神は70億人を虐殺するか②

エホ証という宗教を批評するブログなので聖書解釈にはあまり立ち入りたくありませんが、聖書そのものは擁護する、というなんかめんどくさい(笑)スタンスで書いているので、終末についても多少、聖書解釈からアプローチします。様々なキリスト者の文献を参考に、ものみの塔の主張とも比較した上で、改めて聖書をありのままに読んでみた一個人の感想くらいの感覚で面白半分に読んでください。

聖書中の前例①「ノアの方舟」

「人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。洪水前のそれらの日、ノアが箱船に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。そして、洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが、人の子の臨在もそのようになるのです」


エホ証は、普通の生活をしているだけでもぬっ殺されますよ、という脅迫まがいのメッセージにこの聖句を利用する。でも創世記を見ると、当時の人々はただ普通の生活をしていた訳ではないことが分かります。

「神は、人の悪が地にあふれ、その心の考えのすべての傾向が終始ただ悪に向かうのをご覧になった」

「地はまことの神の前に損なわれ、地は暴虐で満ちるようになった。 それで、神が地をご覧になると、見よ、それは損なわれていた。肉なるものがみな地でその道を損なっていたからである」


ごく一部の人間ではなく、「みな」「すべて」が一様に悪と暴虐の限りを尽くしていた、とあります。イエスが語ったように、そういう邪悪な人間でも食べ、飲み、性欲も満たすと思います。

コメントへの回答でも書きましたが、洪水の後「殺してはならない」「盗んではならない」という今では人類共通とも言える、当たり前に聞こえる成文律法が神から与えられました。ノアの時代に至るまで人類は神から全く疎外されていて、さらに法も国家も成文律法も預言者もいないその期間、人間の堕落の程度は今の常識や想像を超えていると思います。

そして創世記の表現によれば、ノアの時代には人がさらにネフィリムの影響を受け、動物的な性向を示し日常的に暴力を振い、だれが一方的な被害者ということではなく、まさに「肉なる者がみな」捕食動物のように殺し合い、奪い合っていたものと理解しています。

愛の神が「人」そのものを創ったことさえ悔やみ、すべてを流し去ろうとまで決断した、という聖書の記述を読んでの率直な感想です。ネフィリム以前でさえ神は義人エノクをその堕落した時代から取り去られましたが、ノアが舟を完成させるまで無事だったのも神慮による保護があったのではと考えます。

次回は、エルサレム滅亡について書きます。
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