明石順三③

棄教した明石氏がものみの塔的に背教者なのは仕方がないとしても、偽善者呼ばわりされてもいます。

『刑務所から釈放されて2年もたたないうちに明石は,ものみの塔協会の会長に宛て一通の手紙を書きました。1947年8月25日付のその手紙の中で,明石は,1926年以降の協会の出版物の中で説明されている事がらには同意していなかった旨を述べています。1926年と言えば実際,明石が支部の監督として日本へ来る任命を受けた時よりも前です。したがって明石順三は,彼が自分の述べたところによると,20年以上にわたり偽善者を演じていたわけです』

明石氏が3代目会長ノアに送った公開質問状についてはすでに書きました。さらに彼は1926年以降、組織の出版物に同意していなかったと書いたようですが、「1926年」ってなんでしょうか。

自分が思い当たるのは、ラザフォードが「神の救い」を出版した年です。

『1926年5月の大会では,「神の救い」と題する書籍が発表されました。これは,「聖書研究」に代わる一連の新しい書籍の一つでした』

「聖書研究」は初代ラッセルをカリスマ牧師たらしめた著書です。ラザフォードを含む初期の聖書研究者はこの本を読んで信者になりました。しかし1926年にラザフォードは「神の救い」を出版し、これは「聖書研究」に代わるものだ、と宣言した。

ラッセルとラザフォードの違いは何でしょうか。その1つは『「神と人間の仲介者はただ一人、イエス・キリスト」のはずが、さらにイエスと人間の間に組織という仲介者を置いた』という点です。

ラッセルは組織の必要性を否定していました。

『ラッセル兄弟は自分たちが「地的な組織」を作ろうとしているのではないことを強調し,むしろ「『名が天に記されている』我々は,かの天的な組織だけを支持する」と述べました。キリスト教世界の汚れた歴史のため,“教会組織”と言うと,たいてい分派主義,僧職者による支配,宗教会議で作り出された信条に従うことを条件とする会員の地位などが連想されました』

やがてラッセルは聖書研究者の増加に伴い、「監督=長老」の必要性を認めるようになりますが、やはり組織だとうとすると上手くいきません。死ぬ直前の1916年にはこう書いています。

『教会の僕たちが支配者や独裁者になろうとしており,場合によっては,恐らく自分や特定の仲間たちが長老や執事に選出されるようにするため,集会の司会者の立場を占めてさえいる』

どっちのコメントも今のエホ証そのまんまです(笑)。

そこで2代目ラザフォードの取った手段は、敵を作ることで内部を一致させようとするものです。1925年発表の啓示12章の「女」=「神の組織」、「龍」=「サタンの組織」という解釈。

『対立する二つの異なった組織,つまりエホバの組織とサタンの組織があるということが初めて明確に説明されました』

だれもがエホバの組織とサタンの組織のいずれかに属しているということが非常に明確になりました』

しかし、このバイオレントな解釈についていけない人もいました。それは『大部分がラッセル兄弟の遺稿で成っていた「終了した秘義」に公表されていた事柄とは随分違う内容だったから』です。

このあたりから、すべての事象や人間を「エホバかサタンか」かに乱暴にカテゴライズするエホ証の2極思想が生まれました。今でも不満の矛先を外部に向ける信者支配に使われます。

「会衆を保護するために行動した長老ではなく、サタンに立ち向かいましょう♪」

「今は内輪もめをしている時ではありません。敵はサタンとその手先である背教者です♪」

それでこの思想に教化されたエホ証が背教的情報や最近の児童虐待問題などのエホ証に不利な報道に接する時に、まず感じるのは「敵意」です。それをサタンの敵意とみなし、自らもその攻撃に敵意を募らせる。「客観的に評価する」という理性は消し飛びます。

このように敵を作ることで内部を一致させる手法はどの時代も効果的で、ラザフォードもこの手法で組織をまとめあげることに成功しました。まさに神の祝福(笑)ですね。

ラッセルとラザフォードの違いはもう1つあります。次回にします。
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