは、今まで抑圧されてきたJWの真実を追求するうねりがさらに大きくなり、この組織による被害が減ることです。その先に何があるかはまだ自分も分かりません(笑)。

↑の理由で最近は聖書解釈にも少し立ち入っていますが、無責任な批判はしたくありませんので彼らの最新の情報も精査します。他のキリスト教書籍も読みました。でもそれらを「土台」として新宗教を始めて「これが唯一の道だ」と信者を獲得するなど、考えたことさえありません。

Re: No title

>スナフキンさん

擁護的なコメントをされる方からよく言われるのは、間違いを指摘するこちらの論議に対する反論ではなく、間違があるというならとにかく出ていってゼロから新しいものを作るべき、というものです。まあ、JWが“キリスト教”から出ていけ、聖書を使うな、と言われるのとおんなじなんですけどね(苦笑)。現在の“正典”だってカトリックが最終決定した訳ですし。

でも自分は統治体のように信者を横取りしようなんて考えていませんし、今のところは自分が関わったJWを一つの例として組織宗教の被害を少しでも減らしたいだけなのですが・・

カトリックに留まりながら改革派神学者として評価されたキュング氏のことも取り上げましたが、完全な組織などどこにも存在しないのに、すべてに白黒つけようとするJW視点の方からは理解しにくいスタンスなのかもしれません。
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