組織依存②

以前の記事も含め何度も書いていることですが、現役信者の方がどうしても抜けられない思考パターンの一つは、『JW組織も不完全だが、宗教組織としてはよくやっていて、一番「完全」に近い組織だ。JWが偽の組織なら、どの組織が「一番」なのか。そういう組織が提示されない限り、間違いはあっても自分はこの組織を信頼する・・』というものです。

このブログや、他サイトに「擁護系」コメントをされる方の多くが、同じようなスタンスです。ネットの批判を見たりコメントしたりする時点で、その類のことを一切スルベカラズ、という組織の指示に「忠実」ではないので、JW組織の間違いを知り、認める点では他の組織信者の方たちとは一線を画していますが、どうしても抜けられない、最後の砦とも言えるものが組織依存です。

「組織、組織、組織」と言うのはもうやめませんか。ライブラリーで検索してみてください、少なくとも言葉としては、特に新約部分には「暴徒が組織(笑)された、の1回しか出てきませんよ。

・・と、言うだけではアレなのでちょっと真面目に「聖書から論じ」てみます。

「すべての者は罪を犯したので神の栄光に達しない」

この聖書の真理に何を付け加えるのでしょうか。すべて罪深く、不完全な個人・組織の中でだれが「一番」完全に近いかを競い、他者を見下げることですか。

イエスは、自分たちのように律法を守っている者はいない、と豪語するパリサイ人よりも、ただ神の憐みと罪の許しを苦悩の内に祈り求めた人を義にかなっている、とご覧になりました。当時、パリサイ人のような集団は他になかったでしょう。でも彼らが神に是認されていたことにはなりません。

現代も同じです。カトリックのような伝統と規模を持つキリスト教組織は他にありません。新興のJWやモルモン教などもそれぞれに独自性があります。組織と関わることは悪くはありませんが、何かの組織を崇拝し、それに依存する人には「とにかく自分の組織には甘い」傾向があります。

さらに、すべてが完全ではないその組織の中でどれが一番なのか、とジャッジすることは、それが神に喜ばれる唯一の道であると錯覚してしまい、実際にはパリサイ人の教訓が示すように神の恵みを失ってしまうワナになりえます。パリサイ人が業ではなく、その精神態度によって糾弾されたことを忘れてはなりません。

「あなた方の間に愛があれば、それによって人々はわたしの弟子であると知る」

組織信者は「自分たちこそ、一番愛のある組織だ」と誇るでしょう。だからそういうトコですよ。

聖書は「神と隣人を愛する」ことにすべてのおきてが集約される、と教えています。しかしJW信者の「自分たちの組織が一番完ぺきに近い」「一番愛ある組織だ」という言葉を聞く度に感じずにいられないのは、神でも人でもないもの、組織に対する愛着と信頼です。

愛し守るべきものは人であり、組織ではありません。国家と同じく組織という単位で人をくくり、その組織を愛してしまうと、人を正しく愛せなくなるばかりか、その組織の都合で人を裁き、憎み、傷つけてしまうこともあります。自分たちの解釈に同意できない人間を「偽善者」「背教者」「悪魔の手先」呼ばわりするのは、民族主義によるヘイトスピーチと何が本質的に違うのですか。

「自分を愛してくれる者を愛したからといって,あなた方にとって何の誉れとなるでしょうか」

イエスが親切なサマリア人のたとえで教えた通りです。愛すべき“隣人”とはだれのことですか。同じ宗教サークルの信条に服従する人ですか。「自分を愛してくれる者だけを愛している」その愛に、何の誇る理由があるのですか。仲間内の人間を愛するのはどのグループでも同じことをしていませんか。そういう類の「愛」では一番だ、と主張するのは国家主義を誇るのと同じで、クリスチャンとしては墓穴を掘る行為だということに気づきませんか。

神を崇拝すると主張する人々が、“教団の権威に反抗した”仲間を追放し、傷ついたその人を全員で無視して道の反対側を通っていくような光景をもう見たくはありません。それがこのブログを続ける自分の願いです。
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No title

私も同じように感じていました。

JWがほかの宗教組織を攻撃する時に、

*** 論206ページ 3節 宗教 ***
確かに大抵の宗教は,うそをついたり盗んだりなどしてはいけないと教えています。しかし,それで十分でしょうか。自分のもらった飲み物の大半は間違いなく水だと人から言われたとしても,毒の入ったコップ1杯の水を喜んで飲めるでしょうか。

こういう例えを使いますが、なんとも墓穴を掘るのが好きだなぁ。と、最近つくづく思います。
いやー、まじめにやってるとほんとに疲れますわ。ま、もう、まじめにはやってませんけどね。

アタシも、中学生の頃にバプテスマを受けた一人です。(17年前に)

当時、仲がヨカッタ女の子から、男性と関係を持ってしまったと告白され、長老に相談したところ、本人は冗談で言ったとのコトでした。その子の家族は、皆から親しまれていた家族だったので、結局なかったコトに。

不信を覚えたてアタシは、結果宗教から、離れました。何年か経った日に、関係を持ったであろう男性と知り合いになり、当時のコトを聞くと、やはり関係がありました。

今、思うコトは一般人よりたちが悪い!偽善者の集まりだったと言うコトです。

冤罪

巡回の問題の扱い方に重大な違反があったことを追及したため、組織ぐるみで排斥にされた人がいます。組織も自らの体制を守るためならもはや手段を選ばすで、なんでも有りです。巡回の評価がポイント制度なのも一因です。この組織内の病巣はかなり深いです。

Re: No title

>スナフキンさん

人間による組織宗教の限界を示す点においては、いい線までいっていたのかもしれません。自分もそこに期待して、というか結果的には騙されて現役になってしまった訳ですが、今や彼ら自身がその限界と、かつて自分たちが印刷物で書いたことにどっぷりハマってしまっている、というのは何とも皮肉ですね。

Re: タイトルなし

>真実さん

この組織では、正義感で訴えた方が逆に裁かれる、ということは今でもよくあります。

児童虐待と同じで、罪の告白にも「2人の証人」に固執します。頑ななまでの原理主義です。だからだれも見ていない1対1では、やりたい放題、言いたい放題なのです。「やってません」「言ってません」「冗談でした」で済みますので。

これを悪用して、児童を食い物にする人、真実さんのケースのように自らの悪行に他人を巻き込む人もいます。組織は「一部の人がするだけ」と言うでしょうが、自分の経験からしても、そういう、会衆からは評判は良くても、したたかで陰湿な人の割合は「世の人」より高いのではないかと思います。

Re: 冤罪

>ネオさん

さすがに集団排斥はしょっちゅうはないかもしれませんが、巡回監督による私情丸出しの特権はく奪なんかはもうよく聞きますね。長老は複数制になって久しいのに、未だにたった一人の人間が、人事と金を握る「ものみの塔協会」法人のバックアップを受けてローカル会衆を“指導”する、というやり方を変えません。

使い捨てとはいえ法人の内部事情をある程度知ることになるので、人数は増やしたくないジレンマがあるのだと思います。

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