個人的なこと⑤

話を戻します。

「天の王国はあらゆる魚を寄せ集める引き網」の、調整=否定される前の解釈です。

聖書を教える権威を持つととなえる多くの人々によって聖書の音信が曲げられることがあっても、聖書そのものの内容は損なわれずに保たれました。幾世紀にもわたり、ヒエロニムスやティンダルのような学者たちなど、勇敢に神の言葉の翻訳や頒布に当たった人たちがいます。多くの人が、聖書に、またまがい物とはいえ、ある種のキリスト教に接しました』

自分も↑の説明の通り、「聖書を教える権威を持つととなえる」エホ証統治体によって聖書の音信が曲げられることがあっても、彼らによって「聖書と、まがい物とはいえ(笑)、ある種のキリスト教」に接することになりました。

そしていつか、「クリスチャンであると主張する組織(エホ証含む)」という引き網がたぐり寄せられます。網がたくさんあって、その内の一つに入った魚だけが選ばれるのではなく、網は一つだけで、そこに入った魚は一匹づつより分けられる、というたとえです。

「裁きは神の家から始まる」と聖書に書いてあるように、これはキリストの再臨(1914年にはまだ起きていない)の直後に生じる、クリスチャンという引き網に入った一人一人(過去に死んだ人含む)が、「天の王国にふさわしい魚」かどうかの審判で、その後の短い期間に生じる、その時点でクリスチャンではない人に“ハルマゲドン”を通過する機会が与えられる裁きとは別だと考えます。

まとめ:エホ証も他のキリスト教と同じく人を聖書に引き寄せる網の一部に過ぎない、と気づいた今では、エホ証組織の幾つかの重大な間違いに目ざめたとしてもそこで知ったすべてが無駄だったという後悔はありませんし、聖書に接するきっかけとなったことにおいて一定の役割があったとさえ思えるようになりました。

今、冷静に考えるとあたりまえです。聖書は何十億冊も流布してきた本です。それに接する機会、解説する個人、団体、書籍など、無数にあります。「この組織の“お陰”で聖書を知ったはず。他にどこに行くのか」・・初めて見た存在をずっと親だと思い込むペンギンの赤ちゃんか(笑)。
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