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輸血について②

前回はスルーしたが、「血を避けよ」という命令が輸血という医療行為にも適用されるのか。

まず、聖書の中で血が命を表わすのものとして語られている最初の記述。

「あなたの兄弟の血がわたしに向かって叫んでいる」・・・これはアダムとエバの息子アベルが兄弟カインに殺されたときに神が語った言葉。

神がこう語ったのは、アベルが殺されたから。ただ怪我をして出血しただけならこうは言わなかったはず。

次の記述。大洪水後、動物を食用にすることが許されたが、そのときノアに語られた言葉。

「ただし、その血を伴う肉を食べてはならない」

これももちろん、動物を殺して、食用にすることについて書かれている。

さらに贖罪についても同じことが言える。

モーセの律法下での贖罪の儀式では、動物を殺して、その血を祭壇に振り掛けることが規定されている。

イエスの犠牲についても、もし血がどんな場合でも命を表わすのならイエスは死ぬ必要はなく、ただ自らの体を傷つけ、血を流せばよかった。しかし、イエスは死に至るまで血を流して初めて、その血は人類の罪を贖う価値を帯びるものとなった。

こうした聖書中の例からしても「血は命を表わす」というのは、人や動物を殺してその命を奪うことが関係している。

それで「血と、絞め殺されたものを避けよ」という聖書の命令は、動物を殺して食用とする際に、血が滴るままの肉を食べてはならない、という単純な意味でしかない。ノアの大洪水後、食用のために動物を殺生することは許されたが、その血を地面に注ぎ出すことで、命の源が神であると認め、命に敬意を払うことが条件だったからだ。

輸血という医療行為はこれとは全く異なる。人の命を奪うことなく、むしろ命を救うために、生きている人の血を輸液することだからである。これはむしろ臓器移植と同じ問題ではないだろうか。
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