組織化したキリスト教

「1980年代には『歴史上かつてないほど大勢の人がキリスト教に改宗し,同時にこれまでのどの時代よりも多くのクリスチャンが組織化されたキリスト教から脱退する』であろう」―1979年7月21日付,シドニー・モーニング・ヘラルド紙。-1981年ものみの塔より

この言葉は、皮肉にもエホ証という「組織化されたキリスト教」にもいずれ成就していくと思います。日本を含む一部の先進国ではその兆しがすでに見えています。

日本では、聖書に興味を持つ人がいない訳ではありませんが、キリスト教人口が増えている訳でもありません。かつては既存のキリスト教に幻滅した人の受け皿として、強気に↑のような第三者の文章を引用していたエホ証も、もう日本での増加は頭打ちです。

組織に属することを嫌う人がいるのはなぜか。同じものみの塔記事での別の引用。

「教会に行くのがいやなのは,大酒飲み,うわさ好き,うそつき,詐欺師だと分かっている人々が毎週日曜日そこにやって来てお祈りをし,賛美歌を歌っているからです。偽善者を尊敬することは決してできません。ところが,わたしの通っている教会は偽善者で一杯です」―1979年5月27日付,パームビーチ・ポスト‐タイムズ紙。

エホ証に大酒飲みはあまりいないかもしれませんが、隠れ酒癖の悪い人(笑)はいます。うわさ好きはゴロゴロいます。悪意のあるうそつきはいません(たまにいる)が、偽りのタイムリミットを命令されるがまま宣伝し、結果として他人の人生を狂わせておいて何の責任も感じない人もいます。あからさまな偽善者も(そんなに)いませんが、見せかけの「業と特権と数字」ばかりを重視し、他人をも見下し裁く人間もいます。

善良な人もいます。悪いところばかりを見たくありませんが、エホ証が自分たちだけは違うとばかりに他宗派を上から目線で貶めることは、もうできなくなっていると思います。

↑のコメントが示すように、組織になるといろんな人がいます。組織の一員になるとその相手を選べません。ただでさえ会社という組織で人間関係に苦労し疲れているのに、組織化された宗教にまで深入りしてそのストレスを増やしたいなど、だれも思いません。

業と成果を何よりも重視するエホ証組織も、その国で当初見せる成長期には魅力的に映る時代もありますが、増加が頭打ちになれば、その上っ面の魅力もストレスと落胆と罪悪感、他者への批判とねたみに取って代わります。組織・制度化された宗教から脱退して本当に自由になったと感じる人もいて、エホ証も今や例外ではありません。

「ではどの組織に行けばいいのか」と考えるようエホ証信者は教化されていますが、そもそも、聖書は神を崇拝するために組織を通さなければならない、とは教えていません。次回にします。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

たしかに

ではどの組織に行けばいいのか?
というのは、単純に居心地のいいコミュニティを後にするのは寂しい。
という感情ではないでしょうか?
神と真理をひたすらに探求するというよりは。
ほとんどのJWはそうではないかと思います。

自分自身、生まれ育ってきたここを出るとしたら、やはり寂しいだろうなぁ、と思います。
なにしろ、まじめにやってきたものですからほかに友達もいませんしね。
途方に暮れますよ。

Re: たしかに

ラッセルの著書を読んで1903年に教会をやめる決意をした人のことが書かれていました。当時の聖書研究者はそれほど「組織」だってはおらず、集まる場所もありません。

「頼れる長老もいません。集会もありません。あったのは罪を深く悔いる心、すり切れた聖書、長い祈りの時間でした」

その人がそうまでして教会をやめた理由がそのラッセルの著書にこうありました。

「自分の信頼している人が信じているという理由で何かの教理を信じるというのは、いつの時代にもよくある誤りであり、現代も例外ではないと我々は考える」

100年以上が経過し人間の伝統と化した今の組織は、どんな解釈でも指示でも「統治体を信頼せよ」の1点張りですからね。ラッセルが書いた通り、歴史は繰り返すのでしょうか。

そうですね

Jwの創始者ラッセル兄弟も既存のキリスト教会からすれば背教者
宗教改革を行ない、プロテスタント教会を作ったルターもカトリックからすれば背教者
(彼はものみの塔の見解によると小麦級らしいですが)
(しかし、オホラとオホリバの例えで表されているようにカトリックよりも
プロテスタントの方が罪が重いとかーここら辺も訳わかりませんね)
そして、そもそも、イエスもユダヤ教からすれば背教者

どの立ち位置から物事を見るかで見える景色は180度違ってきますね。
そして、我々はJwの中からの景色を見ている。という現実。

ただ、ラッセル兄弟が今のJwを見たらなんと言われるか?
私が作りたかったのはこんな世界ではない!
といわれるのではないでしょうかね
もちろんイエスが地上に降りてこられたら、ほめてもらうことより
怒られることのほうが多いんじゃないでしょうか?
まー、組織として褒めてもらえるグループは地上には存在しないように思いますが。

Re: そうですね

ラッセルの著書を読んでただ罪を深く悔いた女性とは全く対照的だったのがラザフォードです。

「わたしたち(自分と妻)がこれらの本に接する機会を得たことは神から授けられた大きな祝福であると考えております。これらの本は確かに聖書研究のための『手引き』です。この一連の本を研究して明らかにされた偉大な真理は,わたしたちの地的野望を全く覆してしまいました」

ラザフォードは明らかに「本」を賛美していました。聖書よりも人の書いた「出版物」を信頼し賛美する傾向は彼の時代に始まったのでしょう。それは確かにラッセルの願っていたことではないはずです。今自分たちがいるのは「ラザフォードの野望」の集大成とも言える組織なのかもしれません。

まさしく

ラッセル兄弟亡き後、ラザフォードはラッセル派の人々を追い出しましたね。先日のものみの塔でもありましたが。
こちら側からの表現では背教者を追い出し、清さを守ったということになっていますが、
ここが、この組織の分かれ道だったのかもしれませんね。

私は、Jwはキリスト教原理主義とネットワークビジネス的手法が結びついて、拡大していったもの
と考えていますが、ラザフォードの時代にそれが、確立していったように思っています。
しかし、そうした人間的なやり方には必ず限界が来る
我々が目にしているのは必然の結果であり、その手法の限界を迎えているということですね。
ただ、ラッセル兄弟の方法では、Jwはここまで発展しなかったようにも思います。
果たして、神のご意志はどこにあるのか???

まぁ、とりあえずラザフォード兄弟は今の組織を見て、
「そうそう、オレが作りたかったのはこういう感じの組織だよ。もっと、がんばれ!」
というと思います。(笑)
そう考えると、最近の理解の変更で奴隷級からラッセル兄弟が外され、
初代奴隷級はラザフォードであったというのも皮肉ながらつじつまが合ってきますね。

Re: まさしく

たしかに宗教ビジネスとしては成功した部類に入るのかもしれません。スナフキンさんの仰るように、ラッセルは悲しむかもしれませんが、ラザフォードからは「よくやった!私の後継者である忠実な奴隷よ!」と褒められることでしょう。
プロフィール

GUABELLO

Author:GUABELLO
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR