JW的隣人愛

JWと研究歴のある方から拍手コメントを頂きました。記事「部分公表の意図」の拍手コメント欄で公開されていますが、拍手ボタン押さないと見れないので別記事の形にさせていただきました。

>私は、3年近くエホバの証人の方と聖書研究をして来ましたが、私をうまく勧誘出来ないとわかったら、冷たい態度になり、それからは、私の家にこなくなりました。本当に、エホバの証人の方々は、神の教えを守っているのでしょうか?

⇒JWの“隣人愛”とは、小刻みに遅れるハルマゲドンで殺されずにすむ唯一の手段として、自分たちの宗教団体に勧誘することです。それで研究生がJWになる可能性があるとみる内はその他の“親切”も一方的に示されますが、その見込みがないとみれば関係を絶つのはよくあることです。

>エホバの証人の方々は、神の教えを守っているのでしょうか。

⇒よくやっている面もあると思います。でも、最近の記事で取り上げた独自の“隣人愛”のように、聖書からズレている部分も多々あります。




以下は、この記事の追記です。

「うまく勧誘出来ない」という言葉からあくまで一般的な話ですが、自分なりの信条や考えを持っている人にJWが対応できないことはよくあります。JWの“研究”とは独自の教材を使い、その内容に忠実な質疑応答をすることなので、「自分たちが絶対に正しい」という土俵からいったん降りてイーブンに話し合うことができません。

それで自分がうまく言い返せないことを次々に言われると、やがて感情的な「拒否反応」にスイッチが切り替わるタイミングがあります。基本、「口答えする人」には冷たい人たちで、その傾向は開拓者⇒長老⇒巡回監督⇒・・と上に行くほど強いものがあります。
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上手い表現

感情的な「拒否反応」にスイッチが入る。

上手い表現ですね。

私も復帰の審理を開いてもらった時に、近年の聖書的ではない物事の扱い方が多いことを聖書から論じたとき、復帰が見送られました。正論を忌避する態度がありますね。

長老たちが私の復帰を見送った理由は私が「アニメ好きであること」でした。私は世俗の交友のなかでアニメやサブカルの意義を説明する立場にあるのでアニメ作品を見ることは避けられないものでして、作品も慎重に選んでいますがね。

エホバは世を深く愛しておられるので、現代社会について理解する必要があると思うのですが、すべて「サタンの世のもの」として関わろうとしない“熱心なクリスチャン”の態度はいかがなものでしょうか。相手を知らずに相手の心を動かすことなどできませんよね。

Re: 上手い表現

こんなブログとは言え、いろいろと具体的に書いて大丈夫ですか?でも、復帰の委員会でJWの扱い方に非聖書的な所があるとか、“世の娯楽”を普通に楽しんでいることを話されるなど、ちーさんのお考えもあってのこととお察しします。

審理にしても復帰にしても、たかが小一時間の聴聞で人や物事の本質を見抜くなど、洞察力のある人でもそうできることではないです。組織のマニュアルしか頭にないJW長老ならなおさらです。

そこで何を言うかがすべてで、大抵は神妙な面持ちで「今でもすっごく後悔してます、“世の娯楽”など論外、いつもお祈りと個人研究です☆☆」と言えば復帰できてしまうのに、ちーさんのように正直に話す人が復帰できない悲しい現実です。

結局、この組織にいようがいまいが「義人が邪悪な者と共に裁かれることはない」のですが、不公平に人を裁き評価するシステム自体はなくしてほしいですね。人間相手とはいえ、裁かれる方はそれなりに疲れますし、感情や名誉も傷つくこともありますので・・

GUABELLOさんへ

私は長老たちを信じたいのです、今も、これからも。
使徒パウロは長老の資格について説明しています。私は使徒パウロがイエスの「選びの器」であることを認めていますから、その資格を考慮された上で現代で長老として働く人を信じたいのです。

もっとも、聖書の知識・理解力・解釈力では私の方が多くの長老たちを凌駕している現実も認めています。でも、私は信じたい。私がひとつの例となって長老たちが何かを得られれば良いのです。ですから私はなんでも話します。

私の健康状況は下る一方で、この文章を書いている時間も本来なら集会に行っている時間帯です。ですが、「う〜ん、ちょっと体が…」という時にはゆっくり起きて休んでいます。私が障害者手帳保持者であることは会衆のみんなが知っていますから、「ちーさん。もう来なくなったね。」とは思われません。お気楽な排斥者生活をしていますよ。

Re: GUABELLOさんへ

ちーさんのお考えがさらに分かりました。現役の方であれば口にすることも許されない忌憚ない意見をJW長老に直に語られるちーさんのような方は貴重な存在です。組織に復帰は認めらていないくとも、障害を抱えながら集会に出席し続けるお姿を見て会衆のみなさんも何かを感じとってほしいと個人的に願います。

No title

こんにちは私は研究生だったのですが、今はただの一般人です。エホバが人を造ったのであれば、その方に聞き従い生きるのが最善と思ってはじめてはみたものの、色々な不具合からできなくなり、今やどうしていいやら、どうしょうか踏み切れず、自分には無理なのかもしれないし、もしかしたらエホバのご意志は私みたいなはみ出した人間にはきつい、エホバの証人の方や雑誌などを拝見すると落ち込みます。

18の時母が近所のエホバの証人と研究をしていて、母から聖書の話を聞いてこれは神の言葉だと確信し、私も研究を母と同じ司会者の方にしてもらうことになりました。ですがどうもその方の話されることが厳しく自尊心を失わせるような圧力的な物があり、その話されることが本当に聖書的なのか?個人の考えなのかがわからなくなり、聖書の知識が0な私は司会者の方にそれは○○さんの考えではなくてですか?と言ったところ、「いいえ私が話すことはエホバが言っていることです」と言うので知識のない私はエホバの基準は高い厳しいがあたりまえと認識してしまい。そのあと母は飲み込みが悪いため強制的に研究を切られてしまいました。母は中々理解が進まず、司会者に責められて研究中泣くこともしばしばでした。それでも集会には一生懸命行ってたし、私は全然しなかったけど予習だってちゃんとやってた母なのに、理解できないのと研究中に泣いて自制心がないとか言われ研究を切られてしまった。私もそのあとよくわからなくなってしまい止めてしまいました。本当は知りたかった聖書のことでも辛すぎたエホバのご意志はヘタレにはできないもの

Re: No title

自分もこの組織と関わるようになった理由はカフカさんと同じく、「聖書を理解したい」と思ったからです。期待していたのは「真理を追究する真摯な姿勢」であって聖書で聖書を説明する、というコンセプトは魅力的でした。

でもこの組織にはその姿勢さえ失われてしまいました。奇妙な解釈に聖書を後付けに利用するだけで、それを「神の言ったこと」とみなします。統治体が悪い手本を示しているのでそういう教え方になるのでしょう。

聖書と信仰については模索し続けたいと思っています。聖書が予言する「真の知識」が満ち溢れる時はまだ先のことで自分の生きている内には来ないのかもしれません。でもそうやって時は流れ続けてきましたし、神から与えられた人生をありのままに感謝して生きていきたいと今は考えています。

追記:自分はもう耐性がつきましたが、最近のものみの塔は独自の基準と行動を課すものばかりで信者でも落ち込む人は多いです。JWの印刷物は「神の言われたこと」という司会者の強烈なコントロールが残っている内はしばらくお読みにならない方がよいかもしれません。

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