組織は必要?

エホ証が「組織は必要」と主張する理由は主に2つ。

① 神はどの時代も組織を持っていた

「聖書中の証拠が示しているとおり、神はいつの時代にも、ご自分の組織を用いて目的を遂行してこられました」

聖書に記録されている期間はそうだったかもしれませんが、それを現代にまで適用して「いつの時代にも」というならそれはウソです。前にも書きましたが、ではラッセルがものみの塔協会を設立するまでは、どういう名前の組織を神は持っていましたか。

これまでは「小麦級=真のクリスチャン」イコール「奴隷級」だったのですが、今回の調整で「奴隷=1919年以降の指導部」にする代償として、昨日の研究記事でも、1914年以前も小麦はずっと存在したが、組織的な経路は存在しなかった、と明確に認めざるを得なくなりました。

あれ?イエスは「いつの日もあなた方と共にいる」と言いましたよね?「わたしの小さな羊たちを養いなさい」・・羊に対するイエスの思いがひしひしと伝わってくる実に感動的な言葉です、とか言いながら2000年近くも完全に放置していたことになり、奴隷=人間による組織的な経路が存在しなければ、養うことにも導くことにもならない、というイエスの言葉を否定するような解釈です。イエスは個々のクリスチャンとずっと共におられました。今でもそうです。

それで1914年そのものを調整してしまうと、現在、神を崇拝するには組織が絶対に必要、という概念そのものすら崩壊してしまいます。それで意地でも撤回できません。

② 布教と集会のためには組織が必要

『王国の良いたよりを全地で宣べ伝えるというイエスの命令を遂行している,エホバの献身した民からなる組織』・・・


「王国のメッセージは人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう」(マタイ24章)※・・これをなぜかエホ証は命令である、と解釈します。どこが命令なんでしょうか?「宣べ伝えられるでしょう」としか書いていません。これは文法における命令ではなく自発です。これが命令というなら新世界訳の日本語がおかしいです。

自分はこの聖句を、キリストが本当に再臨して世界的論争が生じるのであれば、文字通り世界中にいる数十億のクリスチャンの中でも変化が生じ、その混乱に乗じ「自分がキリスト」だと主張し個人や特定の組織に追随させようとするグループが現れる一方で、キリストのバシレイアに回帰するシンプルなメッセージがおのずと(自発)、宗派を超えてあがり始める時が来ると、理解、というか期待しています。

それに近い状況が1914年にあったのかもしれません。

『それらの僧職者はプロテスタントの主要教派,つまりバプテスト派,組合教会派,長老派,監督教会派,およびメソジスト派を代表していました。その声明文は,「現在の危機は異邦人の時の終結を指し示しており」,「主の顕現はいつ何時始まるかもしれないと期待し得よう」と言明しました』


彼らは「イエスの再臨が始まるかもしれないという期待」にすぎないことを認めていました。ラザフォードは彼らが時期尚早と判断しその期待について語らなくなったことを非難していますが、むしろ潔いのは彼らの方だと思います。1914年にいつまでもしがみつき、イエスの再臨を期待どころか既成事実化してハルマゲドンの誤報まで何度も繰り返すのと、どちらがいいのでしょうか。

今でも個々のクリスチャンは様々な方法で聖書のメッセージを伝えています。最近はものみの塔もしているようにネットでそうしている人もいます。「この手段」とか「この組織」にこだわる必要があるのでしょうか。細かな解釈論で一致させる権力などいりませんし、クリスチャンという引き網に入った一人一人を裁くのは人間の権力でもありません。

ヘブライ10章の「集まり合うこと」にしても、2人か3人で集まり合うとしてもイエスは共にいる、と約束しています。巨大組織を作り、数千万円↑もの金を集めて何かの施設を建て集まらないとイエスは見向きもしてくれない、とは書いていません。

エホ証になる前の聖書研究者たちは既存の組織化されたキリスト教やその権威に縛られずに聖書そのものを理解しようとしました。しかしエホ証自体が高度に「組織化されたキリスト教」になってしまった現在、その原点に立ち返ることはもう無理なのかもしれません。


※追記:もう一つ似たような記述にマタイ巻末の「行ってすべての国の人々を弟子とせよ」という言葉があります。これは紛れもなく命令です。でもエホ証は「唯一の組織」を主張する目的では、こっちにはあまり触れません。なぜなら、こっちの命令は終末とはリンクしておらず、むしろ「事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいる」とイエスは語ったからです。それで、この聖句はイエスが昇天してから現在に至るまでの約2000年に渡るキリスト教の布教とその拡大について言及したもので、彼らはこっちの聖句には、ほんのちょっぴりしか参加していないからです。
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イエス→召使い

「諸会衆の繁栄が,エルサレムの統治体への全面的な協力によってもたらされたことに注目してください。」

「イエスが追随者たちを養う際に従った型について調べてきました。それは,少数の人を通して多くの人を養う,という型です。」


イエスを型に「倣い」「従わせ」ているのは誰?

エホバ?それとも自称「忠実で思慮深い奴隷」?

1世紀当時「エルサレム会衆」は他の会衆の上位に立ってはいなかったことは明らかなのに。

イエスを従わせるとは…イエスは「互いに足を洗いあうように」と教えられたはずですが。(゚_゚;)

あらためてすごい記事でしたね。





Re: イエス→召使い

「群衆に食物を与えるときも、イエスはある型に従いました」・・

最近はイエスどころか神の行動さえ、自分たちの思いついた型=枠組みに「従って」行動するかのような書き方がすごすぎます。とにかく「型」はねぇのか、と毎日ベテルの部屋に引きこもって漁るように聖書をしらみつぶしにするとこういう発想もできるのでしょうか。

「彼らは使徒たちの教えと、分かち合うこと、食事を取ることと祈りとに専念した」

ここも「使徒たちの教え」だけ引っ張り出して、「彼らは揺らぐことのない忠誠心を抱き、使徒たち(今の自分たち)がイエスの言葉と行ないを説明することと、イエスに関する聖句の意味を解明することに期待を寄せました」・・

彼らは揺らぐことのない忠誠心を抱いてごはんも食べていたのでしょうか(笑)

使徒たちが恐れ多くも主イエスの教えに意味を付し、解明する権限があり、他の信者がそのことに揺らぐことのない忠誠心を抱いていたとは初耳です。

なんかもう、本当にすごい記事でしたね。

今度の割り当て「組織された宗教に属するのは必要なことですか」だよ。(;_;)


Re: タイトルなし

11月のですか・・その資料では「偽りの教えの基づいている」「大半が儀式(=取り決め)から成り立っている」「寄付金を集めることに腐心している」ことが偽りの組織の特徴だそうですね(笑)

最近の一般用ものみの塔の「神は必要?」の記事でもそうですけど、「組織は必要?」についても彼らが「絶対必要」だと思えば、それが存在する、存在すべきことが「真理」であるかのように論理が飛躍しています。組織があること自体は悪くないという点はその通りだと思うので、「組織がある場合の利点」くらいの感覚でされたらいかがでしょうか。適当な事言ってすみません(涙)
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