神はどこにいるか①

組織や指導部の偽善に気づいても、とにかく組織に頼らなければ自分一人では何もできない、何をしても意味はない、と感じる人もいます。それは目に見える結果を何よりも重視する組織の教育のためで、「この組織を出て一人で何ができるのか」と言い聞かされています。

でも神は、組織だって何か「大いなること」を成し遂げるよう要求しているのでしょうか。

『エホバがあなたに求めておられるのは,ただ公正を行ない,親切を愛し,慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか』

聖書が勧めているのは、イエスを道として、慎みをもって一人一人が神と共に歩むことです。

組織に依存せずに、どうやってそうできるでしょうか。

現在JWの集会で使用中の教材、「神の言葉 エレミヤを通して」の本にヒントがありました。何度か言及しましたが、この本は預言者でもないのに、預言者などいないこの現代で、その偏った生き方をするよう信者全員に押し付ける割と最悪なものですが、参考になる部分もありました。

それは10章の「エホバはどこにおられるのか」です。

結論から言えば、神を探し求める方法は、「祈り・研究・個人的な経験」の3つです。

・・おや?いつもイヤというほど出てくる、組織の集会と布教活動が入っていません。

なぜならこの章に限っては、神を正しく崇拝している組織が存在しないことが前提だからです。エレミヤの時代、ユダヤ人は国民として腐敗し、宗教上の指導者も神の言葉を歪めていました。組織に依存して神と共に歩むことが不可能な時代でした。

「神はどこにいるのか」・・これは神や聖書への信仰を捨てずにJWを辞めようとする人が避けられない問題です。

エレミヤを含む個々の人たちは、同調者を集めて別の組織を作るのではなく、個人で神を求めなければなりませんでした。エレミヤの書記であったバルクも「大いなること」を求めるよりも、ただ自分一人の魂が分捕り物として与えられることで満足するよう諭されました。

JWがしがみつく「1914年」の誤りを確信した今、現代も同じような状況にあると自分は考えます。歴史を通じて組織化したキリスト教には、その世界的な拡大と共に、支配する側の強権化と圧政と腐敗がつきまとい、自分が一度は入信したエホ証も今やその一つに落ちぶれたことを示す圧倒的な証拠に目ざめたとき、がっかりしたのは事実です。でもエホ証を含むキリスト教全体の拡大のすべてが無駄だった訳ではなく、結果、幾十億もの人が「ある種のキリスト教」に接して聖書を知り、神と共に歩む個々の善意の人々を生み出してきた、ということにも気づきました。

それで今すべきなのは、組織を作ることでも、何かの組織を改革することでもない、と自分は考えます。初めは善意の人々によって一定の“成果”はあるのかもしれませんが、人間が組織だとうとすれば大抵、裏切りと失望につながるからです。中途半端に“成功”してしまうと、やがてその組織を維持することそのものが目的化し、膨大な労力と時間が奪われます。それが現在の、「資産の管理・保護」「組織の維持・統制」のための事務手続きと制度作りに明け暮れる今の官僚JW組織です。

次回、「祈り・研究・個人的な経験」のそれぞれについて考察したいと思います。
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No title

そうですね
前向きな記事をありがとうございます。
確かに、JWを辞めてしまうと、あきらめの気持ちから自堕落な方向へ向かってしまい、神やキリスト、果ては人生までも捨ててしまう人もいますよね。
やはり、それはとても残念なことと言えます。

やはり、聖書に触れてよかった点もあるわけですから、それは今後もよりよき人生へと生かせていける、そんなふうに考えていけたら、と思います。

まー、しかし、思いは複雑ですけどね。

こうやって、同じような方向性の方とこうしてブログを通して意見交換できるのはありがたいことですね。
感謝しています。m(_ _)m

Re: No title

自分もJWになったことすべてを否定したいとは思っていません。組織宗教や行き過ぎた原理主義の限界を知れたことはよかったと思っています。

一応、信仰心と聖書は否定しない、という前向きな?スタンスで続けていますが、このスタンスもいつまでもつのか・・自分にも分かりません(笑)

たしかに

それは身にしみてわかりましたね。(笑)
笑ってる余裕はないんですけど。笑うしかありません。(笑)

前向きか~(笑)

確かに、すっかり神を否定してしまうと、この世界はもっと殺伐としたところになってしまうように思います。
それはそれで、夢がない。(笑)
そして、僕個人としてはやはり、進化論は受け入れにくく、創造者は存在すると思うんですよね~ 
やはり、自然界や生物の作りはすばらしく、それをすべて偶然の所産とするのは考えられないんですよね。

ただ、JWに関しては、はじめから関わりはなかったのか、それとも、おかしな方向へ行きだしてから手を引かれたのか(笑)
だとすると、ラザフォードあたりかな。
あるいは、前の世代の統治体の頃までは少しはまだあったのかも、と。

まー、少なくとも今はもう、この組織に聖霊の働きってないと思います。

落ち着くところは不可知論者なのかもしれませんねぇ・・・。
あるいは、神はまだ沈黙を保っている時代なのか。
昔は不可知論ってよくわからない中途半端な考え方だな~
と、思っていたのですが、今となってはよくわかってしまいます。
人生ってわからないものですね。(笑)
この先もどんな風に考え方が変わっていくのか・・・・。
あるいは変わらないのか・・・。

Re: たしかに

聖書も「神の裁きはたどりがたい」とか「神の業は人間が始めから終わりまで決して見いだすことができない」と教えています。創造を信じた上での不可知論、というカテゴリーもあっていいような気もしますね。

自分は、JWもキリスト教の世界的拡大を予言した「からしの木」や「魚を寄せ集める引き網」の一部であると考えています。自分のキリスト教史の知識はまだ大まかなものですが、カトリックによる支配、プロテスタントの派生、19世紀末の福音主義の台頭、その過程で「枝」分かれした原理主義のJW、聖書をめぐる人間の試みには常に不完全さがつきまといますが、そのどこかに何かの神の意志が働いているのかもしれませんし、いないのかもしれません。

でも結局、羊かやぎかは“一人一人”裁かれるのであって、網の中の魚もそうです。少なくとも一つの国家や組織だけ、という時代は聖書的にも終わったと思います。
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