陶器師はどっち?③

人間の側が陶器師になり、神の行動を分かりきったように限定してはいけないと思います。

『ああ,神の富と知恵と知識の深さよ。その裁きは何と探りがたく,その道は何とたどりがたいものなのでしょう。「だれがエホバの思いを知るようになり,だれがその助言者となったであろうか」,また,「だれがまず神に与えてその者に報いがされなければならないようにしただろうか」とあるのです』

聖書を書いた使徒パウロでさえ、「神の道は探りがたく、たどりがたい」と語っています。

しかし、現在のエホ証指導部はもう「神の裁きと道」を探りきってしまったかのような自己満足に陥っています。その自分たちの解釈や説明により、神が公正で愛と知恵のある方であることが証明されるとでも考えているかのようです。自分たちだけが神を正しく理解し、説明し、擁護できるという“善意”のつもりがその思い込みが暴走し、自分たちの枠組みの中の「神」とその「神」の代理たる組織が非難されると、もう我慢ならないとばかりにその神=組織を擁護するためこじつけの聖書解釈をあみ出してきます。

神に「助言者」は必要ありません。知恵があるのは誰なんですか。自画自賛の解釈と説明を思いついた人間の方ですか。人間が形作った枠組み=アイデアの中で行動が縛られ先読みされる程度の、底の知れた浅い神がなんて知恵と愛のある方なんでしょう♪・・と賛美したところで、その枠組み=アイデアを思いついた自分たちを賛美しているだけだということに気づかないのですか。人間に説明されることで神の栄光が少しでも増し加わることなどありません。その過ちを繰り返してきたことを自分も含め悔い改めなければと思うのです。

「1914年に神は自分たちを天に取り去る」

「1925年に神は過去の義人を復活させる」

「1914年から一世代の内に、神はハルマゲドンを起こす」

「1914年以降に死んだ人を神は復活させない ⇒復活しないとなんかマズい」

イエスは1935年に天の王国に召すのをやめた ⇒やめたままだとマズくなってきた」

イエスは1914年から人間を羊とやぎに分けている ⇒まだ分けていないことにしよう」


数え上げればキリがないですが、エホ証は塵に等しい人間でありながら、事実上神やイエスの行動を先読みし、しかもことごとく外してきました。自分たちの描く枠組みに矛盾が生じると、神やイエスの行動にさえ調整を加えるとは、あなたたちはいったい何者なのですか。今までも、これからも、あなたたちが思いついたアイデアに、神の側がそれに縛られて行動することなどありえないでしょう。先走った期待と言えば聞こえはいいものの、それに同意できなかった、間違っていなかった人間を神への反逆だと裁いてきたのはだれですか。

指導部はその過ちを悔い改めるどころか、その過ちによって求心力が低下した自分たちの権威を何とか強化しようと、神や聖書まで私物化することに突き進み、その業(ごう)を深めているとしか自分には思えません。たぶん、もう彼らも本気で神など信じていないのでは、と思います。ただ一人知恵のある神を信じているなら、その真実の神を冒涜する誤った解釈を繰り返し、その偽りに基づいて無実の信者を断罪してきたことに、まともな良心など保てるはずがありません。彼らが信じている神とは一体誰なのですか。

『彼らの最後は滅び,彼らの神はその腹,彼らの栄光はその恥にあり,その思いは地上の事柄に向けられています』

自分たちの「腹」づもりでどうにでも調整できる神を崇め、目に見える業のみを誇り、この「地上の」組織を拡大することにしか関心がないのはだれですか。「地上の」楽園を謳い、キリストと同じ「死へのバプテスマ」を受けるクリスチャンが本来は放棄するべき「物質の報い」ばかりを強調してきたのはだれですか。神の名によってことごとく予言を外してきた恥を栄光と履き違えているのはだれですか。

自分たちにできるのは、人間には決して探り、辿り切ることなどできない「神の道と裁き」を、ほんの僅かづつであっても探究し続けることだけです。宇宙と同じで決して辿り切れないから、その深さと人間の微小さとを思い知るのです。

自分もかつては、エホ証がそのための唯一の経路とまでは言い切れないとしても、少なくともその「経路の一つ」ではないかと感じたので現役にもなりました。でも、今や真理そのものを純粋に探究する気配すらなくなり、ただ自らの拡大と正当化のために突き進む現在の組織を、ただ残念に思うのみです。

答えなど探り切れるはずもない些末な解釈論で異端者を排斥し、その解釈に従って神やイエスは行動し自分たちだけが報われるはずだ、などという傲慢な考えを捨て、ただ神の御前にへりくだり、もっと神の憐みの豊かさを強調する聖書の原点に立ち返った精神を思い出してほしいと願います。
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ここも同意見です

やはり、前の世代の指導部が振り上げた拳を降ろすことができないままに、
それを引き継いだ指導部がやはりその振り上げた拳を降ろすこともできないままに
振り上げ続ける理由を探し求めているというのが
現状ですかね

その姿が私には太平洋戦争の時の大本営の姿と重なってみえるのです

「欲しがりません勝つまでは」
勝つ事なんてないのに

Re: ここも同意見です

コメントありがとうございます。

確かに、敗戦は避けられないことは指導部が一番よく知っていたはずなのに
誰もそれを止められない・・似てますね。

でも統治体はそうやすやすと「人間宣言」はしないとは思います。カトリックも
地動説ほどの「真理」を否定し、ガリレオを破門して350年経ってようやく謝罪
しても今なおキリスト教最大宗派であり続けています。

JW指導部も1914年はとりあえず維持しておいて、この解釈を否定して破門された
人間がとっくに死んだ頃に調整すればいいくらいの感覚かもしれません。こうやって
エホ証も人間の伝統と化してゆくのでしょう。

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