陶器師はどっち?②

エホ証が意図せず神の側の行動を制限してしまう例は他にもあります。

例えば、エホ証の超重要解釈の一つでありながら、彼ら自身が勘違いしていることが多い教義=宇宙主権の論争・・超ざっくりと説明しますと、

反逆した天使の一人サタンは神の主権=支配権が正当かつ最善のものかどうかに挑戦し、最初の人間アダムとエバに、「禁じられた善悪の木の実(=善悪を決める神の主権の象徴)」を食べさせ、神の支配から独立する道を選ばせることに成功する。神は即座に反逆者を滅ぼすことも可能だったが、反逆の結果がどうなるかを示すことにより、ご自分の主権の正当性が明らかになるようにするため、時間の経過を許される。

現役のエホ証の方に質問すると仮定します。「はい」か「いいえ」の二択です。

質問:神はこの「宇宙主権の論争」をエデンの園で即座に解決することもできましたか






答えは「はい」です。これは自分の考えでなく、エホ証の現解釈においても、そうです。でも結構、「いいえ」と答える方も多いと思います。サタンは神の力ではなく主権の正当性に挑戦したので、サタンと反逆者を即座に滅ぼしても解決にはならなかった、とか、時間がどうしても必要だった、とか言います。

・・えーと聖書を信じる人にとって、造物主である神の主権とその正当性は、宇宙どころか、宇宙という言葉では括れない程のあらゆる領域、世界、どんな言葉でも人間が表現も理解もしきれない、すべてを超越し、すべての前から或る、神の存在そのものと同義と言っていいくらい絶対的なものです。それは証明される必要もなければ、誰かによって支持される必要もありません。これはちゃんとエホ証布教教材「聖書から論じる」の本にも書いてあります。

「それは神がご自身のために何かを証明する必要があったということではありません。しかし,これらの論争のために宇宙の平和と安寧が二度と再び乱されないようにするため,エホバはそれらの論争が一点の疑問の余地も残さずに解決されるよう,十分の時間を見込まれました」

なので人間の側が傲慢にも、全能の神がその時点では解決できなかったとか、神の方がそういう行動をせざるを得なかったとか、時間をかけることがどうしても必要だった、など、神の行動の方が縛られる可能性について考えることさえ大きな間違いです。

あくまで、すぐに感謝を忘れて反逆する天使や人間という存在を憐れみ、物分かりの悪い(笑)彼らの思考の中で可能な限り「疑問の余地を残さず解決・証明」されるために、あえて神の側が多大の辛抱により時間を見込んでくださった、というだけのことです。多くの現役エホ証ですら、神が「自分の正しさを立証する」なんていう器の小さい目的のために人間の側が苦しみを辛抱強く耐えさせられているなんて勘違いしていますが、全くの逆です。

かつて、自分もこういう解釈に魅力を感じていた時もありました。でも特に世代交代してからの統治体は「自分たちの出版物は神がお前たちのために書いてくださった」とか、安易に神を持ち出し、さらに自分的には史上最悪の出版物「エホバに近づきなさい」が出たあたりから「神は○○な方なので、こうする、とか、しない」とか、自分たちが陶器師であるかのように望むままに神のイメージを作ってその行動を限定する傾向が強まっています。もう1回だけ続きます。
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ホントですね

自分も、エホバに近づきなさいは
嫌いな本です
勝手に人間が自分たちに都合よく神のイメージを作り上げて書かれた内容ですね
同じように感じている人がいることを知って少し安心しました

Re: ホントですね

このあたりから、「出版物」のテイストが変わってきたように思いますね。
作りたいイメージ(解釈)、信者に与えたいイメージ(解釈)が先にあり、
そのための聖句探しをするような。

No title

神が哀れみの内に、アダムとエヴァを、時間を許して、サタンの主張を試させる、それにはもう一つの要素が在りました。エホバは地上を義に適(かな)った人間、人たちで満ちさせる、と言う意図です、目的です。それが一つ在りました。ラッセルの時から言われて居る事です。全地球を、義に適った人間で満ちさせる目的を公けにしておられました。それを実行されたのです。その目的は変更されませんでした。同時に人間の側も学ぶ事、サタンの仕方で統治する事をからは悪しし事であった事を学ぶ事!!サタンの統治の仕方は悪しし事で在った事!?!それ位いです、その位いですが。サタンの統治、支配は悪しし事であった事がこの6000年間で明らかである事。その位いです。それ位い!

Re: No title

この記事においてもそうですが、えいいちさんの仰ることを含め、自分もこの点に関するJWの解釈自体を否定していません。でもJWが「世代交代」する内に、JW自身が、この解釈の本質を履き違えている印象を受けます。

この世界の造物主としての神を信じる人にとって、その方の主権は常に絶対的なものであるべきで、それは「立証」も「解決」もされる必要がありません。人が神に言い逆らうことなどできるのですか。その明示された意志にだれが抗しえるのですか。

ただ、もしその神が、できるだけ多くの天使や人間が納得する(彼らの中で『立証』される)ように、一見まわりくどく見える方法で解決することを憐みゆえに選択してくださったのであれば、すばらしいことだと思います。しかし人間の側がそうだと決めつけたり、まして「神はそうせざるを得なかった」などと主張することはこの解釈を考えた人の意図するところではないと思います。

先人達の解釈を履き違え、「信者の行動を統制する」というレベルの低い次元で利用し、さらに組織の解釈を賛美するために神の行動・選択の方をその解釈で縛っているかのような近年の傾向に危惧していることから書いた記事です。
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