2段階制度

エホ証のよく分からないシステムに「バプテスマ(=洗礼)を受けていない伝道者」があります。

洗礼を受ける前にこの伝道者になる必要があります。そして数ヶ月間、戸別訪問による布教に参加して、ようやく「洗礼」が認められます。

もちろん、こんな2段階システムは聖書に書いてありません。

使徒2章のペンテコステの祭り、8章のエチオピア人宦官、10章のイタリア隊士官、などの記録ではすべてイエスをメシアと認めた時点で、洗礼を受けています。

彼らがすでに神を信じ、旧約聖書の知識を持っていたにしても、洗礼前に「業」でその信仰を裏付けることが要求されなかったのは確かです。聖書は「業のない信仰は死んでいる」と書いています。当然、彼らはイエスを心から受け入れたのですから、その後の生き方で信仰を実践していったことでしょう。でもそれは他の人間が要求し、評価し、裁くものではありません。

エホ証の信者数とはこの伝道者数のことです。そして伝道者数とは「その月最低でも1時間の布教時間を報告した人の数」(意識不明以外の重病者と“認定”されれば15分)のことです。洗礼を受けても、この報告を所定の用紙で提出しないとその月の信者数にカウントされません。

やり方としては、排斥された人間を復帰させるために最低でも数ヶ月間、集団無視の中で集会に来ているかを眺めてチェックするように、洗礼前にやはり数ヶ月間、戸別訪問という苦行をする気があるかどうかをチェックするものです。基本、見える業でしか人を評価、信頼しません。またマルチマーケィングと同じで、客(信者)になる時点で売る側の責任を負わせる目的もあると思います。

他方、聖書にはクリスチャン会衆が発足後に数千人が洗礼を受けた、という記録は幾つかあるものの、その後の総信者数の推移など記録されていません。

むしろ、人数を数えることの罪としてダビデの人口登録の事例があります。神が直接人口の登録を命じたことは幾度かありましたが、ダビデが独自にそれを行おうとしたとき、「神の怒りが燃えた」と書かれています。

その理由をエホ証はこう推測します。

『ダビデについて言えば、自分の軍隊の人数を誇ったり信頼したりする気持ちに起因した悪い動機を抱いていたのかもしれません。そのため、エホバに対する全幅の信頼を表明しませんでした。いずれにしても、この時のダビデのおもな関心は明らかに、神の栄光をたたえることではありませんでした』

確かに、神の栄光とは数字によって評価されるものでも、左右されるものでもありません。

そうであれば、エホ証がここまで正確な信者数や布教時間数などの数字にこだわるのはなぜでしょうか。「自分たちの人数を誇ったり信頼したりする気持ちに起因した悪い動機」でなければよいのですが。
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No title

 神権宣教学校の教科書にしても、奉仕会のプログラムにしてもそうなのですが、普通の世の中で見られる営業テクニックが、たくさんちりばめられています。だから、数値化するというのも、そういうテクニックの中のひとつなのだろうと思います。

 たちが悪いのは、「イエスが弟子たちから報告を受けた」という聖書の記述を使って、正当化してしまうところだと思います。その場面は、奉仕の時間報告とは何の関係もないでしょとつっこんであげたいです。

Re: No title

この奉仕報告制度は、「開拓者制度」や「開拓者」を入り口とする「特権支配」の根幹なので廃止は難しいでしょうね。

そもそも何をもって「奉仕時間」とするのか聖書から定義づけることなど不可能ですし、いまだにバカ正直に組織の定義に付き合って報告している人がどれくらいいるのか分かりませんが、見かけの「数字」をよく見せるためにいつまでこんなことを続けるのか、組織の良識が問われていると思います。
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