このブログの目的①

このブログの目的は・・なんでしょうね。

エホバの証人はその始まりにおいて、当時その名で知られていた通り、聖書研究者だった。三位一体・魂の不滅・地獄の否定、「エホバ」の名を使うことなど、現在のエホバの証人の指導階級が「我々こそが」真理を見出したと豪語する際に引き合いに出す解釈のほとんどは創始者である聖書研究者、ラッセルにより提唱されたものだ。しかし彼の死後、大きな変化が訪れる。

1931年、彼らは「エホバの証人」という名称を採用する。その名称が示すように、それ以降、彼らの主な聖書を研究し続けて新たな真理を見出すことではなくなる。むしろ、「エホバの証人」だけが神に是認される唯一の宗教組織であると主張することで、「組織」=神(エホバ)という図式を作り上げ、その「組織」が拡大することが「自分たちが神に祝福されていて、自分たちの聖書解釈も真理である」と証明することになると考え、「組織」を拡大するための業(活動)と「組織」への絶対的忠誠が強調され始める。

結果、自由に聖書を研究する風潮は失われ、すべての信者は「統治体」と呼ばれるエホバの証人の最高指導者たちが認める聖書解釈だけを唯一絶対の真理として受け入れるよう指導され、それに疑いを差し挟む者は「審理委員会」の名のもとに異端審問にかけられ除名されてきた。

聖書に関する「新たな光(=啓発・理解)」がもたらされることはなくなり、信者が「新たな光」と思い込まされているものは、その時代の社会の風潮に迎合するか、時の経過や目先の世界情勢の変化と共に生じる矛盾点をつじつま合わせするだけの「場当たり的な解釈の変更」にすぎない。信者たちは同じ内容の話を大会、集会、刊行物の紙面でひたすら繰り返し読み聞かされており、そのことに疲れ切っている信者も多い。

それに反比例するかのように、組織の拡大・統制のために多数の規則や戒律が加えられる。布教活動の報告義務、大学教育の事実上の禁止、輸血の禁止など、聖書を過大解釈した行き過ぎたものが多い。律法のさらに外側に「垣根」を付け加えたパリサイ人のようである。

ラッセルは伝統と権威が支配するカトリックではなく、自由に聖書を研究するプロテスタント諸派の教義に断片的に真理が存在するとし、自分はそれらを再構築しようとしているにすぎない、と語ったという。そして独特の名称で呼ばれるような組織を作り上げるよりも、ただ聖書研究者として知られることを望んでいた。

事実、その始まりにおいて伝統的キリスト教の教義を大胆に否定することでラッセルは支持を得た。しかし自由に聖書を研究できない権威主義的な組織を作り上げ、それを拡大する業にのみ傾倒した後継者たちはもはや何の真理も見出せず、今では自分たちがその伝統的解釈を否定できなくなるジレンマに陥っているのは何とも皮肉である。

この組織が神に是認される唯一の宗教組織とはとても思えないが、とりあえずこれまでの組織との関わりに基づいて自分の考えをまとめておきたいが、人に読まれることを意識して自分の考えもまとまると思った、そんなところです。
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