このブログの目的④

このブログの目的はJW信者を減らすことではありません。ただ、離れるにしろ留まるにしろ、「エホバの証人」という「組織」を盲目的に崇拝する人は減ってほしいと思っています。

どの組織にも、葛藤しながら留まり続ける人もいます。例えば、カトリックの著名な神学者でありながら、ローマ教皇の無謬に異議を唱えたハンス・キュングという人がいます。カトリックの問題を内部から指摘する人なので、JWの文献にも度々好意的に取り上げられています。

「わたしはあらしの中で船を捨てて,これまで一緒に航海してきた人々を置き去りにし,彼らが敢然と風に立ち向かい,水をかい出し,・・生き残れるよう戦うままにしておいてもよいのであろうか」

「わたしは教会内での自分の有効な働きをあきらめたりはしない」

彼の願いはカトリック教会という「船」に留まりながら改革することだったようです。

しかしもう一つの選択肢についても言及しています。

それは「教会の背信行為ゆえに,より高度の価値規準を愛するため,また恐らくより真正なクリスチャンであるために,その教会との関係を絶つことです。

自分は、JW組織の偽りと腐敗に「目ざめた」人がどちらの決定をするかに責任は負えません。

キュング自身は自ら教会を離れることはありませんでしたが、保守的なヨハネ・パウロ2世が教皇に即位して間もなく、教職を解かれます。

カトリックや他のキリスト者の中にも、エホ証が指摘するキリスト教の誤った歴史、教理の不完全さなど百も承知の上で信念の内に自らの教会に留まっている人はいくらでもいます。個々の誠実なJWを好意的に見る人も少なくありませんが、輸血禁止や1914年、小刻みハルマゲドンの恐怖(笑)、などの荒唐無稽な解釈ゆえに、改宗しようなどとはとても思わない人たちです。

さらに、かつてラッセルが警告した「宗教会議で作り出された信条に従うことを条件とする信者の地位」もJWの特色です。JWが非難するカトリックよりも強烈でしょう。ハンス・キュングは改革的な立場を取り始めた後も、十数年間、“改革派”としての活動を認められ、最終的に教職を解かれても破門されることはありませんでした。長年の功績を鑑みてか司祭のステータスはそのままで、後にローマ教皇と会談することさえしています。しかし、JW組織では統治体まで勤めあげたレイ・フランズでさえ、度重なる審問の末、特権はく奪と本部追放に止まらず、最後は「自分たちが排斥したとみなす人間と食事を共にした」という因縁まがいの罪状で破門されています。

キュングは教皇の無謬を否定する時に、カトリックの“初代教皇”であるペテロを公然と糾弾したパウロの例を取り上げた、とされています。ではJWのみなさん、現役信者のだれかが、巡回監督を、支部を、統治体を公然と糾弾したらどうなるか、考えてみてください。

『教会制度そのものは聖であって,過ちを犯さないよう神から保護されているというのです。しかし教会員は罪深いので,教会の名において残虐行為がなされる時には,教会制度自体の責任ではなく,教会内の個人の責任が問われるべきである,ということになります』

カトリックを非難するJWの物言いです。しかしキュングは真摯に自らの組織の過ちを指摘します。

「人間の世界の上に浮遊している完璧な教会、告白すべき罪のない教会は存在しない」

エホ証の方々も、他宗教を糾弾するだけで、自分たちの組織に対しては甘い態度でいられるのでしょうか。児童虐待事件で、隠蔽体質・指示を問題視されて組織に賠償命令が出ていると言うのに、いつまで「組織は聖」であり、罪深く、責任があるのは問題を犯した個人だけ、と言い張れるのですか。
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この記事には納得しました。

最近

改革の志はありながらも、悲しいかな、組織から強引に追い出された人もいます。
最近は、巡回Kに一度異議を唱えただけで、恥知らずで厚顔無恥な行いとみなされ、資格削除にとどまらず、排斥させられます。

まるで大日本帝国時代の特高警察による思想犯逮捕のようです。しかも密室で第三者に弁護されることもなく、強引に処罰される点まで良く似ています。

Re: 最近

>ネオさん

この記事で書いたハンス・キュングの改革派としての言動が法王を激怒させ、「教会側が,その内部の分裂的要素に直面し,教会の権威を擁護しようとやっきになっている」とものみの塔は非難しましたが、今や彼らが、他宗教を陥れるために自分たちが掘ったその穴にはまり込んでいるような気がしてなりません。

No title

初めまして。FC2でブログを書いている元JW1世です。私は「権威に対する不敬+背教」で排斥になっています。

来年、カトリックで洗礼を受けたいと思っています。「ハンス・キュング氏」の件、とても興味深いですね。
一方、ヨハネ・パウロ2世は日本の信者の間でも今でもとても人気があり、教皇でいる間カトリックの中で大きな働きをしてくれたようです。キュング氏の件はこちらのブログで知ったので、詳細はまだ知りませんが、どちらもカトリックでは有用な人だったのでしょうね。難しい問題ですね。


Re: No title


>Anastasiaさん

JW組織を離れても神を求めておられるのですね。

この記事ではキュング氏サイドから書きましたが、ヨハネ・パウロ2世も数々の業績を高く評価されていますね。ただキュング氏とは考えが合わず和解することはなかったみたいです。次に即位したベネディクト16世とは元同僚だったこともあり私的に会談した様ですが。

それとは全くレベルも次元も違う話ですが、JW組織の狭い世界でもだれが直属の巡回監督になるかで扱われ方が真逆になりクリスチャン人生が変わってしまう人もいます。人の組織の常とはいえ本当に難しい問題ですね。

No title

>JW組織の狭い世界でもだれが直属の巡回監督になるかで扱われ方が真逆になりクリスチャン人生が変わってしまう人もいます。

ですよねえ。私も巡回君達には嫌な思い出が沢山あります。w

背教対策を得意とする蛇のような巡回君もいたそうですが、その一方、巡回君の中でも誠実な人はいたようです。

http://anastasiaregina.blog55.fc2.com/blog-entry-254.html

同感です。

はじめまして。ブログ読ませてもらい、本当に考えさせられます。
Jw の人は仲間に対する愛を履き違えていると思います。 組織=神、世=サタンなので、組織の問題点は愛で覆わなければならない方式なんですね。 人間の組織に間違いはつきものです。邪教の定義に、「無批判にグルを崇拝する宗教」とありました。どこかの組織にあてはまってませんか?(^_^;) Rフランズ兄弟が言っていました、「 神を崇拝するのに組織は必要ない」と。私も同感です。

Re: 同感です。

>スノーフレークさん

コメントありがとうございます。

JWは「信じる」ということを過激に捉えすぎと思います。真実は一つしかないのは当然として「地球が丸い」ことを「信じる」必要があるでしょうか。「信じている」段階なら他の人の信じることも尊重するはずで、「尊重する」とは口で言っても印刷物の内容や教育はその主張とかけ離れています。

神への個人的な信仰の内に何かを信じているならそれが間違っていることで裁かれるとは思いませんが、「地の人の子」を信頼するなら救いはないと聖書は教えます。スノーフレークさんの仰るように人の組織や解釈など間違いがあるのは当然なので、彼らの問題は間違った解釈を繰り返してきたこともそうですが、「この組織だけが善にして救われる」とするその態度なのかもしれません。
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